ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

ゴミ

2007年06月14日 | Weblog


山道を歩いていて、なんと言っても気分の悪いものは
「ゴミ」だ。
特にコンビニの袋やペットボトルだと、気軽に来たと
いうある程度の背景までも見えてくるので、その安易
さに腹が立つ。
多分、特別悪質な人間ではなく、まあ普通の範囲内の
人間だと思うのだが、実はこの層の人間が一番問題な
のかもしれない。
「まあいいか」という軽い気持ちで捨てていくか、無
意識的に捨てていくか、どちらにしろ捨ててはならな
いという意識が希薄なのだ。
つまり、公共空間に対する意識が。
マナーの低下なんていうのはもう周知の事実なので、
嘆いたって何も始まらない。
テレビだったら、キャスターが尤もらしく「日本人のマナ
ーはどこへ行ったのでしょうか」で完結するが、事態
は何も変わらないのである。

いつも行く山散歩のコースにも当然ゴミが。
基本的に車で入れるところは、どこも似たようなもの
だろう。
登山でもゴミ問題はあるから、車の人間だけがという
ことではないが、確率的には圧倒的に車の人間の方が
駄目なやつは多いだろう、と思う。
全体の数も多いし。
こういうのは、誰かが捨てるとそれが呼び水のように
なる。
この現象から考えても、初捨てにはそれなりの躊躇が
あるということだから、真の悪質人間はそれ程多くは
ないと考えられる。
ゴミ捨て防止に一番効果あるのが、鳥居を立てること
だと聞いた事があるが、結局防止効果を期待できるの
は、それぞれの意識の向上ではなく「呪い」というこ
とであるようなので、標語などの無駄な看板(本当に
効果があると思っているのだろうか)はやめて、如何
にもいわくありげな、赤い鳥居でも立てまくればいい
のではないか。
ついでに五寸釘でも打って。
多分、日本全国鳥居だらけになるだろうが。

で、いつものコースのゴミだが、ここで嘆くだけだっ
たら、それこそ尤もらしい「キャスター」と変わらな
いので、実際にゴミを拾うことにした。
いわば「一人ボランティア」。
この手の活動は直ぐに「偽善的」とか「売名行為」と
ある固定観念で見られがちだが、そういう気持ちがあ
るにしろないにしろ、大事なことはゴミがなくなるこ
とだから、どっちでも良いことなのだ。
むしろ、そういうことを言う人間のやらないことに対
する「言い訳」の意味合いが強いのではないか、と思
えてならない。
良いことをしているという「自己陶酔」。
全く無いとはいわないが、優先すべきは目の前のゴミ
をどうするかということなのだ。
それでいざやってみると、風化しつつある缶とか、水
がたまったペットボトルとかを回収する行為に、「何
でこんなことしてるのか」とつい自問してしまうよう
な作用があることが判った。
「陶酔」はむしろ重要な要素であるのだ。
そんなものでもないと、本当馬鹿馬鹿しくなるのだ。
後で分別もしないといけないし。

コメント

映画史おまけ

2007年06月13日 | 生き物 自然


こちらの映画史だけを話していたので、次は、Yの方
で何か面白いものはないのかということになったのだ
が、その見てる数は凄いのだが、特別面白いエピソー
ドはその割りに無いようだ。
典型的なマニアだから、行動もその範囲内ということ
らしい。
つまり、例えば、連続長時間見続けたとか、そんな話
には事欠かないのだが、横の広がり、文化的な広がり
に欠けるようなのだ。

「ところで、クロサワについてはどうなの」(私)
「いや、それなりにいいとは思いますが、世間で言わ
れているほど凄いとも思いません」(Y)
「個人的には、娯楽作品の監督としては偉大だと思う
けど、それ以外のはあまりいいとは思えないんだよね、
主にカラー以降の作品に関してだけど」(私)
「僕は逆に、娯楽作品よりそっちの方です評価するの
は」(Y)
「どうせ、<どですかでん>辺りが特に好きなんだろ
う?」(私)
「いいですね、最高ですよ」(Y)

局部を拡大解釈というか、過大評価する傾向があるY
ならではの志向(嗜好)、その辺はよく判る。

「<七人の侍>なんて長過ぎますし、<用心棒>も特
別面白いとも思えません」(Y)
「よくできてると思うよ、両方とも、世界にあれだけ
影響したのもその出来の良さがあったからでしょ」(私)
「今ならスピルバーグとか」(Y)
「そう、それになんか二人は似てるよ、受け入れられ
方が」(私)
「二人とも大監督、ということですか」(Y)
「出だしが娯楽作品で、その後社会派或いは芸術系、
芸術系は特にクロサワだけど、そういう映画に手を出す
という経緯も」(私)
「しかし、その娯楽作品と言われるものが面白くない
んですよ」(Y)
「<椿三十郎>とか<天国と地獄>とか<悪いやつほ
どよく眠る>とか、面白いよ」(私)
「そうですかね、それよりよくできていると言うのは
どういうことですか」(Y)
「色んな要素があるけど、まずテンポが良いというの
があるだろう、そして話の筋に無理が無い、よくいう
リアリティとかいうやつだよ、そしてその話の盛り上
げ方の上手さ、そんなところじゃないの」(私)
「そういうポイントを両者ちゃんと抑えていると」(Y)
「と思うけど、今更ながらだけど代表的なスピルバー
グの映画ってなんだっけ?」(私)
「<未知との遭遇><E.T>ですか」(Y)
「そういえば、両方見てないわ」(私)
「じゃあ、スピルバーグがどうのっていう問題じゃな
いような気がするけど」(Y)
「確かに、正直に言うと<激突>くらいかなちゃんと
見てそれなりに面白いと思ったのは」(私)
「結局スピルバーグって好きなんですか」(Y)
「全然、それに好きとは一言も言ってないよ」(私)
「...。」(Y)
「世間で評価されている理由を想像しただけで、個人
的には、飽くまでも二人は娯楽作品の偉大な監督で、
偉大な作家ではないと」(私)
「ほう、そういうことですか」(Y)
「クロサワは小津でもないし、森一生でもないという
ことや」(私)
「本人の資質が作品を決定すると」(Y)
「いいこと言うね、その通り」(私)
「でも<どですかでん>は良いですよ」(Y)
「またそれか、武者絵的色彩感覚がその後のクロサワ
の特徴と考えると、<どですかでん>が記念碑的作品
と位置付けられると言うのは、映画史的には正しい、
ってそんなことはどうでもええは、それよりそろそろ
この会話終わらせないと、いつまでたってもだらだら
いきそうだよ」(私)
「それはそれでいいんじゃないですか」(Y)
「でも、もう疲れた」(私)
「じゃあ、帰りますわ」(Y)
「ア.ビアント」(私)
「Au revoir」(Y)
フランス映画か。

コメント

映画史3

2007年06月12日 | Weblog


「多分男性はパリ生活の先輩で、初めてらしきその女
性に、パリの情報を教えているという状況だと思うん
だ。女性は盛んにへーという返事をしていて、それは
関心のない<お愛想へー>じゃなくて感心してのへー
だったんだよ、明らかに」(私)
「それで?」(Y)
「どうやらパリの映画事情の話のようで、しかも日本
映画についてだったんだ」(私)
「というと、クロサワとか?」(Y)
「それが違ったんだね、盛んにオッズ、オッズという
言葉を発していて、よく聞いてみるとこういうことら
しい。パリでは小津安二郎と溝口健二が人気で、とい
うより評価が高いということなんだろうね、溝口はミ
ゾグチ、そして小津はオッズと呼ばれていて、今でも
特集を組んで上映されるんだけど、ちょっと違うでし
ょ、という話だった」(私)
「何が?」(Y)
「流石パリだ、ということを言いたかったのだと思う
よ、つまり、日本でもそんな特集あまりしないのに、
パリではミゾグチ、オッズなんだから、ということだ
よ」(私)
「当時は、今と違ってビデオで直ぐという時代じゃな
いから名画座以外でそういうものに接する機会はない
ですしね」(Y)
「衛星映画劇場も無かったし」(私)
「一部の本格派のマニアしか行かないですからね、そ
ういうところは」(Y)
「日本でもその程度なのに、フランスでは日本以上に
というか、日本人以上に日本映画を評価しているフラン
ス人その文化の底力というものは凄い、ということを
言いたかったのだと思うよ彼は」(私)
「クロサワではなくオッズ、ミゾグチというところも
ポイントですね」(Y)
「そうなんだよ、今でこそオッズの映画は殆ど見てい
かにも知ってますよという態度でしてしゃべってるが、
当時は恥ずかしながら名前しか知らなかったからね」
(私)
「女性と同じく、へーだったんじゃないですか」(Y)
「だから今でも鮮明に覚えているというわけだ」(私)

「で、どこが映画的なんですか?」(Y)
「つまりね、異国の地で自分の国の文化を再認識する、
というとありきたりの話になっちゃうんだけど、その
設定が映画的だと」(私)
「どういうことですか?」(Y)
「パリのカフェという、様々な文化が行き来する場で、
一人開放感を味わう異邦人」(私)
「好きですね、異邦人」(Y)
「パリの異邦人、ちょっとステレオタイプか、まあい
い、そこでふと耳にした会話、ここはフランス人の会
話の方がいいから、そういうことにしよう、そこで聞
くオッズという言葉、始めはフランス語かと思ったが
それが小津であることが徐々にわかってくる、主人公
が小津と第二の出会いを向かえる劇的な瞬間」(私)
「いつしか主人公なんですね、それは置いといてその
瞬間が映画的と」(Y)
「そうそう」(私)
「本当にそうですかね?」(Y)
「なんか段々どうでもよくなってきたけど、兎に角、自
分の映画史上では、小津との出会いという意味で深く
記憶に刻まれた出来事だったということだ、これでえ
えやろ」(私)
「へい」(Y)
コメント

映画史2

2007年06月11日 | 映画


「それで、その<スターウォーズ>は吹き替えですか」(Y)
「向こうのやつって吹き替えが多いんだけど、これは
幸いにも字幕、と言ってもフランス語字幕だけど」(私)
「じゃあ、いいですね」(Y)
「何がいいのよ、フランス語よりはまだ英語の方がま
しだけど、字幕なしで理解できると言うレベルじゃな
いでしょ」(私)
「じゃあ、どうだったんですか?」(Y)
「そこは<スターウォーズ>、絵だけ見てれば大体分
かるし、英語と、フランス語も字幕になると簡略化さ
れるからある程度分かって、謂わば複合技でほぼ理解
できたというわけだ」(私)
「なるほど」(Y)
「ただ、フォースってなんだと言う疑問は残った」(私)
「フォースはフォース」(Y)
「後になったらそういうことだったんだけど、パリで
見ると何かより神秘的なもに感じるんだよ、というこ
とはないけど、それまでのSFとは違う新たなSFの
夜明けは感じたねスターウォーズには」(私)
「特撮技術の転換点みたいなものですからね」(Y)
「映画史的に言えば間違いなく記念すべき作品だろう
けど、考えてみるとそれは単に技術の問題で、映画の
中身の問題ではなかったね、その証拠に直ぐ飽きちゃ
ったもの、個人的には」(私)
「CGは飛躍的に進歩しましたけどね」(Y)
「今なんか、またCGかという感じで、映画的にはむ
しろ退化してるんじゃないのかと思うくらいだよね」(私)
「僕もCGは大っ嫌いで、映画的な発想が貧困になっ
たと思いますし、なんかみんなテレビゲームみたいな
んですよね」(Y)
「そういう傾向は非常に感じるね」(私)

「あとパリでの映画関係で、ちょっと面白いと言うか
映画史的なワンシーンに良いんじゃないかという話が
あるよ」(私)
「なんですか?」(Y)
「当時毎日行くカフェがあったのよ、まあ行きつけの
カフェ、なんか格好良いだろう<パリの行きつけのカ
フェ>」(私)
「はいはい、それで?」(Y)
「モンパルナスのカフェなんだけど、モンマルトルじゃ
ないよ」(私)
「分かってますよ、エコールドパリでしょ」(Y)
「そう、芸術家が集まってたところモンパルナス、そ
ういえば<モンパルナスの灯>もモディリアーニだっ
け?それは置いといて、そのモンパルナスにカフェロ
トンドという、今でもある有名なカフェなんだけど、
因みにそこともう一つ向かいのカフェ.ルドームが代
表的モンパルナスカフェね、そしてそのロトンドが行
きつけのカフェだった」(私)
「ふむふむ」(Y)
「何故ロトンドだったのか聞かないの」(私)
「じゃあ、何故?」(Y)
「宿泊していたホテルにロトンドの方が近かったから」
(私)
「...。」(Y)
「ある時、いつものようにカフェオレかなんか飲んで、
パリの中の異邦人を気取ってまったりしていると、近く
で日本語の会話が聞こえてきた。今ほどじゃないけど、
モンパルナス界隈は当時から主に芸術関係の日本人に
人気がありぽつぽついて、多分写真関係だと思うけど
そんな日本人の男性と若い女性の会話だったんだ」(私)

つづく
コメント

映画史

2007年06月10日 | 映画


映画少年Yが、ゴダールの「映画史」のビデオを携え訪
ねてきた。
私に貸すためのものらしい。
映画は、全体で十何時間のもので、とても全部は見ら
れるものではないし全部見る自信もない。
持ってきたのはその2時間分くらいのもので、これだっ
たら大丈夫だ。
そこで話は、自然と各自の映画史についてということに
なった。

「出だしは娯楽映画オンリーだったね」(私)
「たとえばどういうのですか?」(Y)
「ブルースリーものとかかなり好きだったし、ロッキー
ですら映画館で見て恥ずかしながら感動したもの」(私)
「えっ、本当ですか」(Y)
「当時は、完全に一般映画ファンで、話題作といわれ
るものは一通り見た気がする」(私)
「そんな時代があったんですか?」(Y)
「あったんですね、これが。<燃えよドラゴン>なんて
三ヶ所で見たくらいだもの」(私)
「というと?」(Y)
「まず始めが試写室、この時はまだ公開する前で所謂
プロ相手の試写会で、確か淀川さんなんかもいた記憶
がある、どういうわけかもぐりこんで見たんだけどそ
の時の衝撃といったら、会う人会う人にその凄さを喧
伝しまくったよ。そして二度目がこれまた変なところ
だったんだよね」(私)
「どこですか?」(Y)
「フィリピン」(私)
「フィリピン?」(Y)
「しかもミンダナオ島のカガヤンというところ」(私)
「カガヤン?」(Y)
「正式にはカガヤンデオロか、兎に角当時ミンダナオ
島に行く日本人なんかいないときだから、かなりレアー
なケースだと思うよ、そこで<燃えよドラゴン>を観
賞、今でもたまに、あれは本当だったのかと思うくら
い」(私)
「幻なんじゃないですか?」(Y)
「そうかもね、そして三度目が田舎で、つまり当地で
ということだね」(私)
「なんでまた」(Y)
「帰省したときにやっていて、家族で見に行ったんだ
よね、盛んに面白いからと勧めたのは私だけど」(私)
「よほど好きだったんですね」(Y)
「余程好きだったんだよね」(私)

「そうそう、面白いところでこんなものを見たという
のは、もう一つあるよ」(私)
「えっ、なんですか?」(Y)
「スターウォーズ」(私)
「それをどこで?」(Y)
「ちょっと考えられないようなところだよ」(私)
「なに勿体つけてるんですか」(Y)
「勿体付けたくなるようなところなんだよね、これが」
(私)
「だから、どこですか?」(Y)
「パリで」(私)
「パリ?」(Y)
「勿体付けたくなるだろう?」(私)
「確かに、しかしパリでスターウォーズなんて見ます
かね普通」(Y)
「まあ普通は見ないでしょ、観光客は」(私)
「観光客じゃあなかったんですか?」(Y)
「観光客は観光客なんだけど、長期滞在一人旅という
やつだったから、時間が兎に角いっぱいあるのよ」(私)
「美術館とか色々あるでしょ」(Y)
「確かに見所は一杯あるけど、2週間もすれば一通り
済んじゃって、さてどこかないかなという状態になる
よ、なんせ一ヶ月の滞在だから」(私)
「それで、映画で暇つぶしということですか」(Y)
「まあそういうこと」(私)

つづく
コメント

コメディ

2007年06月09日 | 映画


松本人志の「大日本人」のレヴューを見ていると、評
価は真っ二つ。
元々ネット上のレヴューは、個人的にはあまり参考に
ならないのだが、一般的にどう受け止められているの
かを知るには有効だ。
今回の映画に関しては、高評価するのは松本ファンと
いうはっきりした傾向が見られる。
彼の笑いのセンスを、過大評価と感じるほど認めてい
るファンが多いことに改めて驚いた。
「天才松ちゃん」と言われてるらしい。
確かに笑いのセンスは独特なものがあるとは思うが、
天才か?という疑問はある。
どうもなんでも「カリスマ」化という、最近の安直な
流行がここでも見られる。
「カリスマ」というより「教祖」的かもしれない。
何しろ今のテレビは、「教祖」乱造装置だから。
で、映画に関して一つ言えるのは、笑いのセンスと監
督のセンスは別物だということだ。
北野武の映画だって、他のは良いが喜劇仕立てのやつ
は全然面白くない。
つまり、映画での笑いは、普段の笑いとは違った、映
画的な手法が必要ということだ。

他の例では三谷幸喜の作品。
映画は全く面白くない。
尤もテレビのほうも全く面白くないから、面白いと思
う人がいるところをみると、笑いのつぼというものが
根本的に違っていると見たほうが良いかもしれない。
「時効警察」は結構笑えるのだが。
兎に角、三谷幸喜のシチュエーションコメディは、全く
笑えないのだ。
「サラリーマンNEO」は笑える(笑えないのもある
が)。
この違いはなんだろう。
例えば「時効警察」と比較すると、じっくり作られて
いるという点では変わらないと思う、三谷作品も。
テンポも同じように速い。
くだらなさは「時効警察」の方がむしろくだらないか
もしれない。
そのナンセンスさの突き抜け方が「時効警察」の魅力
で、心地よさにつながってるのかもしれない。
それが例えば志村けん辺りになると、今度はナンセン
スというより単なる幼稚と感じる。
そして三谷作品では、そのナンセンス加減が、しつこ
いと感じる。
それにややウェットでもある。
結局、ナンセンスに情緒的な要素が増すと面白くなく
なるのではないか、というか面白いと思えなくなると
いうのが自分の傾向である気がする。
基本的にブラックなテイストもほしいし。

そんな個人の感じ方など関係なく映画「大日本人」は
すでに公開されているわけだが、人間のしょぼさを観
察する目は確かにあると思う松本人志であるが、多分
映画そのものを見るのは、当分先のテレビでやる時か、
ビデオで旧作となる時だろう。
ひょっとしたら、一生見ないという可能性もある。

コメント

駅蕎麦2

2007年06月08日 | 食べ物


どこにしようかと迷った挙句に入ると、大体後悔と共
に店を出ることになる、という経験則があるので、ラ
ーメンとかで済まそうかということになるのだが、そ
のラーメンも、今はいやに強気な値段になってきて入
る気も起こらない。
こういう場合、絶対文句(後悔)の出ない値段のもの
でなくてはならないのだ。
そこで浮上してきたのが「駅蕎麦」だ。
ここまでくれば、「中途半端感」というのは無い。
味的にも、大体濃い味付けで、美味いとは言わないが
不味いわけでもない。
格好つけた「蕎麦屋」の、出来の悪い一枚七八百円の
盛り蕎麦より「駅蕎麦」の天ぷらそばのほうが、数段
満足度は高い。
ただし「駅蕎麦」の盛り蕎麦に関しては、変に同じ土
俵に上がることになるので、「色物的」特権も奪われ
て、いくら安くても、コンビニの蕎麦と同じくとても
食べられたものではない。

というわけで、駅のホームで桜海老(のような)の入っ
た掻き揚げの天ぷらそば370円を食べた。
きざみ葱たっぷりの天ぷらそばは、予想通りの濃い味
で期待を裏切らない。
しかも、蕎麦の香りなどは端から問題にしない快さ。
品の悪い油がこくを与えてるしで、一杯で充分お腹が
よくなる(体調悪いと、その口の周りの油の匂いがずっ
と気になるが)。
しかし周りの客は、暑いからか、「盛り蕎麦」を注文
しているのが多い。
駅蕎麦で盛りは駄目だろう、と思ったが、好きで頼ん
でいるのだからしょうがない。
色だけ見れば、いかにも蕎麦粉という黒さなので、視
覚的にすでに満足しているのかもしれない。
たとえ、中国、或いはカナダ産の、国産の十分の一以
下の値段の蕎麦粉であろうが、本人が満足していれば
問題はないということだ。
よく見ると海苔などかけてある、そうなると「ざる蕎
麦」か?
これもどっちでも良いいか。

一応腹も満たし、帰りは一駅分電車で「南松本」まで
戻った。
そこからディーラーまでは歩いて10分程。
すでにそこそこ歩いていたので、この10分が結構長
い。
これは、今日のこれまでの精神的満足度も影響してい
るのかもしれない。
「松本駅」の近くの輸入食料費店で買った「クスクス」
「黒オリーブ」「グレープシードオイル」の入った袋
がずしりと堪える(ちょっと大袈裟)。
そして、何とかディーラーに到着し、車を受け取る。
ちょっとタイヤが減っているのと、一つだけ純正では
ないタイヤであることを指摘される。
まあ軽い営業である。
ざっと聞き流し、店を後にした。
その頃になると、日差しも無くなり、空は一気に雨雲
に覆われ今にも雨が降りそうな気配。
時間帯としては良かった、ということか。
そして、車窓を流れる風景を楽しむ(byイチロー)。

コメント

駅蕎麦

2007年06月07日 | Weblog


リコールの部品を交換をするために、松本のディーラ
ーに行った。
ディーラーなどというところに行くのは初めてのこと
だ。
たとえ20万そこそこで買った車とはいえ、そこは差
別できないところが系列としては辛いところだろう。
本来なら、「ヤナセ」など絶対縁のないところだ。
そう言えば、サイドミラーもガムテープで補強してあ
るし、一目で上客ではないことが判る。
この点に関しては流石にちょっと気が引けるが、それ
でどうにかするわけではないので、普通にリコールの
部品交換をお願いする。
それにかかる時間は2時間ほど。
ということで、松本へ行くことにした。
今いるところは、同じ松本でも一駅手前の「南松本」
という駅に近いところなのだ。
つまり、「松本駅」まで行こうということなのだ。
天気も良いし、一駅分歩くことにした。
こんなところを歩く機会は、もう二度とないことだろ
うし。

歩き出して、あまり魅力的な風景でないことはすぐに
分かった。
古い街ではなく、昔畑だったところが開発された典型
的な郊外的なところなので、面白いものもなかなか発
見できない。
それにしても暑い。
半そでTシャツ一枚でも汗ばむくらいだ。
距離にして4キロ程か。
もう直ぐ「松本駅」、というところで、いかにも「鉄ちゃ
ん」が喜びそうなものがあった。
「八時ちょうどのあずさ二号」だ(嘘です)。
突然、建物の窓から「こんにちは」だったので、なん
だか不思議な光景に感じたのだが、そうでもないのか。
とりあえず写真を撮る(本日の画像)。

松本駅に到着した頃は大分のどが渇いていた。
そこで駅前の「タリーズ」に入る。
「アイスカフェラテ」を飲みながら暫し休む。
その後、お腹も空いてきたし、ランチでも食べようと
お目当ての店に行こうとしたが、何故か営業してない。
こんな時浮かぶのは「クリヨードヴァン」。
困った時の「クリヨードヴァン」というのは、もはや
常識なのだ、我々の間では。
そこで、その足で「クリヨードヴァン」に向かった。
定休日は分かっている。
ところが、こういう時は重なるもんだ。
店の50メートル手前辺りで確認すると、シャッター
が下りている。
今日のような日は、外のテラスが最高なのだが、勿論
それも見当たらない。
間違いなく営業してない。
ったく。
そうなると、次の選択肢が。
代替案は「クリヨードヴァン」だけで、すでに払底状態
なのだ。
さてどうする。

つづく
コメント

割り箸

2007年06月05日 | Weblog


「割り箸」を使わないことが森林保護につながる、と
いうのは、わりに疑問の余地が無い事実の如く広まっ
ている。
自分自身も、そういうものだろうと漠然と思っていた。
環境問題に関心のある人を演出するにも、「マイ箸」と
いう、割り箸を拒否する姿勢は効果的であるという事
実もあるし。
しかし、どうも、ことはそれほど単純ではないという
ことが徐々に判ってきた。

そもそもは割り箸は「端材」を利用する、いわば廃物
利用で、環境的にも無駄を出さないし、決して負荷を
かけるものでもなかった。
これは日本での話しだが、木材を切り出し、植林し、
手入れし、森は守られ良い状態で保たれるというサイ
クルが嘗てはあった。
しかしその後、そこからでる「端材」は割り箸となり、
最後まで有効利用されていたのが、日本の木材の需要
がなくなると共に割り箸生産もなくなるという現実が
待っていた。
こと日本に限定すれば、嘗ては、環境的にはなんら問
題が無かったのだ。

そうなると次は海外からの調達となる。
それで一時、「熱帯雨林」を破壊する割り箸、とやや
ヒステリックに槍玉に挙げられることとなる。
その頃は東南アジアでの生産が多く、使ってる木材は
熱帯雨林を構成する木であったらしいが、ここが問題
で、やはりその端材を利用しただけで、多くは建築用
に回されていたのだ。
割り箸の割合は、0.何パーセント程度のことのよう
だ。
どうも、環境破壊の象徴としての割り箸が、一人歩き
している状態のようだ。
そして東南アジアの生産は無くなり、いよいよ中国の
登場だ。

中国では、「ポプラ」とか「白樺」が使われる。
中国に関しては、確かに割り箸による森林破壊が無かっ
たとは言えないらしい。
というのは、割り箸全体の需要が爆発的に増えたから。
以前は日本だけの需要だったが、韓国、中国と使う国
も増えて、それに伴い割り箸の需要も、ということら
しい。
中国の森林の割合は、一時危機的に少なくなった。
しかし、それも、日本のボランティアの植林などもあ
り徐々に改善されてきた。
尤、このデーターは、中国当局の発表なので、信頼性
はどうなのということはあるらしい。

結局総合的に見ると、「割り箸」の環境破壊は問題に
するほどのことではなく、むしろ日本の割り箸生産を
復活させて、森の手入れをちゃんとするのが、森を守
るための一番有効な手段であるのではないかというこ
となのだ。
割り箸がなくても、というか無くなってから、今の日
本の森の荒れ方はひどくなっている。
森林整備は、いろんな意味で急務であるのだが、直接
お金を生まないことに関して政治家はねえ。
コメント

モンテネグロ

2007年06月04日 | サッカー


夜中にふと目が覚める(最近こういうケースが多く実
に困ったものだ)。
テレビをつけると、キリンカップの「モンテネグロ対コロ
ンビア戦」の録画を放送していた。
松本の「アルウィン」というサッカー専用球場で行わ
れたものだ。
時間が合えば、多分行ったと思う。
ここは、サッカーを観戦するには、ピッチと観客席が
近く選手の顔も見えるし実に良い球場だ。
しかも、滅多にない国際試合。
行きたかったなあ。

試合の方は、コロンビアが1-0で順当に勝ったが、
「モンテネグロ」だって決して弱いチームではない。
旧ユーゴは、クロアチアにしろセルビアにしろどこも
実力がある。
その中では一番小国(人口60万とか)の「モンテネ
グロ」であるが、この先更に強くなるというポテンシャ
ルは感じた。
試合では殆どチャンスらしいチャンスは無かったが、
これは日本戦でも見られたように、最後の詰めが甘い
というやつで、いずれ日本なんかより良いフォワード
が誕生して解消されるような気がする。
それに、コロンビアの守備が一流というのもある。
セリエAで活躍してる選手とか、日本と比べても遥か
に人材豊富だ、コロンビアは。
ブラジル、アルゼンチンに次ぐ三番目の実力といわれ
ているくらいだから。

それにしても「モンテネグロ」、何とかビッチという
名が多い。
旧ユーゴはどこもそうだが、これは日本で言う女子に
つける「子」と同じようなものなのか。
間違っても「サノバビッチ」と言ってはならないだろ
うが、絶対馬鹿にしてそういう言い方をする輩はいそ
うだ。
言われた方はまたか、とうんざりした顔で無視する。
しかし仲間の一人が頭に来て、言った人間に向かって
殴りかかる。
それを止める主人公(いつしか主人公)。
そして一言「あんな寂しい人間を相手にするな、自分
までそうなるぞ」と諭す。
「でも兄貴」(いつしか兄貴)と興奮冷めやらぬ仲間。
「こんな世界じゃなくて、表の世界で成功して見返し
てやれ」と優しくなだめる主人公。
差別をテーマにした、アカデミー賞狙いのハリウッド
映画の完成だ。
タイトルはずばり「モンテネグロ」。
って話ではなかった。
それに同名の映画(マカベイエフの)はすでにあるし、
ってそれもどうでも良かった。

コロンビアはコロンビアで、「エスコバル」という選
手がどうにも気なってしまった。
麻薬組織「メデジンカルテット」の首謀者が「エスコ
バル」じゃなかったか。
こっちはこっちで「24」のシーズン何とかができそ
うだ。
どうも深夜のサッカー観戦は、こんな妄想ばかりが広
がる。
コメント

マクロビオテクス

2007年06月03日 | Weblog
「マクロビオテクス」ってなんだ、ということなのだ
が、「プリンター」で予定通りの作業が出来なかった
あと、今年初めての伊那のフレンチ「ル ムートン 
ブラン」へ行った。
予想通りの「随分久しぶりですね」という奥さんの声に
迎えられ、席に着いた。
超マンネリのメニューを見るまでも無く、「魚介のサ
ラダ仕立て」のオードブルと「鱸のポワレグレープフ
ルーツソース」のランチを頼む。
何度食べたか知らないが、この超マンネリ料理も、や
はりこの近辺では、素材の鮮度質味付けの点において
トップクラスであることは間違いない。
感動は無いが安心して食べられる。

食べ終わって「カモミール」などを飲んでいる時、シェ
フが顔を出した。

「田んぼ忙しいんじゃないの?」(私)
「明日田植えですよ」(シェフ)
完全無農薬の稲作りをしていて、古代米なども作って、
最近の関心はもっぱらそっち方面なになっている。

「で、今年はいよいよ中ちゃん方式の確立かな?」(私)
中ちゃんというのはシェフの愛称で、雑草が生えにくい
方法を色々考え、今年はその答えが出る年なのだ。

「まあ、上手くいけば良いんですが」(シェフ)
「そう言えば去年、Tシェフの焼き鳥屋に行ってきたよ」
(私)
Tシェフというのは中ちゃんの師匠筋に当たる人で、数
年前に焼き鳥屋に転身した。
「で、どうでした?」(シェフ)
「正直なところ、売り物にしている軍鶏の味が、今ひと
つなんだよね、特に砂肝なんか殆ど旨味がないし」(私)
「ああ、そうですか」(シェフ)
「普通の地鶏の方が味があるくらいなのよ」(私)
「ひょっとしたら、軍鶏の飼育法に問題があるかもしれ
ませんよ」(シェフ)
「最近あの軍鶏もすっかりブランド化してるから、量産
態勢に入ったとか?」(私)
「そうかもしれないです」(シェフ)
この辺は、推測を基にの会話なので、真偽は判らない
が、軍鶏の味がなかったのは事実だ。

「食べ物は、余計なものを使わずに、自然にまかせる、
これですよ」(シェフ)
「無農薬、無化学肥料の有機栽培?」(私)
「だから、全ての基本は大地からです」(シェフ)
「まずは堆肥作りと」(私)
「兎に角土が基本です、健康な食べ物による健康な身
体、これからはマクロビオテクスです」(シェフ)

ここで「マクロビオテクス」が登場だ。
どうやら、一昔前の自然食健康法と同じようなもので、
食べ物から始まり、健康に良いといわれる酵素風呂と
かそんなものを含めた、人間本来が持っている自然治
癒力などを高めるという基本概念を基にした総合的な
思想、活動のことを言うようだ、勝手に想像すると。
「ロハス」とか「スローライフ」とか全てを含んでい
るのか、とりあえず横文字で誤魔化しとけの世界とい
う気もしないではないが。
まあ、はっきりしているのは、安全な食べ物で本来の
味の食材を使う食生活。
シェフはどうやら、そういうものを前面に出した、総
合的な健康宿泊施設を描いているようなのだ。
古民家を利用して、お金がかからないようにと言って
いたが、それはかなり難しいと思いますです。
今時、民宿に毛の生えたような建物では、誰も納得し
ないからね。

コメント

プリント2

2007年06月02日 | Weblog
なんだかんだ言って、A4用紙に画像を合わせプリン
トする段になった。
しかし、プリントされたものを見て、あれっというこ
とになった。
用紙の幅の7割くらいのサイズになってるではないか。
役に立たない店の人は、当然その理由はわからない。
ここで思い出した。
そう言えばプリンターのプロパティーで、サイズを70
パーセントに指定してあった。
プレヴューで確認した時には「用紙のサイズに合わせ
る」のチェックをして万全の態勢で臨んだつもりが、
その70パーセントが生きていたのだった。
そこで、その70パーセントを解除して、ふたたびプ
リントすると、今度は予想通りの姿でプリンターから
「こんにちは」であった。
結局店の人は、こちらの作業をただ眺めてるだけで、
最後の最後まで役に立たなかった。
その上余計なおまけはあった。
本当の最後の作業、USBメモリーを抜こうとした時
だ。

「ちょっと待って」(係り)
「ええっ?」(私)
「あの...。」(係り)
「だから、何?」(私)

一体なにを言いたいのか、と一瞬思ったが、直ぐに見
当が付いた。
要するに、USBメモリーを抜く時の手順をちゃんと
踏んでいるかということなのだ。
「安全に取り外せます」の表示が出るのを確認してか
ら抜かないと、ということなのだが、その作業の真っ
ただ中というか、その表示が正に出ているときの「ちょ
っと待って」であったのだ。
「よく見んかい!」という言葉が最適な状況だ。
しかし、内心では「もう...」とかなりうんざりし
ていたが「しゃあないな」と思い直し、気付くのを待っ
て黙ってUSBを抜いた。

それにしても、もう少しちゃんとした知識を持った人
を配置してもらえないのかな。
こういうところに回される人というのは、所謂「使え
ない人」ということなのだろうか。
いずれにしろ、知らないなら知らないで、知ったか振
りはしないように。
次に店の知り合いにあった時、このことは言っておか
なければ。

その後、結局写真は自分のプリンターで(最近ある筋
からゲットしたエプソン)フォト用紙を買ってプリン
トすることにした。
あとでサイズに合わせ切る作業が大変だが(これは店で
やっても同じこと)、仕上がりは遜色ないし、費用も
ぐっと押さえられる。
最初からそうすれば良かったよ、ったく。
コメント

プリント

2007年06月01日 | Weblog
100円均一本を買った後、今度は、エプソンのアンテナ
ショップ、のようなところに行った。
当地はエプソンのお膝元なので、プリンターを大小取
り揃えたこのような使うほうからすると便利な店があ
るのだ。
A1サイズのプリンターから用意され、A3以上をプリ
ントしたい時にはいつもお世話になっているところ。
今回はサイズ的にはA5なのだが、画質を考えここで
プリントしてもらおうと思ったのだ。
枚数も40枚ほどと多いし。
ただ、プリントするものは単なる記念写真で、発色が
どうのとか細かいところは問わない。
極端にピンボケであるとか、変な色で無ければ良いと
いう、フォト用紙で家でプリントしたものと同程度の
品質で十分というものだ。

その店には、顔見知りの色々便宜を図ってくれる人が
いるのでこちらも使い勝手がよく助かっているのだが、
今回は丁度その人の休みに当たってしまった。
しかし、出直すのもなんなので、とりあえず二三枚試
し刷りというか試しプリントをしていくか、と利用す
ることにした。
見たことがない係りの人間が二人。
とりあえず、A5サイズでプリントしたい旨を告げる。

「えっ、A5サイズ?」(店の人)
「はい」(私)
「A5サイズというのはA4の半分ですよ」(店の人)
「知ってます」(私)
「はがきサイズじゃ駄目ですか?」(店の人)
「だから、サイズ的には20x14くらいのものとい
う意味ですよ」(私)
この辺りで、おいおいおい、と思い始めた。

どうもA5サイズの用紙は無いようで、且つ今までこ
ういう要望がなかったらしくすっかり戸惑ってしまっ
ている。
無ければ、A4で二枚分プリントして切れば良いとか、
いくらでも対処できそうなのに、なんだかこんなこと
で戸惑われても。
暫し、二人で協議し、やっとA4サイズでプリントして
くださいという結論がでた。
しかしそれは、そこに画像一枚分プリントするという
意味で、A4サイズにA5サイズの画像を二枚という
意味ではない。
言われたとおりにすることにした。
ここは、自分でパソコンを操作してプリントするセル
フサーヴィスのようなところなので、指定のパソコン
で操作に取り掛かる。
フォトショップを起動してプリンターの設定をするの
だが、肝心のプリンターの機種をまだ聞いてなかった、
というか向こうが始めに伝えるべきことだろう。
こちらだって、フォトショップも使い慣れてないし(普
段は違うソフトを使っている)プリンターの設定も勿
論ここだけのものなので慣れてはいない。
画像を開いてA5サイズに合わせる作業をしていると、
例の係りが覗いて、まずファイルの大きさを見てみま
しょう、などと口出してきた。
熟知してそうな人ならお任せするのだが、どうも初っ
端の様子を見る限り???だったので、どうなんだと
思ったが、やりたいようにやらせることにした。
案の定、何の役にも立たず、こちらがここでプリンター
の「自動で用紙に合わせる」にチェックを入れれば済
むことですよ、と説明する始末。
フォトショップにも詳しく無さそうだし、知らないな
らいちいち覗くんじゃないよ、と口元まで出かかった。

つづく
コメント