WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

ゴミ箱は空にできない

2009-03-27 | 人生妙なり



敢えてちょっと重いタイトルにしてみました。


最近イヤ~~な夢ばっかり見て、疲れ果てて目が覚めたりしていましたが、今日はこんな楽しい夢をみました。


私は、実家からたくさんの荷物を持って自宅(なぜか西国分寺あたり)に帰る途中、足が棒のようになって、ホントに歩けなくなって、アーケード下の商店街のお店の前で足がもつれて倒れてしまった。
私は裸足だった。

そのお店は、ブティック&カフェみたいなところで、ちょうど私が倒れたあたりには、夏のミュールが置いてあって、ママ(店長というべきか? でも、カフェのママって感じ)が「あらあら、大丈夫ですか? どうぞどうぞ」といって、造作なくそのミュールを足にひっかけてくれて、助け起こして、テーブルまで連れていってくれた。
「やっべー、こんな高そうな店で、ミュールを買わなきゃいけないハメに…」と私は思ったのだが、とってもかわいいので、買ってもいいかな…と思った。
テーブルで休んでいると、お店の女の子が飲み物を持ってきてくれた。(飲み物はなんだったか忘れた)

実は、実家からここにたどり着くまで、ここにはとても書けないようなスゴイことが、それはそれはいっぱいあった。
私がヒミツでお付き合いしている(ことになっている)人の息子さんにお会いしたら、とっても爽やかで素敵な人だったけど、その人はヅラだった…とかね(^_^;)

そして、どうせお店でミュールを買うなら、自分で選ぼうと思って、物色していたら、かわいいヤツばっかりで、黄緑やぴんくのきらきらしたビーズで編んだもの、おもしろいデザインのミュールなどなどいっぱいあった。紐で編んであって、左足鼻緒のところに木彫りの大きなライオンがついているヤツが気に入った。左足がお父さんで、右足は、小さな子供。右と左がアンシンメトリーなミュールはそのほかにもいっぱいあった。

そーこーしているうちに、またママがこんどはスカーフを持ってきた。
パステル系の絵の具でお絵かきしたような、アートな柄のスカーフにこれもまたビーズで縁取りがしてあって、ママはそれをねじねじして、私の肩にふぁさっっとかけてリングで留めてくれた。
タンクトップと、ジャージのハーフパンツというヨレヨレの私が、突然花が咲いたみたいになった。

こんどはお店の女の子が、「いちご茶」を持ってきてくれた。
透明のティーカップに入っていて、取っ手のところがいちごの蔓になっている。
お店には、たくさんの店員さんがいる。カフェなので厨房もある。
こんなにもてなされたら、このスカーフも買わなきゃいけないじゃん…
でも、ルビー色のいちご茶もきれいだし、スカーフもとっても気に入ったので、買ってもいいかなと思った。




次にママが持ってきてくれたのは、日傘だった。
これは、めっちゃアートだった。骨が7本。しかも、骨の長さが1本ずつ違う。そして、開くと、湾曲していなくて、平面なのだ。そして、布は縁からビミョーにこれまた子供が鋏で切ったような垂れ下がり方をしている。
模様は白地に、スプレーで落書きしたようなヤツ。
この傘のつくる影の線が、おようふくにコントラストを作るのがこれまたアートなのです。
こんなんで通じる? 通じて~~~!
これはもぉ~~めっちゃ気に入って、絶対欲しくなった。

…と、そこへ、こんどはお店のイケメンの男の子が、アーモンド入りホットチョコを持ってきてくれた。
これは、カフェオレカップというより、抹茶茶碗入り。
楔形文字みたいな模様の器で、スプーンで掬って飲むのよ。
スプーンはどんなのか忘れた。



…こんな夢。
結局私は、そこでお買い物をしたかどうかは不明…というより、その前に目が覚めたような気がするのよね。

結局、私はお店の前で行き倒れになって、営業されまくった…というオハナシ。

しかし…
このどれもこれも素敵な小物たちはナンなんだ? 私がデザインしたのか!?
それとも、私の人生のどこかで遭遇したけど、忘れ去られて沈殿していったものなのだろうか?
まあ、単純には、春だし、お洒落がしたい私だと思いますけれど、、、
絵の才能があったら、描いてアップしたいところです。
せめて文章ででも記録しておこう。そのうちもしかしたらTakが作ってくれるかもしれないしね(^_^;)


…と、ここにアップしたのはほんの一部ですが、こーやって書いて整理しているだけでも、なんとな~~く、日常のいろんな断片がまた別の組み合わせになって、こんなところに現れているんでは…という気がします。

毎日、要らないものや、イヤな気持ち、自分のなかの醜いものはゴミ箱に棄てて、次いこ、次!…と生きていっているつもりでも、PCと違って、人生のゴミ箱は永久に空にならない。
さらっと水に流して忘れたつもりになっていても、一生目をむけないでいても、沈殿して、堆積していっている…のだと思います。
それも全部含めて、「自分」なのです。


Comments (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする