ソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンライン
第12話 拍手 とまとめ △++
ゲームの達人
「スピンオフもの」ちゅうとただ単に作中で人気の出たキャラを
間借りしたぬるいハナシをするような印象があるのだけど当作品は
「キャラクター」はほとんど新品で、「設定」だけ借りたような作品なのね
対して当作品は「世界観」に対してどんどん掘っていく感じが気分がよかった
「射撃」に関する現実との差異とか、乗り物の活用とか
懐の広いゲームを遊んでいるときの自由さ加減を満喫していかとおもう。
トドメがもうナイフですらなく「噛みつき攻撃」とか
「銃と硝煙のセカイ」はどこへいったのかw
いやまあそもそも原作が「高速移動の剣使いと狙撃兵」っちゅう
「生っぽい」感じがあんましない設定だったけど
こちらは「ゲーム」であるがゆえにそこにはない「生の高揚」を
目指してずんずん詰めていったのが「らしい」とおもう。
あるいは「快楽」を「ゲーム」で目指すっていう単純な動機を
やりたかったのかもね、それは「スピンオフ」ちゅう土壌なら
むやみやたらに動かせない「本編」よりもやりやすいだろうし
あるいは「ゲーム」を舞台にしているくせに妙に真面目くさった
「SAO」に対する反論といえなくもないね
この場合はどっちがレン(蓮)でとっちがピトフーイ(神崎エルザ)なのか。
刀使ノ巫女 第24話 結びの巫女 とまとめ △+
きわめて当たり前のハナシだけど人は刃物で斬られたら「死ぬ」わけで→条件1
そして現状「女の娘がいっぱいでてくるハナシ」が一番ウケがいいわけで→条件2
では条件1と2は相容れないモノなのではないか、とふつうは思うわけで
でもまあ当作品に限らず「そういうおはなし」は結構あってそこで
「アニメ的お約束」がそれは一杯発生するのよね。
「人間同士の斬り合い」がアニメーション的には一番映えるけど
やっちゃうとこういろいろ困るから「ノロ」っちゅう憑依モンスターをこさえて
「分け身」的な無敵モードをつくって、って感じでむしろそういう「無理」を
消化していくこと自体が「物語」をつくっているような感じをうける。
最後は「物質」としてのカラダもなくなって純粋に「穢れを祓う為の刀と巫女」に
なって母親と剣をあい結ぶのがこの「殺さないおはなし」の到達点で
そしておそらくは「女の娘がいっぱいでてくるおはなし」の大方の到達点でもあろう
そしてそれは当邦のアニメーションにおける「戦闘」の大方の到達点でもある。
宇宙戦艦ティラミス 第13話 ATMOSPHERIC REENTRY/TO EARTH △+
あれっすねえ「命がけの戦闘」において割愛されている「日常」を
ぶっこんでくるのが当作品の持ち味で、その差異のスケールの大きさが
「こまけえこと」ばかり取り扱う現代のギャグ事情では目が啓くってのはある。
にしても「聖域」たるコクピットの中は汚しまくりで他人はズカズカ
入り込みまくっていたねえw っちゅうことは他の真面目なロボットものでは
コクピットとその中での主人公はまさしく「聖者」で「孤独」で
そういった事情を当作品から教わった気がするのね、別にこれは「リアルじゃない」
と文句をつけたいわけではなく普段は当作品のように「日常」はウザいぐらい
「邪魔者」が僕達に干渉してくるからで、せめてアニメの中ではっていう願いがあるからだ
と、同時に「でも現実はそうじゃないよね」というのもあるのが正常な人間ってもので
ということはこのおはなしはとても真面目なお話だったのかもしれない
スバル・イチノセ君のようにw
Cutie Honey Universe
第10話 あなたの思いやり、励ましに感謝します とまとめ △(+)!
「100人のハニー」とか凄いオチをもってきたなあ
途中「復讐」の為にひとりで全部しょいこもうとしてたのはえれえ違いだ。
この「大量のハニー」ってのは原作によって生み出された
「リビドー」(あるいは精子)みたいなものかもしれんねえ。
あまたの「愛」によって物理法則無視のラスボスも
復讐のくるしみも、あるいは「スピンオフ」のお行儀の良さも
全てを克服してしまうのがボクみたいなこざかしい奴にはおそろしくも感じる。
でもまあこのきち○いみたいなオハナシができたのも「永井豪」大将の
原作に「忠実」に描いたからできたのかもしれん
というのも流石に現代においては先生の「画」がボッキの為のそれではなく
「永井豪風の作風」っていう枠の中におさまるからで
たとえば憂姫はぐれさんの画風で描かれていたら(およそなさそうだけど)
エロ、じゃなくて別の意味でえらいことになったかもしれないということだw
ゴールデンカムイ 第12話 誑かす狐 とまとめ △++
「人間とけもの」が一緒に旅をするハナシもキャッチーなおはなしで
ただ当作品は「同行者」じゃなくて「食料兼たまに味方」って違いがある。
そしてそのけものに対する扱いがそのまま「人間」っちゅうけものにも
適応されるわけでそのあたりの「境界線の無さ」がそのまま「残虐」っていう
ネガティブな感情をチタタプにして、わかりにくくしているっていうとこがある。
しかも舞台が明治で北海道だからねえ
何でいままでこういう設定がなかったんだろうって思えるぐらい「おいしい」設定だ。
しかしまあ「黄金」に「オソマ」に「なまぐさ」に「殺人鬼」にその他いろいろ
「穢い」ものだらけで構成されているよなあ、それの何という面白さか
そしてその中で杉本さんとアシリパの「信頼関係」だけがそれこそ黄金のように
美しく維持されているんだよなあ。
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