
校庭に泳ぐこいのぼりは、新緑と桜の中で気持ちよさそう!
千年スープを堪能して、海水浴場を後にして、次にいったのは学校。以上、終わり…なのです。
沙弥島は春だけの開催で、展示されているアートも少ないので、ドライヴがてら気軽にいけます。
ゼヒお近くにお越しの際はお立ち寄りください。
旧沙弥小・中学校では、神戸芸術工科大学によるプロジェクトが展開されています。
休校中の学校を利用した展示は、前回からもう「お約束」のようになってきているけど、
やっぱり、「新鮮」な感覚です。
「○○高祭」みたいな身近で素朴な感じと、それなのにアートを肌身に感じるピリピリ感、これがたまりません。
あまり興味のない人は「なんじゃこりゃぁ~?」なのかもしれないけどね。
さて、薀蓄はホドホドに、、、

藤本修三 「八人九脚」
学校のすぐ傍の浜辺に設置されているベンチ。
背もたれはかなり斜めっていて、デッキチェアが並んでる感じ??
ここで瀬戸の海、そこに架かる橋を眺めて日がな一日過ごせるかも。
人が「空を飛ぶ」ことを発想するように、縄文人も、瀬戸内海に橋を架けることを発想したのかなあ…
なんて、そんな、日ごろは全然考えることもない、とりとめのないことが次々と頭に浮かんで消える。

戸矢崎満雄 「名も知らぬ遠き島より」
沙弥島の浜辺に打ち寄せられた発泡スチロールを廊下から吊り下げるインスタレーション。
ところで、瀬戸芸ガイドブックには「インスタレーション」という言葉が怒涛のように出てきます。
インスタレーション(installation)
1970年代から主に欧米で登場した、展示空間全体を使った3次元的表現。絵画や彫刻といった「もの」を見せるのではなく、様々な素材を組み合わせて配置・構成した「空間」全体が作品。
英語で「据え付け」や「設置」という意味を持ち、日本では仮設(架設)展示、空間構成といった訳語が当てられることもある。
この「名も知らぬ遠き島より」のインスタレーション、記憶が定かではないけど、発泡スチロールに、着色などは施されていなかったと思う。
窓から入る光を黄色と青にすることで、この漂流物に命を与えているのかなと、、、
本来あってはならない、永遠に海と同化することのない海のゴミ。
しかし、彼らには何の罪もない、、、


佐久間華 「塩の結晶 ~落ちた玉汗砂が吸ふた~」
網を編み、それを海水に何度も浸して網に付いた塩を結晶させた作品。
部屋を暗くすることで、塩の結晶がキラキラと光ります。
「塩田小唄」から着想を得たインスタレーションとのこと。
坂出は嘗て「塩田」(えんでん)の町でした。
「塩田」風景、もう全く見られることはなくなりましたが、私も小学生の頃、バス通学で、屋島の麓の「塩田」を見ながら学校に通っていました。
「塩」なんか、こんなに苦労しなくても、簡単に手に入るようになった。
昔を懐かしむだけじゃ何も生まれない。
だけど、その時代にいろんなことを感じて生きていた健気な子ども達が、今は現役の最終段階ってなところで、未来を担っている。
なんとかしようよ。

大畑幸恵 「カイソウ-syamijima-」
沙弥島の海岸で採れた貝殻を砕いて、その粉で描かれた壁画。
その行程を黒板に掲示してあるので、ついそっちに注目してしまうし、この壁画が、ホンモノの瀬戸大橋と繋がっていることもチェックポイントなのですが、
私としては、作品そのものを、じっくり味わってほしい、こんなに素敵な作品なのに…と、、、
画像では伝わりません(T_T)
でも、作者の、沙弥島への想い、アートフェスタへの想いが私にはものすごく伝わってきます。


画像はナシです。ぜひ、直接訪れてご覧ください
教室の椅子に腰掛けると、黒板が投影され、桜吹雪の中、授業が始まります。
風に窓のカーテンがたなびき、柿本人麻呂の長歌が黒板に板書されます。
教室の壁には、毎週の時間割が掲示されていて、私は、この時間割が全部、短縮で体験できるのかと思ったんだけど、そこはムリだったなあ~~~(^_^;)
残念!!
しかし、このインスタレーションは本当に素晴らしかったです。

学校の中に開設されている「えのきcafe」でホットみかんジュースをいただきました。
ここでは香川の「あんもち雑煮」も味わえます。
ホットみかんジュース、生まれて初めてでしたが、すっごく美味しかった。
柑橘類をあたためて飲むなんて、絶対酸味が強くてNGだろう…という概念はすっかりなくなりました!
なので、「あんもち雑煮」なんてNGだろうと思っている方は、ゼヒここで初体験してください。

えのきcafeに展示されている作品
さて。柿本人麻呂さんについては、ちょっとお勉強してから、改めて続編アップいたします。
瀬戸芸、沙弥島アートはこれで終わりですが、私の中ではまだ終わっていません。
香川県人、ぜひとも時間をつくって見に行ってほしい。
香川出身じゃないアーティストも、こんなに瀬戸芸に心を砕いて「島」と「海」について、模索して、自分の中で咀嚼して、作品を産みだしているのだと思うと、、、
私にはそれが波紋のように伝わってきます。