紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

よいお年をお迎えください

2024-12-31 20:12:10 | 20・日々のできごと

毎年、大晦日にどこにいるのか、近くなるまで全くわからないのが、このところの生活である。

三宅島では、娘家族、息子家族がきて、おまけにヒヨコまで生まれて、賑やかに過ごしているようである。

私といえば、生まれて初めて骨折して、1人で正月を迎えるとは思わなかった。

毎年、何が起るかわからないものである。

いろんなことがあった2024。

夫が脳梗塞で倒れたのが2月18日だった。その日は、あとの家のことを考えたり、ニワトリのことを考えたり、やることも山盛りだったが、案外淡々とこなした。

初めてドクターヘリに乗せたもらったが、すばやい対応のおかげで、後遺症も残らず、夫が畑をやり続けることができて、感謝している。

でも、その時に思ったのは、この先は何が起るかわからないなということだ。でも、できればあと10年は畑を続けられるといいと思った。

私も、病院、歯科受診はあったが、なるべく三宅島にいて、畑の手伝いをしようと決めた。

そして、年内、ほぼ畑の忙しいときは終わり、北海道のルスツにスキーにいった。自分へのごほうびだというつもりで。

そこで、どうやってころんだか記憶にないが、ころんで、足を骨折した。

この写真を撮ったあと、ケガしたが、よくみると、あまり視界がよくない。足下が見えにくかったか?

瞬間、あまり痛くはなかったので、打ち身かと思った。ところがふつうに立ち上がり、滑ろうとしたら、ターンする足に全く力が入らない。

そこで、今年2番目の初体験、パトロール隊に救助用スノーモービルに乗せてもらい、下まで運んでもらった。

生まれて初めての骨折では、いろいろな人にお世話になった。たまたま、近く、といっても車で1時間もかかる。Fさんに連絡をとったら、すぐに来てくれて,本当に助かった。

その時には骨折していると思わなかったので、病院にいかずに、東京に帰ってきていたら、足に負担がかかって、手術が必要になったかもしれない。

スキーの同行者の、前田さん、さとさんにも、ホテル内を車椅子で移動させてくれたり、ほんとうにお世話になった。

そんなこんなで、いろいろなことがあった2024年も終わる。

今思うのは、あまり無理はできない年齢になった。それと同時に、もう一方で、今しかできない、今ならできると思うこともある。

来年も、やれることをやり、悔いのない1年を送りたい。

今年もブログを見にきてくださったみなさまには、感謝しています。来年もよろしくお願いいたします。

 

 


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