義母が亡くなって1週間が過ぎた。
私はもうじき広島にいくし、夫は用事があって、今日三宅島に渡る。数日間だけど。
ばらばらのところで過ごす私たちなので、義母は四十九日の法要まで、義姉の家で預かってくれている。
先日、私が1人で調布の家に戻ってきた翌日、Kさんから新年会に誘ってもらった。
1人だったし、食事の支度もめんどうな時だったので、助かった。
みんなに会えで、おしゃべりできたのも楽しかった。サンクス!
義母の葬儀では、友人たちから、義母の話はもちろんだけど、義父の話もずいぶん聞いた。
義父はほんとうにすばらしい人だったけど、またあらためて、そう思った。
義父は日頃、義母にも、義母の友人たちにも、こういっていたそうだ。
年をとって、大事なのは、
1に 健康
2に 友だち
3に ほんのちょっぴりのお金
義母は、亡くなる1週間ほど前にも友人4人で、泊まりがけの旅行にいていたので、なるほどどうなずいた。
私はもうじき広島にいくし、夫は用事があって、今日三宅島に渡る。数日間だけど。
ばらばらのところで過ごす私たちなので、義母は四十九日の法要まで、義姉の家で預かってくれている。
先日、私が1人で調布の家に戻ってきた翌日、Kさんから新年会に誘ってもらった。
1人だったし、食事の支度もめんどうな時だったので、助かった。
みんなに会えで、おしゃべりできたのも楽しかった。サンクス!
義母の葬儀では、友人たちから、義母の話はもちろんだけど、義父の話もずいぶん聞いた。
義父はほんとうにすばらしい人だったけど、またあらためて、そう思った。
義父は日頃、義母にも、義母の友人たちにも、こういっていたそうだ。
年をとって、大事なのは、
1に 健康
2に 友だち
3に ほんのちょっぴりのお金
義母は、亡くなる1週間ほど前にも友人4人で、泊まりがけの旅行にいていたので、なるほどどうなずいた。
大晦日の12月31日に、突然倒れた義母が、1月3日の早朝亡くなった。
5日お通夜、昨日の6日に葬儀がとりおこなわれた。
今年の正月は、ほんとうにめまぐるしく過ぎた。
それまで、とても元気にしていた義母は、大晦日、姉夫婦と一緒に紅白歌合戦を楽しそうに見ていたそうだ。
10:30頃アイスクリームをおいしそうに食べている途中で、崩れるように体勢を崩したとのこと。
あれっと思って、話しかけると、ろれつがまわらず、そのまま意識を失った。
すぐに救急車で、救急病院のICUに搬送され、脳梗塞と診断されて、手上てをうけたが、ダメージが大きく、回復にはいたらなかった。
元日に、病院に駆けつけると、名前を呼びかければ、答えてくれた。
「力」とそばにいた最後の5人目の孫の名前を呼び、「あやかちゃん」と、その日は連れてこなかった、生まれたばかりのひ孫の名前も口に出した。
けれど、翌日には、もう呼んでも答えてくれなくなった。
ほかの孫たちも九州などから駆けつけてきて、病室はにぎやかになった。
その翌朝、義母は、苦しむこともなく、静かに眠るように亡くなった。
それまで、義母は、とても元気だったが、唯一足が痛いというので、3週間に1度、千葉から埼玉の松原治療院まで通って、鍼治療を受けていた。
鍼はとても気持ちよさそうで、片道1時間半もかかるのに、いつも行くのが待ち遠しいようだった。
三宅島にいってからも、こちらに戻るたびに、義姉と交代で付き添っていた。鍼の後は、一緒にランチをして、いろいろ話しをするのが楽しみだった。
義母は友だちも多く、12月にも旅行にいったばかりで、そのお仲間も葬儀に来てくださっていたが、ほんとうに楽しい集まりのようだった。
書道のお仲間にも楽しくお付き合いさせて頂いていて、最後に棺に般若心経を書いたものを入れてくださった。
義母が最後の書道展に出した書。義母が寝ている部屋に、飾られていた。
ここ最近は、いろいろな人への感謝の言葉ばかり口にしていたが、元気な中でも何か感じるものがあったのかもしれないと思う。
生まれて2ヶ月にして、葬儀に参列することになったあやかちゃん。親戚や義母の友だち、たくさんの人にごきげんでダッコされていた。
昨年5月、87歳の誕生日のお祝いの写真。
Cさんのお腹の中には、すでにあやかちゃんがいた。
そんな正月を過ごしたが、来週早々には、私は広島に行く。
すべて終わってみると、義母が私を心おきなく広島へ行けるようにしてくれたのかとも思う。
5日お通夜、昨日の6日に葬儀がとりおこなわれた。
今年の正月は、ほんとうにめまぐるしく過ぎた。
それまで、とても元気にしていた義母は、大晦日、姉夫婦と一緒に紅白歌合戦を楽しそうに見ていたそうだ。
10:30頃アイスクリームをおいしそうに食べている途中で、崩れるように体勢を崩したとのこと。
あれっと思って、話しかけると、ろれつがまわらず、そのまま意識を失った。
すぐに救急車で、救急病院のICUに搬送され、脳梗塞と診断されて、手上てをうけたが、ダメージが大きく、回復にはいたらなかった。
元日に、病院に駆けつけると、名前を呼びかければ、答えてくれた。
「力」とそばにいた最後の5人目の孫の名前を呼び、「あやかちゃん」と、その日は連れてこなかった、生まれたばかりのひ孫の名前も口に出した。
けれど、翌日には、もう呼んでも答えてくれなくなった。
ほかの孫たちも九州などから駆けつけてきて、病室はにぎやかになった。
その翌朝、義母は、苦しむこともなく、静かに眠るように亡くなった。
それまで、義母は、とても元気だったが、唯一足が痛いというので、3週間に1度、千葉から埼玉の松原治療院まで通って、鍼治療を受けていた。
鍼はとても気持ちよさそうで、片道1時間半もかかるのに、いつも行くのが待ち遠しいようだった。
三宅島にいってからも、こちらに戻るたびに、義姉と交代で付き添っていた。鍼の後は、一緒にランチをして、いろいろ話しをするのが楽しみだった。
義母は友だちも多く、12月にも旅行にいったばかりで、そのお仲間も葬儀に来てくださっていたが、ほんとうに楽しい集まりのようだった。
書道のお仲間にも楽しくお付き合いさせて頂いていて、最後に棺に般若心経を書いたものを入れてくださった。
義母が最後の書道展に出した書。義母が寝ている部屋に、飾られていた。
ここ最近は、いろいろな人への感謝の言葉ばかり口にしていたが、元気な中でも何か感じるものがあったのかもしれないと思う。
生まれて2ヶ月にして、葬儀に参列することになったあやかちゃん。親戚や義母の友だち、たくさんの人にごきげんでダッコされていた。
昨年5月、87歳の誕生日のお祝いの写真。
Cさんのお腹の中には、すでにあやかちゃんがいた。
そんな正月を過ごしたが、来週早々には、私は広島に行く。
すべて終わってみると、義母が私を心おきなく広島へ行けるようにしてくれたのかとも思う。
今日は、息子夫婦とあやかちゃんも一緒に義母のお見舞いにいった。
出発前のひととき、我が家で記念撮影。
病院で、義母のベッドに寝かされるあやかちゃん。
あやかちゃんの声が聞けて、義母も喜んでいた。
義母にとっては、5人目のひ孫になるのかな。
病室で、広島の心ちゃんともスカイプで話をした。4人目のひ孫。
心ちゃんの声がでかくて、すごくよく届いた。
出発前のひととき、我が家で記念撮影。
病院で、義母のベッドに寝かされるあやかちゃん。
あやかちゃんの声が聞けて、義母も喜んでいた。
義母にとっては、5人目のひ孫になるのかな。
病室で、広島の心ちゃんともスカイプで話をした。4人目のひ孫。
心ちゃんの声がでかくて、すごくよく届いた。
2016年、今年もよろしくお願いいたします。
年明けすぐに、義母が体調を崩し、入院することになった。
昨日からきている息子家族を置いて、夫とともに、朝千葉の実家に向かう。
朝、まだ寝ているあやかちゃん。
3:00に義兄の車で病院に行き、面会。
夕方帰ってきたら、あやかちゃんは、ほぼ一日中眠っていたとのこと。
昨日は興奮して、疲れたみたい。
あやちゃんの誕生を、誰よりも待っていてくれた義母の快癒を祈るのみです。
年明けすぐに、義母が体調を崩し、入院することになった。
昨日からきている息子家族を置いて、夫とともに、朝千葉の実家に向かう。
朝、まだ寝ているあやかちゃん。
3:00に義兄の車で病院に行き、面会。
夕方帰ってきたら、あやかちゃんは、ほぼ一日中眠っていたとのこと。
昨日は興奮して、疲れたみたい。
あやちゃんの誕生を、誰よりも待っていてくれた義母の快癒を祈るのみです。