WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

かき氷が美味しい

2011-08-09 | 実父


8/4

父に「ピノ」(一口アイスね)を買っていったら、すやすや寝てたので、欲しくもなかったけど仕方なく全部自分で食べた。
30分ほどで目覚めた父に、「ピノ」のケースを見せたら、食べたそうだったので、
「じゃっ、一個だけでも食べてみて。買ってくるから」
…といって、売店に買いにいったものの、1個しか食べられなくて「もういらん」と言ったら、
また残りを全部私が食べるハメになるんだ、そりゃヤだな~と思って、
あずき&ミルクのカキ氷にしてみた。

ホントは、以前から父に、ちゃんとガラスの器に入った、シャリシャリの「宇治ミルク」をどーんとベッドのテーブルに置いて、
食べさせてあげたら喜ぶだろうな~と思っていた。
でも、物理的に難しい、、、シャリシャリの氷は、配達できないもんね。
今日のところはカップのかき氷で妥協、、、

ところが父は、一口食べて「美味しい」といって、ぽりぽり美味しそうな音をたてて氷を噛み砕いて、無言で全部食べてしまった。
お腹こわさないかと、ハラハラする勢いだった。

あーーよかった。でも、もうすぐお昼なのに、これのせいでお昼が食べられなかったらマズイな。
でも、好きなものは、食べたいだけ食べさせてあげたいし…

かき氷のあと30分ほどでお昼ごはんが来た。
ヒロコさんもお昼に間に合った。

父は、お粥しか食べられないので、2,3日前から、お粥を20%ほど増量してもらっていたのだけれど、それも完食できるようになって、魚や卵焼きも、ほんの一切れだけど、食べられるようになってきていた。
点滴のおかげで、体の中も潤って、嚥下がしやすくなったのかな?

今日は、びっくりするほどたくさん食べられた。奇跡だ!
鶏モモ肉のソテーを1/3ほど。
玉葱のお味噌汁も半分。
付け合せのスパゲッティ(ケチャップ和え)
りんご1口

食べてくれたら、すごく嬉しくて、こんなふうに書き留めたくなるってもんだ。
まるで、子供の離乳食の記録みたいだな(*^_^*)

これだけ食べたら、絶対元気がでるよ、お父さん♪

ほんとにほんとに、ヒロコさんも私もびっくりした。
嬉しくて、涙が出そうだった。
泣いてはマズイと思い、TVに集中して平静を装った。
淡々と、黙々と食べる父。
食べるだけでも、本当に体力が要る。味もわからないし、飲み込むのも辛いのは、これまでによくわかっている。
でも、少し味覚が戻ってきて、美味しいと感じられるようになったのかな?

食べるに精一杯なので、一言も口をきかない。
手がトレイの上を泳いで、「次はコレ」っていうのがわかると、ささっ!と介助して、フォークでスパゲッティをくるくると巻いたり、鶏モモをナイフで切って突き刺して持たせてあげたり。
父は何も言わずに、「もう終わり」の様相になったので、ささーーっっ…とヒロコさんが片付けて、食べられたものを書いて病室の外に持っていった。

父は食べ疲れたので、すぐに横になって、うとうとし始めた。

ああ…ほんとによかった。
父は、このところ、少しずつ顔色がよくなり、張りもでて、体の中にエネルギーが湧いてきているように感じる。
主治医の先生も、意外なことと驚いている。

先生は転院した当初、仰ったのだ。
この状態では、もうあと何ヵ月とかそういうスパンではない。
脳も冒されてきているので、会話が通じるのも今のうち。
「だから、できる限り、会いにきてあげて。」
ヒロコさんが泣きながら私にそうTELで伝えてくれた。
私も一緒に泣いた。

私たちは、1ヵ月と覚悟した。

今日でその1ヵ月が経った。


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ピーナッツ揚げを餌のように食べる

2011-08-08 | 実父


8/2

昨日、病院にいったとき、父が「明日は何時に来るんな?」というので、ホントは忙しくて行く予定じゃなかったけど、ちょっとだけ顔を出そうと思って、仕事の帰りに制服のままお見舞いにいった。
私に来てほしいって思ってくれてんだ…
私にできることはあまりないんだがなあ…
行っても、父は何か話をするわけでもなく、機嫌は、いいときより、悪いときのほうが多い。
あまり細かく世話をやこうとすると、すぐに不機嫌になる。
でも、私に気を使うより、不機嫌になったり、我儘を言ってくれるほうが「身内」と思ってくれてんだ…って気がして、私はホッとする。
世話をやくより、「おとーさん、これちょうだい」とかいって、甘えるほうが喜んでくれる。
これから、食事の介助に行くときは、父の食事の残りは全部食べよう♪

父は落花生が大好きだそうだけど、今は痩せて入れ歯がフィットしなくなったので、自分の歯だけで食べなきゃいけない。
落花生は食べられないので、ピーナッツ揚げをぽりぽりと食べる。
それも、気の向いたときだけ。
落花生は千葉産が美味しいというので、うんうん、Takの父親は千葉の出身で、千葉の美味しい落花生をどっさりもらったことがあるよ…
他愛無い会話だけど、父がなにか自分から言うことはすごく嬉しい。この会話をできるだけ引き伸ばしたい…

今日はそのピーナッツ揚げを「食べる?」といって持たせてあげたら、寝たまま、袋の残り僅か10個ぐらいを全部食べた。
なんだか、動物におやつをあげているような感じだった。
無言で…私が手に持って待機している「ピーナッツ揚げ」を、父は、食べ終えたら自分の親指と人差し指で掴んで口に運ぶ。
美味しいともなんとも言わずにひたすらポリポリ食べる。
同じことを10回繰り返す。
もっと食べたかったかもしれないけど、「これで終わりだよ」
その後、口の中が気持ちわるくないかなーと思って、
「お茶飲む?」とか
「歯磨きティッシュする?」とかいうと、
「そんなにごちゃごちゃ言わんでもええ」と、不機嫌になる。

「私、もうレッスンあるから、帰るよ、晩ゴハンはヒロコさんが来るからね。」
父がいうには、ヒロコさんは、「勝手で我儘」なのだそうだ。
よくいうよ。
こんな菩薩さまのような人に向かって、、、
「アイツは人のことをかまいたいんや」だって。
でも、「うんうん、そうやね~」といって二人で笑って盛り上がる。
前歯のないにこにこ顔。これが最高。

私は、父に少しでもたくさん笑ってほしい。
楽しい気持ちになってほしい。
父の食事の残りを食べにいくのは、名案だな。
でも、私のために、何も食べなくなるのはマズイ…
こんな攻防がこれからも続いていく。


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大静脈への点滴

2011-08-07 | 実父


7/29

父は転院して暫くは、何の処置もせず、薬を飲むだけだったけれど、点滴が始まった。
それで少し父は元気になってきた。
転院した当初はすっかりひからびていたのだ。
介護タクシーに乗っての2,3キロの移動だけで、またまたドッと消耗してしまった。
主治医の先生にも、家族には余命を厳しく宣告されていた。
でも、点滴の影響で顔にも少し艶がでてきた。
点滴で水分を体に入れることで、足がむくんだり、腹水が溜まったりという副作用もあるので、
実はとても慎重にしなくてはいけないとのことだった。
心臓近くの大静脈にカテーテルを入れるという点滴。
これで、暫く経ってから父は食欲も少し出てきた。
父の食事は、美味しくも楽しくもなく、ただ、「生きる」ために頑張って食べるだけのもののようだ。
嚥下もだんだん辛くなってきつつある。
ベッドを起こして、10分程度、食事をするだけで、ドッと疲れる。
それでも、私は、なんとか食べてほしくて、お粥の最後の一口をさらえて、父の口に運んだり、
卵焼きを一口、「ちょっと食べてみて!」と、有無をいわさず放り込んでみたりする。
父が、私の食事の介助を受け入れてくれたことはとっても嬉しかった。
ものすごく頑固な父。娘の世話は要らない、自分でできる…と拒まれるのではないかと心配だったけれど、
「どさくさに紛れる」感じで、自分でもうま~くできたな…と、「してやったり」な感じ。
でもそれは、自力では無理なので、自分のプライドを折っても、娘を頼ることでもある。

「お父さんの世話焼きたいんよ。せっかく会いに来とるのに、世話焼かしてよ~」
…と、父が惨めな気持ちにならないように盛り上げる。

長い付き添いの時間、なにか父にしてあげられることはないかなあ…と考え、本を読んであげることを思いついた。
Takの4年生時代の、「10分で読めるおはなし」と、小学高学年向けの太宰治の本を持っていった。

「お父さん、本よんであげようか?」
父は、「ええわ~ 寝てしまうわ」と言うものの、にこにこ笑っていたので、
これまた有無をいわさず、「ほな聞いてよ」といって、西條八十の「六さんと九官鳥」というお話を読み始めたのだが、、、実はこの「六さん」っちゅうのは、途中で病気で死んでしまう。
やっべ~~、、、選択が失敗やったな…と思いつつもとりあえず読み進めていくと、落語みたいに、九官鳥がいろいろ喋りまくって、活躍する結末になるのだが、父はほとんど反応がなかった。

それからまた2時間ぐらい経って、また「またなんか読んであげようか?」といったら、やっぱり「ええわ~」といいながらにこにこ笑っているのいで、次は、「走れメロス」を朗読してみた。
30分ぐらいかかったかなあ…
父は、ずっと目をあけて聞いていたけど、何を思ったか不明。あえて感想は聞かない。


読み終わって5分ぐらい沈黙が続いたあと、
「さあ、行こう」
と言いだした。
「どこ行くん?」
「天満屋に、漬物を買いにいく」
「お漬物なら私が買ってきてあげるよ。お父さんは、前は、天満屋にいつもお買い物に行ってたの?」
「前ゆーてなんや」
「亀井町(自宅)にいた頃」
「何をヘンなこと言いよる、今も亀井町におるがな」

父は、「帰宅願望」「外出願望」がとても強くて、当然だとは思うんだけど、自分の今の体の状態を忘れて、今でも外に行こうとする。
それも、1日のうちで、たぶん、時間がほぼ決まっているんじゃないかって気がする。
以前、高松病院で「シンボルタワー」の中華料理屋に行こうとした頃より、さらに衰えていて、どうしたってベッドから降りることなんかできない。

認知が進み、体は衰えていく…

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7/12 幻覚・妄想

2011-08-06 | 実父

7/12

昨夜、弟から「明日病院に誰も付き添いでいけないので、行ってもらえないだろうか」とのメール。
無理。
店では一人営業してるし、ホントのホントに危篤とか、そんなんじゃなきゃ、何度も周囲に迷惑かけられない… 悲しい、、
弟に父の様子を聞いてみたところ、1日中寝てて、息をしているだけだったと、、、、

せめて仕事が終わってから少しの間でもと、病院にかけつけてみると、意外にも父は元気で、お見舞いの生徒さんがいらしていて、にこにこ楽しそうに話をしていた。
しかし…やせ細って、骨が皺シワの皮で覆われているだけの父。髪の毛も真っ白で、髭も伸びて、しかも、パジャマ(浴衣)の裾から紙パンツほとんど丸出し状態…
生徒さんの前でこんな姿でいるって、なんだか可愛そうに思えるんだけど、、、
もうちょっと、身だしなみをなんとかしてあげたい、、、
でも、もうそんな見栄より、父が、生徒さんとの時間を、少しでも元気で、楽しそうにしてくれているほうがいい。

こんな日もあれば、1日ものも言えずに寝ているだけの日もあるのだな。
父は、食事ができず、お粥だけしか食べられない。 それもお茶碗に半分程。
そしてそれが、最近は1日1回になりつつあるとか。
先日は、七夕の素麺を、美味しそうに食べた。
「つるつる」と美味しそうにすする音に、まだ力を感じた。
すごく安心するし、素麺をすする力が嬉しい。
出汁が美味しかったんだそうだけど、それでも、3分の1程度で、もう、食べることに疲れてしまった。

お見舞いの生徒さんが帰ってから、父はまた妙なことを言い始めた。
「ヒロコさんが、このフロアーの端っこの部屋で昼寝をしているので、早く起こしてきてくれ」と…
「わかった、端っこの部屋やね。ちょっと待っててね。」

約2分、部屋の外に出て時間を費やす。

「お父さん、ヒロコさん、ベッドにおらんかった。看護士さんに聞いてみたら、もうレッスンなので、教室に帰りますって言って、出ていったんだって。」
(ダンス教室=父の自宅 今もヒロコさんは、そこで生徒さんのレッスンをされている)

父は納得した。
そして、ヒロコさんに電話攻撃が始まった。
「もう今、教室を出たから、あと30分で病院に着くからね。」
待つ30分は、とても長い。
病院の壁から何か自分に迫ってきたりするのが見えるらしい。
「アンタ、何しよるんな!」
誰に向かって叫んでいるのか、普段はかすれて出ない声を振り絞って力いっぱい叫んでいる。
「お父さん、誰がおるん?」
「ほら、アレが倒れてくる、アンタも、気ィつけな、下敷きになる。」
「お父さん、ここの病院は頑丈やから、そんない簡単に壁はつぶれんよ。大丈夫。」
「ああ…壁か、、、」
幻覚が消えたのかな…? 本当にホッとしたカオになる。


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ミヤマクワガタとJINさん

2011-08-06 | 教育ママ日記





Takがバイブルキャンプと、エコサイエンスキャンプのハシゴから帰ってきました。
4日間、どっぷり自然に浸って、さぞ充実したことでしょう。

4日間といっても、バイブルキャンプ1泊、エコキャンプ1泊。
バイブルキャンプは、本来2泊のところを、キャンプ日程が重なってしまったので、
1泊めの夕方で敢え無くリタイア。
「カブト&クワガタツアー」といって、森の中に入って、カブト虫やクワガタを捕る罠をしかけただけで、翌朝の捕獲は見ることができず帰ってきてしまった。

SYOさんから、翌朝、次のキャンプの支度をしているところにTEL。
彼は、今回のバイブルキャンプの教師でもあるのです。
「おおきなミヤマクワガタが取れたよ、全部で3匹、捕まったよ」
「ええ~~~っ!ミヤマ!!」

よかったね~~♪

そして、バイブルキャンプが終わったら、すぐに、3匹のクワガタたちを持ってきて下さいました。

ミヤマクワガタは、土にほとんどもぐらないので、いつでも観察できる♪
あとの2匹は、しょっちゅうかくれんぼしてます。





これまで、カブトやクワガタはいつもホームセンターや、道の駅で安く打ってたりしたとき、買ってもらってたので、
自分でこんな大きなクワガタを捕獲できるなんで、私もびっくり!
ラッキーだったね。
他にも、竹細工や、ランチタイムには、「あめごのつかみ取り」なんかもやって、自分で捕って食べる!

バイブルキャンプは、塩江「ホテル・セカンドステージ
自然の中でいろんな体験ができる、滞在型のホテルです。

エコキャンプも、四万十まで行って、ラフティングで水と戯れ、最高だったそうです。



お留守番の私の特記事項は、JINさんが久々にレッスンに復帰しました♪
3ヶ月以上ぶりかなあ…

これまで、放射線治療がキツくて、毎日「だるい」「しんどい」状態が続いていて、毎週毎週「今日はお休みします」とTELが。
転移部分を、ひとつひとつ丹念に放射線でやっつけていくという治療。
1日3箇所が限度で、とても気分が悪くなるそうです。

彼は諦めない人です。
なので、「治療中はキツイけど、終われば楽になるので、また調子よくなったら必ず行く」
といって、それが今日。

そんなに大変なら、送迎もするよ、レッスン代も、月謝じゃなく、1レッスンごとでいいよ
…とメールしましたが、
送迎は喜んでお願いしますってことでしたが、レッスン料は月謝でいただきました。
私は、自分の気力を信じて諦めないJINさんが好きです。

実はJINさんは、5月末にマンションの1室を明け渡すことになり、私は少しだけお手伝いにいきました。
その頃のJINさんは、ものすごく消耗激しく、引越しなんてできる状態ではないと見受けられた。
引越し当日だというのに、体も動かず、頭もも回っていないようだった。
手伝いったって、私だって体力ないし、力仕事なんかできないし、結局ちょっとだけの荷物を車で運ぶだけで、なにも役にたてなかった。こんなんでこの日を乗り越えられるんだろうか、、
でも、それでも、JINさんは、なんとかそれも乗り越えて来られた。


久々のレッスン。
目の前にはクワガタ・ルーム
「1匹、いちばん小さいのがいなくなっちゃったんだよ。食べられたのかなあ…」(なんも知らんワシ)
「いや、クワガタは虫は食べない。顎がないから。小さいのだったら、隙間から出て行ったかもしれん。」
そうか、さすがJINさん。

そうそう、JINさんには、先日、宮城の彼女から届いたブルーベリーのおすそ分けをいただきましたが、同時に、Takと私の夕飯にと、手作りハンバーグをいただいたのだ。
大変美味しゅうございました。
黒豆を煮るJINさんですので、ハンバーグはお手もの。

肝心なJINさんのレッスンは…
始めた当初から、「JUPITER」をやってます。
もういい加減で修了しようよ…って思うけど、全然家で練習しないので、なかなか進まない。
でも、声は目に見えて出るようになったし、今日も、体力消耗による衰えはみられなかった。
自己流の発声じゃなく、「出る」発声のやり方もすこしずつわかってきたかな…と思える。

近々、テアトロン(円形野外ステージ)で発声練習して歌おうよ…というのを計画中。
その折には、Takも連れていって、虫捕り&レッスンだね♪


さて、しかし、Takには今日から溜まった宿題をこなすという大きな任務がのしかかっているのだ。
頑張れ!!


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7/6 転院

2011-08-05 | 実父
7/6 転院

父が転院することになった。
病院では3カ月が限度で、これ以上回復の見込みもなく、治療の施しようもない患者は、いつでも家に帰れますよ…といって、追い出される。
父は、入院してからすでに4カ月。
かといって家に帰っても、自力で起き上がることもできない状態で、誰も介護をする人がいない。
ヒロコさんは、ご自宅で認知症が進んでしまっているお母様の介護もされている。
ヒロコさんと弟は、長い間悩みに悩んだ結果、転院、それも、「療養病棟」という、一般の病棟とは違う、積極的な治療は施さないところへ移ることに決めた。

たとえば…一般病棟の患者さんが熱が出たら、血液検査などなどで、発熱の原因を調べ、根本的な「治療」を施すのに対し、療養病棟の患者さんは、熱が出たら解熱剤を処方されるだけという。
看護師の人数も、一般病棟の半分。

「死」を待つだけの人として受け入れてもらうのだ…

父は、ついに「死を待つだけ」の人になってしまった。


弟と、このところ長電話をしまくり。

弟とは両親の離婚で子供時代を一緒に過ごせず、大人になってから再会したものの、私たちの子供時代のことについてなんか、ゆっくり語りあうことはなかった。
相続の問題もあり…というか、弟にとっては、それがいちばんの悩みのタネなんだよ。
たいした資産価値もない、猫の額のようなダンス教室。
それでも、相続は相続。
父の家は、戸籍上とても複雑なことになっている…
このまま父が亡くなったら、大変ややこしいことになってしまう、、

「全部ヒロコさんにあげたらいいと思う」
というのが私の意見。
できるだけそれに近いように、弟には力を尽くしてほしい。

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6/ 希望と諦めの狭間

2011-08-04 | 実父
6/

先日の件に関して、弟とTELで長い間話をした。
父は、そんなにも外に出たがったり、家に帰りたがっている。
少し、気分転換に、車椅子で外に出てみてはどうか…と。

結局、ある日地曜日の夕方、日差しが少し翳って落ち着いた頃、家族みんなで父の気分を盛り上げながら、外を散歩してみることになった。
その日、私は、急遽いけなくなって、結局ヒロコさんと、弟と、息子のRinが付き添ったようだ。
Rinが、とても気を使いながらじーちゃんの車椅子を押したそうだけど、痩せた体には、道路のノイズが骨に直接伝わってきて、苦痛で疲れ果てたようだった。

自分の望むことと現実とのギャップに、父もがっかりしたことだろうな…
リハビリも、現場復帰を目指して頑張っていたけれど、あまりにも体力も筋肉も失ってしまって、
元の状態には戻れないことを、心の底で実感し、本人も悩み、不安、いろんな思いが入り混じっているのでは…
「もうダメかもしれない」「でも、希望を捨てたくない」
それは、私たち周囲には決して口にしないことだけれど、、、

父が癌だということは、本人には伝えていない。

私は、父が自分の病気の本当のことを知らないことが、いいのか悪いのか、どう考えたらいいのかわからない。
でも、とにかく、本当のことを伝えないのは、パートナーのヒロコさんの意思なのだ。
ヒロコさんと父の関係で、これでいい…というなら、それがベストなのだと思う。

私は、80代の高齢者の癌は、恐れることはないと思っている。
ゆっくりと年齢相応に進行していく、「老衰」のようなものだと…
がん細胞は、本人の体力、気力で、広がらず留まっていられるものだと信じている。
父には、家に帰って、さらにもう一度レッスンに立てるまでに復帰してほしい。
私は、やっとSYOさんのスタジオができたので、一緒にワルツを習いにいこうと言ってた矢先のことだった。
そのことは、最初に父のお見舞いに行ったときに伝えたけど、覚えてくれてるかな…
父からダンスを習いたい。
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6/23 麻婆丼を食べにいきたい

2011-08-04 | 実父

6/23

今日はたい焼きを買っていったけれど、「食べる?」というと、父はすご~く欲しくなさそうに「いらん」と言った。
このイヤそうな顔、もう慣れっこになったけど、ホントに子供のように「ああ、イヤだ」って顔をする。
じゃっ、お茶飲む? 今日は、めっちゃ暑いけど、熱いお茶のほうがいい?

父は、2月末からずっと同じ病室で過ごしていて、季節の変化を感じられない。
お見舞いの人が持ってくるお花やほんの少しの果物ぐらいしか「季節」とのパイプがない。
…というよりも、あまり四季の移り変わりに興味もなくなるんだろうな。
あまりに長い入院生活では、、、

「お父さんのお茶が美味しくてさ~~
匠がお茶が好きじゃなくて、ウチはお茶っ葉もないし、冷蔵庫にも「お水」を冷やしてるんだよ。
私も、なんだかお茶を淹れて飲む習慣がなくなっちゃった。
でも、病院に来るようになってから、お父さんのお茶が美味しくて、
私もお茶と急須を買ったんだよ…
それも、お茶一杯ぶんの、小さな急須だけど、コレがすごくいいのよね。
茶漉しも、大きな網が、急須にぺったりと付いてて。」

そんな会話から、病院の食事が口に合わない話(これは毎回同じ)、
そして、今日は、サンポートのシンボルタワー(高松駅前の高層ビル)の最上階の、中華レストランの麻婆丼、または、坦々麺が食べたいって話になった。

もうすぐ退院。もう何を食べても飲んでもいいですよ。
ビールでもなんでも。

…と、主治医の先生は仰ったそうなのだ。

「え~~っ!ビールもOKなん? ほな、こんど、こっそりチビ缶買って来てあげようか?
キンキンに冷えたヤツ。
一口きゅ~ん!と飲んだら、美味しいやろね~~!!
眩暈がするかもしれんけど。
でも、ヒロコさん(パートナーさん)に怒られるやろな~~
絶対内緒にしとかないと…バレたら私、出入り禁止になるわ。」

麻婆丼とか、坦々麺って、濃い味付けでピリ辛で…父の気持ちはものすごくわかる。
退院したら、絶対連れていってあげたいと思った。

病院の食事がもう限界的にイヤで、どうやら、昨日も絶食だったらしい…

「シンボルタワー」は、病院から2km弱。
病室の窓から見える…

暫く、食べ物の話で父と盛り上がっているところに、ヒロコさん登場。

父は、ヒロコさんには甘えモード全開で、我侭放題が始まった。

「これからサンポートに中華食べにいく。用意して。3人でいこう。」

行くったって、どうやって? 
「車椅子で、タクシーに乗ればいける。」
この格好ではお店に入れてくれないよ。
「着替え取ってきて。はよ!!」

止めようとするヒロコさんに、「早くしろ」と食ってかかる父。
窓から見える、目と鼻の先のシンボルタワーに行くぐらい、どうってことないと父は思っている。
気持ちはもう外なんだね。

でも、それとは裏腹に、父のリハビリは全然進んでいない。
自力で身体を起こすことも、支えることもできない。立つことも。
「じゃあ、起きてみる?」
ヒロコさんと私で両脇を抱えてベッドから降ろして父を立たせてあげた。
それだけでも大変な作業。父は1人で立てないし、数秒もすると足がガクガクと震え出す。
これが、あの入院直前まで踊っていた父…
悲しくなる。
それでも、意地でも外出しようとしている父。

食事に出かけると言い張る父に面と向かって逆らうと、もっと大変なことになるので、着替えを取りにいくフリをして、病室から出て、ナースステーションへ…
暫くして、男女2人の看護士さんが駆けつけてくださった。

「古川さん…どうしたんですか、だいじょうぶですか?」
「大丈夫です、ちょっとそこまで30分ぐらい、食事に行ってきますから」

膝をガクガクさせながら立っていた父は、とりあえずベッドに座り、女性の看護士さんは、父の膝をさすりながら、今の状態では、怪我をしたら大変なので、外出は認められないことを、子供に言い聞かせるように話してくださった。
それは、主治医の先生の指示であることも伝え、父はおとなしくベッドに横たわった。

父が横たわるとき、私には、父が一瞬なんだかホッとしているように感じた。
あれほど意地を張っていても、身体は辛く、ほんの数分でも、自分の身体がいうことをきかない…
先生の指示で、ベッドに戻ることに、安堵しているんじゃないかと感じた。
数分立っているだけでも、とても辛かったのだ…

それでも、一方では、父はこの不本意をヒロコさんにぶつけまくった。
私は、ヒロコさんにそれとなく促されて、父に「じゃあ、また来るね」といって病室を出たけれど、その後、ヒロコさんは、父に詰られまくり大変だったようだ。
ヒロコさんは、何も悪いことしてない。
彼女は、いつもベストを尽くしていて、全てを引き受けて、良くしてくださる。
…天使のような方なのです。
父はそれに甘えきっている、、、

父の気分を盛り上げてしまったのは私なのだ。
それの後始末は、すべてヒロコさんがしてくれた…

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実父の入院

2011-08-03 | 実父
いつも応援ありがとうございます。

実父が、2月から入院しています。
肝臓がんです。
現在治療の施しようもなく、最初に入院していた病院は期限切れで、別のところに転院を余儀なくされました。

当初、私は、父は高齢ということもあり、進行はゆるやかで、一時退院、復活の希望も持っていました。
父は、倒れて入院する直前まで、踊っていたのです。
父は社交ダンスの教師です。

でも、肝臓の癌を焼き取る処置があまりに長時間の激痛で、過酷だったので、消耗が激しく、
父はそれから寝たきりになってしまいました。

私は、父の復活を信じたかったので、このことを周囲に伝えると、
なんだか、「父はもう助からない」波動が広がっていきそうで、
誰にも言いたくありませんでした。

けれども、父は今、少しずつ脳にも障害が出て、退行していっているようです。

実父との交流を、記録としてブログにアップすることにしました。
父が生きているうちは、Takの成長記録と同じパスワードで、親しい方限定にしたいと思います。

ほぼ毎日のように更新するかと思うけど、ブログには更新のお知らせはしません。

自分自身の記録のためで、誰かに読んでもらおうというような目的ではないのですが、父が亡くなったら、この文章もパスワードをはずして公開しようと思っています。

今は、父を天国へ見送ってあげるか、いま少し、ここにとどまって、私たちのために生きてほしいと願うのか、どう考えていいのかわからないのが正直な心境です。


......................................................................................



2月~3月

弟の携帯に、LIVEの案内メールを出した。
すると、「親父の具合がどうも良くないらしい」と返信。
急いで実家にTELしてみると、ヒロコさん(パートナーさん)が出て、「今、熱が出て、休んでいて、このことは、心配をかけたらいけないので、息子、娘たちには言うなと緘口令が敷かれているから、電話を変わることはできないの。ごめんね」と。
そして、私のLIVEの日に父は入院した。

肝臓癌。

大きなポリープが3箇所もあり、その1つが、胆嚢を圧迫している。
放置しておくと、すぐにでも胆汁が逆流し始める。そうなると、黄疸が出て、数日の命…とかなんとか。
高齢なので手術は不可能。
患部にレーザーを差し込んで、胆嚢を圧迫している部分だけ焼き切るという処置をすることになった。
激痛が続く、とても辛い処置なのだとか。
父はそれを2時間堪えて、そこで限界。あまりにも消耗が激しく、それ以来寝たきりになってしまった。

私が父に会いにいく許可が降りたのは、入院から2週間後ぐらいだったかなあ。
最初は、弟にも言うなといっていた父だけれど、ヒロコさんは戸籍上妻ではないので、「家族の同意」が必要な入院後の様々な処置などに対応できないからということで、弟にだけは打ち明けることを父は許可した。

私にも伝えていいと言われて、すぐに会いにいったところ、父は、点滴だらけで腕一面紫色になり、口の中も血の塊だらけで黒くなっていた。
処置後、血小板が著しく減少して、内臓からの出血、吐血などが暫く続いた。

入院直前まで踊っていた父は、自分の身体の急激な消耗や変化を受け入れられず、点滴をはずして自分で起き上がってトイレに行こうとして、便にまみれるという大失敗したり、口の中の血の塊を取り除こうとしたり、周囲が肝を冷やすこと度々。
完全介護とはいえ、看護士さんに迷惑をかけてはいけないと、日中は家族が付き添う日々が続いた。



4月

1日は父の85歳の誕生日。
小さなブーケを買って行った。
病室には、ヒロコさんがお花だけで作った大きなバースデーケーキが飾ってあった。
白とクリーム色とピンクの、淡くてかわいい色合い、ほんとにお菓子のようで、ヒロコさんの父に対する愛情がぎゅぅぅぅっっと凝縮されてる。
ほんとによかったね、お父さん、こんな優しい人にずっと付き添ってもらって。
30年以上、仲良くパートナーとして歳月を重ねてきた2人。
年齢差20歳以上。
ダンスのパートナーが、いつしか人生のパートナーに。
ヒロコさんは、今でも父のことを「先生」と呼ぶ。
私がヒロコさんに初めて会ってからもう四半世紀が過ぎたけれど、彼女は今でも可愛い。
そして、ずーーーっとラブラブ♪
私が付き添っているとき、いつも「遅くなってごめんごめん」と言いながら、にこにこ笑顔で病室に入ってくる。
父はいつも機嫌がいいわけではなく、彼女に甘えきっているので、時には不機嫌この上ない態度をすることも。
愛情こめて父の顔を覗きこむヒロコさんに、「じろじろ見るな。覗き見お断りや!」とキツくいうことも…
「ハイ。」
ヒロコさんは、決して逆らわない。



血小板の輸血、点滴などは約2カ月続き、その間絶食。
その後、点滴がはずれて、楽しみにしていた食事ができるようになっても、病院食が口にあわないといって、お粥しか食べない日々。
ドクターから何を食べてもいいですよといわれて、好物の海苔の佃煮や、梅干など持っていっても、肝臓の障害によって、味覚が変わってしまったのか、苦い、不味い…といって、食べられなかった。

ある日、鯛焼きが食べたいというので買っていったら、「ウマイ」といって、1個全部ぺろりと食べることができた。
周囲は大喜びで、希望の光が見えたけれど、いつも食べられるわけではなく、手探り状態で、父が食べられそうなものを、家族やお見舞いの生徒さんが持ってくる…
果物も、次々といただくけれど、見ただけで嫌そうな顔をしたり、美味しそうで食べてみても、2口でギブアップということも。
とある生徒さんが、どこだかの大学の農学部の畑で育てたという新鮮なスイカを小さくサイコロのように切って、親指くらいの小さなフォークも一緒に持ってきて下さった。
彼女は、「先生、ちょっとだけ食べてみてください。」といって、フォークごと父に手渡す。
介護ってこういうものなんだ。
食べさせてあげるのでなく、自分でフォークやお箸を持って食べられるように…との彼女の気遣いは、素晴しいと思った。




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夏休み 中間報告

2011-08-02 | 教育ママ日記






もう8月!
ほぼ3分の1は終わってしまった…

7月末のある日のこと…
それまで「宿題進んでる?」程度しか聞いてなかったので、いちどチェックしようと「夏休みのくらし」(香川の伝統、夏休みワークブック」を見てみたら、1ページの2/3しかやってなかった!!
怒り炸裂!
「夏くら」問題集のページだけでも40ページぐらいあるのだ。
全然やってないに等しいじゃん!

これまでやったのは自主勉ノート7,8ページのみ。(1日2ページが決まり)

当然のこと私はブチ切れまくり、やるべき宿題を全部書き出してプリントアウトして壁に貼り、これまでの自主勉強ノートをやり終えるまで寝るな!と言い放った。
夜中の3時までかかった。
翌日は教会のデイキャンプ。
…といっても、どこかにでかけるわけじゃなくて、教会の敷地内で、お話を聞いたり、ゲームや工作をしたりするのです。
さすがに1日遊び疲れて、バタンキュー…で寝るかと思いきや、
その夜も、「夏くら」の「社会」を終わらせると。

従兄弟のRinは、もう「夏くら」が終わったという話を聞いて、さすがに焦ったらしい(^_^;)

ヤルじゃん。
でも、「夏くら」の「社会」難しい…
設問の意味が、大人が見てもわかりにくい…っちゅうか、はっきりいって、ヘン!と思うような問題もあって。親子で取り組む羽目に、、、

さらには、家庭科の「調理」の宿題もクリア。

画像は、「鮭のチャウダー」と、「ベトナムフォー」
朝食のメニューとして、1椀で栄養が整うものってことで(*^_^*)

私は監督のみ。








Rin父が、Rinの「夏休み計画表」をTakのために作り直して送ってきてくれた。


しかし、今日からまたTakは、バイブルキャンプと、エコサイエンスクラブの合宿をハシゴします。
またまた帰ったら遅れを取り戻すのに大変だ、、、、

もう来年はいくらなんでもフォローしないよ、母は!!


Comments (3)
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