ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

ゴミ

2007年06月14日 | Weblog


山道を歩いていて、なんと言っても気分の悪いものは
「ゴミ」だ。
特にコンビニの袋やペットボトルだと、気軽に来たと
いうある程度の背景までも見えてくるので、その安易
さに腹が立つ。
多分、特別悪質な人間ではなく、まあ普通の範囲内の
人間だと思うのだが、実はこの層の人間が一番問題な
のかもしれない。
「まあいいか」という軽い気持ちで捨てていくか、無
意識的に捨てていくか、どちらにしろ捨ててはならな
いという意識が希薄なのだ。
つまり、公共空間に対する意識が。
マナーの低下なんていうのはもう周知の事実なので、
嘆いたって何も始まらない。
テレビだったら、キャスターが尤もらしく「日本人のマナ
ーはどこへ行ったのでしょうか」で完結するが、事態
は何も変わらないのである。

いつも行く山散歩のコースにも当然ゴミが。
基本的に車で入れるところは、どこも似たようなもの
だろう。
登山でもゴミ問題はあるから、車の人間だけがという
ことではないが、確率的には圧倒的に車の人間の方が
駄目なやつは多いだろう、と思う。
全体の数も多いし。
こういうのは、誰かが捨てるとそれが呼び水のように
なる。
この現象から考えても、初捨てにはそれなりの躊躇が
あるということだから、真の悪質人間はそれ程多くは
ないと考えられる。
ゴミ捨て防止に一番効果あるのが、鳥居を立てること
だと聞いた事があるが、結局防止効果を期待できるの
は、それぞれの意識の向上ではなく「呪い」というこ
とであるようなので、標語などの無駄な看板(本当に
効果があると思っているのだろうか)はやめて、如何
にもいわくありげな、赤い鳥居でも立てまくればいい
のではないか。
ついでに五寸釘でも打って。
多分、日本全国鳥居だらけになるだろうが。

で、いつものコースのゴミだが、ここで嘆くだけだっ
たら、それこそ尤もらしい「キャスター」と変わらな
いので、実際にゴミを拾うことにした。
いわば「一人ボランティア」。
この手の活動は直ぐに「偽善的」とか「売名行為」と
ある固定観念で見られがちだが、そういう気持ちがあ
るにしろないにしろ、大事なことはゴミがなくなるこ
とだから、どっちでも良いことなのだ。
むしろ、そういうことを言う人間のやらないことに対
する「言い訳」の意味合いが強いのではないか、と思
えてならない。
良いことをしているという「自己陶酔」。
全く無いとはいわないが、優先すべきは目の前のゴミ
をどうするかということなのだ。
それでいざやってみると、風化しつつある缶とか、水
がたまったペットボトルとかを回収する行為に、「何
でこんなことしてるのか」とつい自問してしまうよう
な作用があることが判った。
「陶酔」はむしろ重要な要素であるのだ。
そんなものでもないと、本当馬鹿馬鹿しくなるのだ。
後で分別もしないといけないし。

コメント