先週だったか、民放で「天空の宿へ~にっぽん山小屋物語」というのが放送された。
ところどころ見ただけだけど、思い出深い映像が流れた。
一つが北アルプス・燕岳山頂付近にある燕山荘。
その昔。10日間もテントを担いで、北アルプスの縦走をした時、1泊目がその山小屋の近くのテント場だった。
私たちは、テントを張って泊まったが、近くに見えた立派な山小屋、燕山荘に、いつか泊まってみたいと思った。
そんな優雅な山登りにあこがれた。
けど、それ以後、燕岳に登ったことはなく、その山小屋にも泊まったことがない。
もう一カ所が、北アルプス・七倉岳の近くの船窪小屋。
2008年、2009年と2年続けて泊まりにいった。
前年、滑落事故があった直後に泊まり、翌年、追悼登山をした時に、また泊まった。
船窪小屋の人達は、登山者が来ると鐘をついて迎えてくれて、送り出すときも、無事を祈って、鐘をついてくれる。
テレビを見て、その山小屋の「お母さん」も75歳になられたということで、あらためて驚いた。
私はもう、あのルートを上ったりおりたり、できないだろうと思っているからだ。
お母さんの年齢で、あの大変なコースを上り下りして、なおかつ、登山者のために食事や寝るところを用意してくれるというのは、すごいことだ。
水もないような所で、心のこもった手料理を出してくれる。クロマメノキで作ったゼリーのデザートまでも手作りだった。
<2008年の写真>
今思い出しても、急な道。胸突き八丁じゃなくて、鼻突き八丁の道。
<2009年の写真>
このような場所で、良流娯さんが突然消えたと思ったら、木の根っこにつかまって、斜面にぶら下がっていたときには、キモ冷やした。何事もなくて、ほんとうによかった。
ところどころ見ただけだけど、思い出深い映像が流れた。
一つが北アルプス・燕岳山頂付近にある燕山荘。
その昔。10日間もテントを担いで、北アルプスの縦走をした時、1泊目がその山小屋の近くのテント場だった。
私たちは、テントを張って泊まったが、近くに見えた立派な山小屋、燕山荘に、いつか泊まってみたいと思った。
そんな優雅な山登りにあこがれた。
けど、それ以後、燕岳に登ったことはなく、その山小屋にも泊まったことがない。
もう一カ所が、北アルプス・七倉岳の近くの船窪小屋。
2008年、2009年と2年続けて泊まりにいった。
前年、滑落事故があった直後に泊まり、翌年、追悼登山をした時に、また泊まった。
船窪小屋の人達は、登山者が来ると鐘をついて迎えてくれて、送り出すときも、無事を祈って、鐘をついてくれる。
テレビを見て、その山小屋の「お母さん」も75歳になられたということで、あらためて驚いた。
私はもう、あのルートを上ったりおりたり、できないだろうと思っているからだ。
お母さんの年齢で、あの大変なコースを上り下りして、なおかつ、登山者のために食事や寝るところを用意してくれるというのは、すごいことだ。
水もないような所で、心のこもった手料理を出してくれる。クロマメノキで作ったゼリーのデザートまでも手作りだった。
<2008年の写真>
今思い出しても、急な道。胸突き八丁じゃなくて、鼻突き八丁の道。
<2009年の写真>
このような場所で、良流娯さんが突然消えたと思ったら、木の根っこにつかまって、斜面にぶら下がっていたときには、キモ冷やした。何事もなくて、ほんとうによかった。