魔女の旅々 第11話 二人の弟子 △++
「入れ替わり」なんで「中の人」の技量が問われる展開
あとはまあ「アニメ」なんで「男女」で入れ替わらない限り
「容貌」についてそんな深刻な事態にあんましならないという
(やるとジョジョの第五部みたいなことになる)
「師匠」と「弟子」の差異がいろいろ見物、「師匠」の時は
「一緒にいる」ことによる距離感の調整が主題で
「弟子」の時は時々の「邂逅」がうまみ(それにしても頻度が高いが)
くわえてサヤの「(シスコン)妹」もからんできて
「喜劇」の「再現性」と「悲劇」の「一過性」が綺麗にみられて
面白かったかとおもう、しかしまあ色々な魔女がいたけれども
「灰(銀)」の魔女ってのは母親以外にはいないねえ。
ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうかIII
第11話 決戦(ウルトラソウル) △++
ロキファミリアとの代理戦争で、ついにアイズさんとも手合わせ
と、同時にもう個人の争いではなく「ファミリア」として
様々な人を巻き込んでいるのが「英雄譚」として当作品の枠が
広がったことを主張しているかのよう。
「敵意」が無いことを証明する為にウィーネがずーっと
血まみれになっているのが今期のおはなしのキモやね
あるいは「ファンタジーもの」において我々が「儀血」を
ソフトに受け入れるために「モンスター(敵)」に
血を流してもらっている姿を真摯に取り扱っているともいえよう。
ご注文はうさぎですか?BLOOM
第10話 ハートがいっぱいの救援要請 △+
「バイトのかけもち」とかもうそんな気力も体力もない
オッサンには懐古しかできないハナシですわなあ
どこにいっても何をやっても誰かがいるものだから
「孤独」と縁が切れた世界ってかんじだ
まあもともとのコンセプトが
「しぶい喫茶店のおとなしめな一人娘を癒やすハナシ」
ちゅうコンセプトだったからね、しかしそれをここまで
執拗にかつ徹底してやるというのもむつかしいハナシだ
そんなにむつかしくないというならそれは
「愛」がなせる業だからかと。
神様になった日 第10話 過ぎ去る日 △+
「青春時代」と「大人」のジャネーの法則的
時間の流れの違いですわな、有意義なことや
楽しいことをしてない時間の流れは本当にはやいもの
ここでは「鈴木少年」っちゅう「能力者」をハナシの
「つなぎ」に使ってくるのにちょっと思うところがあるね
「奇跡」によって物語と感情をアップダウンしてきた
「Key」的メソッドにそれを「理論」づける「能力者」が
入り込むハナシをPAさんで前回と前々回にやっているわけで
まあそうなると収まりはいいけど「何か違う」ってなるわけで
今回ぐらいのさじ加減で調度よいのかもしれないということだ
逆に言えば「すごい上手」とも言えないかもだけど
さて、お楽しみの「現実」のより返しの部分で
「サナトリウム」とか恥ずかしげもなく出してくるのが強いね
そしてこれからが「佐藤ひな」っちゅう無力な一少女と
「関係」を築く肝の入ったところになっていくという高まり
あるいは「幼児」が「人」ではなく「神の子」ということを
踏まえると本当の意味で「神様」と関わっていくともいえる。
ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
第11話 みんなの夢、私の夢 △+
こうやってハナシが大きくなっていく中で
元の「関係性」が乖離していくのは宿命というか
おもえばμ'sとAqoursが限界にしていたところも
だいたいこのあたりだったような記憶がある。
なにせ「楽しむ」ための「同好会」がこの短期間で
あっという間に「自分たち」の「ラブライブ」を
やりだすまでにハナシが転がっていて、しかもその中心には
侑ちゃんっちゅうぐう有能なプロデューサーいるのだから。
しかしこの侑と歩夢の関係は面白いね、前作までは
物語のエンジンとして「天然主人公」が引っ張っていたところを
2枚に分けて「多様性」が増したようなかんじだ
そしてその弊害もこのおはなしは引き受けようとしている。
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