紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

映画「永遠の〇」をみてきました

2014-03-02 09:35:08 | 13・本・映画・演劇・音楽など
昨年、百田尚樹さんの原作を読んだ時から、映画を見たいと思っていた。
その後、百田さんの言動では、ちょっとあれっ? と思うこともあったが、あれほどの本を一気に読ませる筆力はすごいと思っていたので、どんな風に映画化されるか見てみたかった。
そして、なかなか見に行けなかったけれど、昨日やっと府中の映画館で見てきた。
封切りされてから、ずいぶんたつのに、映画館はけっこうたくさんの人で埋まっていた。




そして、原作もよかったけど、映画もよかった。
内容をすでに知っていたので、なぞときの部分は、どうしても本の方がより強く引き込まれたということはあるけど。
特攻隊を自爆テロだという人が、お姉さんの恋人から、友だちに変わっていたほかは、ほぼ原作に忠実に描かれていた。

主演の岡田准一さんは、最初イメージに合うかなあと思っていたが、映画をみてみると、見事に演じきっていたと思う。
まあ、とにかくカッコいい。物静かだし、やさしいし、女性でも男性でもひかれてしまうような人物だ。

ただ、一つ、なぜ特攻に志願して、最後生き延びるチャンスを棒にふってまで、死んでしまうのか、映画の方が少しはっきり出していたような気がした。
そこが、ほんとうはそうかなあと、ちょっと疑問に思ったところ。わからないままの方が、真実に近い気がする。

そして、今の映画は、CGを駆使して、ほんとうに臨場感あふれる場面が展開していた。


昨日はここまで書いたのだけど、一日たってみると、ちょっと心に引っかかったことがある。
宮部久蔵が一時帰宅して、戦地に赴くときに、妻に必ず帰ってくる、たとえ死んだとしても帰ってくる、といい残す。
そして、宮部の教え子が、宮部の妻子を探し出して、しばらく援助をするために通った後、これからの人生を一緒に生きると決める時がくる。
その時に、妻が、後の夫になる人に「死んでも帰ってくる」という言葉はこういうことだったか、みたいなことをいうのだけど、それはいわない方がよかったのじゃないか。
いわなくても、見ている人は感じたことだ。
それと、最後のシーンで、宮部はさわやかに笑って、特攻出撃していく。だけど、最後まで特攻に志願せず、生きて帰りたかった人が、こんなにさわやかにはいかないと思った。。