WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

父の初盆

2012-08-19 | 実父


記事中のしゃぶしゃぶやさんよりお借りしました




少し遡りますが、父の初盆に招待されました。

父は真宗大谷派という宗派で、私は一応父が亡くなったとき、その宗派の教えなどについて、かなりネットでお勉強しました。
それで「お盆」というものは、極楽浄土にいった魂が家に戻ってくるとか、そんなんじゃないんだってことも知ってるし、
宗教的には、仏壇に向かって故人を拝むのではなく、阿弥陀如来さまを拝むのであって、亡くなった方を偲ぶこの機会を得て、仏様を信心しましょう…ということだそうで。
お盆というのは、浄土真宗としては、そういう意味で、特にお盆の行事というのは重要ではないようなのです。
そうはいっても、まだ悲しみが拭い去れない初盆、お墓に灯篭を吊るしてお参りして、
家では、仏壇にお供えをして、亡父に向かって手を合わせます。
帰ってきた父と一緒にいるかのように振る舞い、しゃぶしゃぶやさんでの宴では、父のぶんの生ビールも注文し、父だったらどーするかなあ…なんて、思い出話も盛り上がり…
こうして亡き父を偲ぶのが「お盆」の行事なのでしょう。

これが、遺された家族の想いなのでしょう。


しかし…ちょっと違うようなのであります。


浄土真宗的には、人は死んだらその瞬間に仏様の御手に抱かれ、極楽浄土にいくのだということを読みかじりました。
49日、彷徨い、黄泉の旅をして、7日ごとに裁きを受け、最終的に転生するところが決まるのではないようなのです。
そして、私たち生きている人間より次元の高いところにいって、いつでも自在にこの世にも現れて、人々を仏の教えに導くための仕事?をしているらしい、、、

父は、もうすでに「極楽浄土」に住んでいて、私たち「迷い人」のために働く存在となっているようなのです。

そういうのって、遺族の人は興味持たないの?
「しきたり」とか、そんなことの意味はどーでもいいのでしょうか??
何でも「しきたり」どおりにすることで安心するってのは、私としては本位ではないのであります。

どうぞみなさま、お見送りした故人の宗教について、少しでも足でも首でもいいからつっこんでみてくださいませ。
お経など、唱えたことありますでしょうか?
テープを流したり、お坊さんに委ねるだけでなく、自分でお経をあげてみたらどうかと、、、

浄土真宗の教義は、キリスト教と似ているような気がする。
…てか、だいたい、宗教によって死後の行く先が違うなんて、あり得ないと思うんですけどね、、
故人の魂は、仏教ではお盆に帰ってくるけど、キリスト教では帰ってこないって、そんなのも、この世に生きてる人間の都合?じゃないのでしょうか???


実は私たち親子は、9月に洗礼を受けることが決まっていて、その準備の学びをしています。
教会に通い始めてから、いずれはそんな流れになるかなあと思っていましたが、その「時」が、神さまによって整えられたのだなあと、、、
牧師先生と一対一でいろんなキリスト教の教義や、聖書の中身についてお話を伺うのです。
ものすご~~く興味深く、毎回とっても楽しいのです。Takも別途、やってるのだけど、Takの場合は、質問したり、脱線しまくり、タメ口であつかましく、それでも楽しくやってるらしいけど、先生には大変申し訳ない…
書けば長すぎる。ここに至るまでの道のりは、本当に簡単には書けません。
…が、どうしても3行で簡潔にまとめろ!と言われたら、こうです。

私は中学校の頃から聖書を読んで、イエス・キリストを神と信じてたけど、洗礼を受けたいといったら家族にまだ早いと反対され、あっさり諦めた。
教会に所属するのは、「PTA」のような集団に属するような苦手感がありまくりなので、洗礼受けなくても、だた信じていればいいじゃんと思っていた。
しかし、これまで神さまからいただいた恵みははかり知れない。教会に所属することで、少しでも奉仕活動をして、神さまに心から感謝を捧げお返しをしたい。

ま~こんな感じです。


でっ、

そんなことじゃなく、本日のトピックは!!
(って前置き長すぎ( ̄□ ̄;)!! )



そのしゃぶしゃぶやさんでの出来事。

父がいつも贔屓にしてた店で、いつもオーダーするのは「黒毛和牛」のコースね。(一番高い!)
しかし、父の分のビールもオーダーして、乾杯した後、運ばれてきたお肉は、なんだか固くて「コレ、ほんとに黒毛和牛かいな?」ってなモノでした。
ま~ふつーのランチででてくるお肉がちょっとデカくなったかな…って感じ。
しかし、この場で誰も文句は言わない。
なんかいつもと違う…と思っても、言えないよ、この場で、、、「初盆」だしね(^_^;)
私は父に1度しかここでご馳走して貰ってないけど、覚えてますとも、高級黒毛和牛の味は!!

みんななんかヘン…と思いつつ、肉の味には言及せず、さりげなく食べてるところに、Takだけが
「うわ~~美味しい! こんな柔らかいお肉初めて食べた~~!!」
と申すのです(-_-;)

Takも、いちおーランチしゃぶしゃぶには連れてったことあるよ。
ランチだから、まあ「ランチ」のお肉だよね…
この固い肉を「うわぁ~~美味しい!!」と感動しているTakってどぉよ、、、
しかし、誰も「ホントだね~美味しいね~」とは言わない、、、
センセ(父)がいないと、こんな扱い!?とまでみんなで思っていたのであった…
お肉の味にはなるべく言及せず、それでも和やかに宴は進行していきました。

それから暫く経って、
我が弟(この日のオーナーね)が、「今日の肉は固い」…と思いつつ食べていた途中から、突然いきなり柔らかくてウマイ肉になったらしく、
「うわ~~~っ!なんじゃこの違いは!!」ということになった。「これはヘンだ。やっぱりこれは違いすぎる!」
そんで、最初から美味しいといって食べていたTakのお皿から私も「ちょっと1枚ちょーだい」といって試食させてもらったら、


全然違うじゃないのよ!!
コレだよ、これが黒毛和牛だよ!!
見た目も味も違うじゃないのよ!!



ゴメンよTak、やっぱ、アンタの味覚は正しかった(-_-;)

…ってことで、「これは何かの間違いやろ、クレームやろ。言ってもええやろ…」ってことになって、

もうみんな殆どお肉を食べ終わってしまったところでお店の人に
「ちょっと、すみませんけど…」と、、、

最初、店員さんは、「同じ部位です」とかなんとか言ってたけど、店長を呼んで、さらにオーナーに連絡とって、結局もうひと皿、ホンモノの「黒毛和牛」が配られました。
うんうん、コレよコレが正解よ…と、またまたみんな、黙々と食べる(^_^;)


私だけは、「鳥が啄ばむように」のんびりゆっくり食べていたので、
最初のお皿のランチ用?のお肉は半分ぐらい残っていたのでした。
残ってたから、「比べてみてください、これでも同じ部位でしょうか?食べれば全然違うのがわかります」と言えた。

しかし、もしも、弟のお皿に黒毛和牛が混入していなくて、Takだけがホンモノを食べていたのだったとしたら、
最後まで誰も文句はいわず、不満だけが残り、さらにTakは、そのランチ用の肉を「柔らかくて美味しい」と言うかわいそーなヤツってことに…(^_^;)
でっ、弟は、ふつうのお肉に、黒毛和牛のコース料金を支払うってことに…


結局、ホンモノがあとで来てひと皿おまけってことでよかったのかもしれないけど、
こりゃ~ヒドイでしょぉ、、、
私のように、鳥が啄ばむほどちょっとで満足なお客は、固いお肉でお腹いっぱいになったあとで美味しいお肉が来るのよ。


でっ、その時、もし父だったら、ここでクレーム言うかしら…という話になったよ。
「そりゃ、言うやろ!」と弟と私は言ったけど、パートナー、ひろこさんは、
「言わないと思う。言わなくていいって。でっ、あとで私が言うことになっると思う」って、、、
そうか、なるほど、父ってそういう人か、そうかもね…


父はほんとはいったい今どこで何をしているのだろうと、、時々思います。
私たちの傍にいつもいてくれているのだろうか?
おばあちゃんも、聖二くん(従弟)も、みんなみんな、、、「天国」にいるのかな。
「天国」ってどんなところ??


Takが、夏休みの宿題で書いて、お盆の仏壇のお供えした作文「おじいちゃんの最後の日々」は、また別途アップいたします。


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「おじいちゃんの最後の日々」

2012-08-19 | 人生妙なり

ぼくのおじいちゃんは、去年の十一月三十日に、肝臓がんで、八十五歳で亡くなりました。入院をしたのが二月、それからずっと病院生活で、一度も家に帰ることはできませんでした。
 ぼくはお母さんと一緒に、何度も病院のおじいちゃんに会いにいきました。おじいちゃんは、入院したばかりの頃の苦しい処置のせいで、体力がなくなってしまい、寝たきりになりました。おじいちゃんは、それまでずっと現役で、ダンスの先生をしていました。入院する直前まで、飛び跳ねて踊っていたのです。それが、突然こんなことになってしまって、急な環境の変化で、認知症もみられるようになってきました。
 おじいちゃんの認知症は、ぼくがお見舞いにいくごとに進んでいっているのが、ぼくの目からもよくわかりました。話がかみあわないことも何度もありました。ぼくは、学校で描いた絵や習字を、持っていって見せたり、折り紙で、恐竜や星型のオブジェを作ってあげたりしましたが、おじいちゃんはあまり喜んでくれず、がっかりしたこともありました。
 ある時、お母さんに、
「なんとかして、おじいちゃんの頭を活性化させよう、匠、将棋を持っていって、おじいちゃんと勝負したらどうかな?」
と言われました。ぼくもそれはいい考えだと思って、将棋を持っていきましたが、勝負になりませんでした。
「これはどう動かすんやっけ?」
と、コマの動かし方もほとんど忘れていました。ぼくは、そのたびに説明しました。
 お母さんや、おじいちゃんのパートナーさんも、一生懸命、おじいちゃんのめんどうをみていました。ごはんを残さず食べたら大喜びしたり、食欲がなくてほとんど残すときには、おじいちゃんが喜びそうなものを考えて、次々と持っていきました。小さく切って、つまようじに刺して、「食べてみて」といって、おじいちゃんの手に持たせてあげました。少しでも自分でできるようにという気配りです。
 誕生日には、パートナーさんが、お花で作ったケーキをプレゼントしました。目で食べるのです。毎日のお薬も、とても飲みにくいので、小さなすり鉢で細かくつぶして飲ませてあげるようにしていました。薬を飲むだけでも、大仕事なのです。

 ぼくがこの作文をいちばん読んでもらいたいのは、病院の看護師さんや、介護師さんたちです。おじいちゃんの認知症が進んていき、体も動かなくなっていくにつれて、病院の人たちの、おじいちゃんに対しての扱い方に、「いやだなあ」と思うことが多くなりました。おじいちゃんは、今は入院して体が不自由だし、認知症だけど、ぼくにとっては、すごく立派なアーティストです。おじいちゃんとパートナーさんのダンスは、とてもすばらしくて、ぼくはビデオを見せてもらって、心から感動しました。
 もう、おじいちゃんは助からない、このまま死んでしまうかもしれないと、ぼくにもわかりましたが、それでも、おじいちゃんは今は生きていて、一生懸命病気と闘っている人です。がんばり続けるおじいちゃん。それを、自分の仕事の都合で、無理やり食事を口の中に詰め込んだり、自分の気分で、心ない言葉をかけたりしないでほしいです。家に帰れないおじいちゃんは、病室が自分の部屋で、介護師さんたちは、家族に代わってお世話をしてくれる人です。感謝しなくてはいけないのだけれど、ぼくは、もっとおじいちゃんを大切にしてほしいと思ったことが何度もありました。

おじいちゃんが亡くなる前の日、お見舞いにいったら、おじいちゃんは、全身が黄色くなって、目も口も開いたままで、こわかったけれど、勇気をだして呼びかけました。
「神さま、守ってください。」と、声に出してお祈りしました。
それがおじいちゃんとの最後の時間でした。おじいちゃんに、ぼくの声が聞こえたでしょうか?
                    
 


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