これだけ寒くなると、「滝壺ビオトープ」のヤゴは、
砂に潜ったままか、或いは、藻の中に隠れてたのか、
全く姿を見せない。
冬を越すまでは、もうこのままであろうか。
それより、ちょっと小石を移動して絡みついたゴミを
除去したのがまずかったのか、10ミリのヤゴ一匹が
ひっくり返って死んでいた。
移動した小石を戻したとき、圧死したのではないかと
思われる。
たかがヤゴ一匹であったが、非常に気分の悪い出来事
であった。
ヤゴ一号か二号か三号か判らないが、隊員を失った隊
長の気分はこういうものかと想像してしまった。
T君は、この前蕎麦屋(初めての)に行ったらしい。
元々がそれ程蕎麦が好きというわけでもないが、その
ときついでに蕎麦屋での過ごし方を教えようと思った
のだが(Y流の)、時間がなくて出来なかったのが心
残り。
それは、蕎麦屋での支払額の限度はどの程度までが許
容範囲なのかということにも関わってくる。
今回T君の頼んだものは、田舎蕎麦一枚1200円と
いうものだった。
これを聞いて、個人的には高いと思った。
脱サラ系モダン蕎麦屋では、この値段はそう珍しいも
のではないと思うが、珍しくはないかもしれないが、
食べに行こうとは思わない価格である。
今回のT君が行った店は、こういう脱サラモダン系で
はないらしく、古民家をそのまま蕎麦屋にしたという
店。
こういうのも、田舎には結構ある。
そして、そういう店は二タイプに分かれる。
蕎麦そのものも、田舎のおばちゃんが打つ、素朴なタ
イプを提供する民宿型と、外見は古民家でも、中はちょ
っと洗練された内装で、出す蕎麦も田舎、セイロ、更
級といくつか用意した洗練型の店とに。
で、今回のT君の行った店は、どうもこの中間のよう
なものであるらしい。
民宿型であったら価格はせいぜい800円まで。
価格からすれば、完全に洗練型或いは脱サラモダン系
だ(格好つけすぎと嫌う人間も多い)。
そして、店内はどうかというと、どうやら民宿型の、
普通の家そのままの雰囲気らしい。
ところが、出す蕎麦は、三種と脱サラモダン系(一茶
庵系というべきか)なのだ。
ということは、器は民宿型、中身は脱サラモダン系と
いうハイブリッド蕎麦屋であったのだ。
と、どうでもいい蕎麦屋分析はこの辺にして、一番T
君に言いたかったことは、その蕎麦屋での粋な時間の
過ごし方についてなのだ(Y流の)。
やはり、おつまみをいくつか頼み、お猪口を口に運び
時間を気にせずゆったり過ごすのが、粋な蕎麦屋のつ
かいかたなのだ。
支払額は、七八千円も厭わない(しつこいようだがこ
れがY流)。
つまり、1200円で高いなどと言ってたら、蕎麦屋
で粋な時間を過ごすことなど到底できないということ
なのだ。
私は、一生無理である。