ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

エリック.ロメール

2008年11月21日 | 映画


エッリク.ロメールの「グレースと公爵」をBS2でやっ
ていたので早速録画する。
予約録画も久しぶりにするので、すっかりやり方を忘
れていたが、何とかセットする。
これはずっと観たいと思っていたものだ。

もともとエリック.ロメールは好きな監督で、作品の
九割方は観ていると思う。
カメラ一つあれば映画は出来る、と公言するくらいに、
あまりお金をかけずに作ってしまう監督であるが、確か
に作品の多くは、大掛かりなセットを使うこともなく、ロ
ケで済ましているのだろうなと思わせるものが多い。
スペクタクルとは全く無縁な監督である。

以前、「モード家の一夜」を(これは自分のビデオコ
レクション)、ちょっと映画好き、そして文学好き(村
上春樹が好きだったような)の人間に貸したことがある。
どういう反応を示すか興味があったが、それは予想通
りというかあまりに普通で、その人間に対する個人的
評価もちょっと低いものとなった。
その感想は、一言で言えばドラマがないということだっ
た。
これは、多くの人が「エリック.ロメール」の映画に
対して持つ感想である。
話が普通すぎて面白くない。
或いは、日常の世界過ぎて面白くないと。
「小津安二郎」に対しても言われがちな感想である。
それは、映画を(ここは文学にも置き換えられる)物
語としてみた場合の感想であり、同時に、それでしか
映画をみられないという限界をも表わしている。
どうしても、波乱万丈、劇的なもの或いは起承転結を
求めてしまうのだ。

例えば、日常の風景の中に一瞬きらめく瞬間を映画が
捉えても(ロメール作品の魅力の一つ)、それを感知
できないのは仕方ない。
見えない人には見えない世界としか言いようがない。
「小津安二郎」の世界にも欠かせない、日常の中に現
れる普遍の世界、いい映画に共通するのはこの部分で
あると思うが、これがなかなか理解されない。
なんでもない路地の風景。
水面に映る太陽のきらめき。
人の後姿。
これらのなんでもないと思われる映像が、映画となっ
たとき生命を吹き込まれ魅力的なものとなるのだが、
物語の筋のみに囚われてしまうと、それらは、いつま
でいっても単なる日常、退屈な風景であるのだ。
だから、世の中の映画評は、あらすじが重要な意味を
持ち、ネタバレという言葉すら生まれたのである。
はっきり言って、そんな映画は大したことはないのだ
が、そんなことを思っている人間の方が極極少数であ
るのだから、実は、こちらの方が大したことないとい
われる立場なのかもしれない。
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