http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071225-00000302-yom-ent
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20071225i302.htm
物語では、画家を夢見る少年ネロが、放火のぬれぎぬを着せられて、村を追われ、吹雪の中をさまよった揚げ句、一度見たかったこの絵を目にする。そして誰を恨むこともなく、忠犬とともに天に召される。原作は英国人作家ウィーダが1870年代に書いたが、欧州では、物語は「負け犬の死」(ボルカールトさん)としか映らず、評価されることはなかった。米国では過去に5回映画化されているが、いずれもハッピーエンドに書き換えられた。悲しい結末の原作が、なぜ日本でのみ共感を集めたのかは、長く謎とされてきた。ボルカールトさんらは、3年をかけて謎の解明を試みた。資料発掘や、世界6か国での計100人を超えるインタビューで、浮かび上がったのは、日本人の心に潜む「滅びの美学」だった。
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「フランダースの犬」日本人だけ共感
ってありますが、本当に「滅びの美学」でしょうか?
滅びの美学が好きで、廃墟好きの私が思うに、健気に生きた少年ネロの姿、
そして死ぬ時まで忠犬として寄り添うパトラッシュの姿、決して報われな
かったけど、懸命に生きたことへの涙だと思うのですが・・・。
アニメが放映されたかどうかでも違うとは思います。
実は私のフランダースの犬との出会いは小学校の国語の教科書でした。
女の子の多くが授業中に泣き出して、それを見た強がりの私、ほか男子は
「泣いたらいかんばい!」とあえて強がって振り払ったものです。
また私の好きな「廃墟の良さ」もまた違っていると思います。
決して「滅びの美学」だけでもありませんし。
もしかして、滅びの美学なら、古くなって終わってしまったワインも
その残骸として似ているのかも知れません。
今度終わってしまったワインに出くわしたら・・・・・、
「パトラッシュ、来てくれたんだね。パトラッシュ、疲れたろう。
僕も疲れたんだ。なんだかとても眠いんだ。」
と言って、断末魔のワインの最後の落ちて行く時を、一緒に迎える
ことにしましょうかね。
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20071225i302.htm
物語では、画家を夢見る少年ネロが、放火のぬれぎぬを着せられて、村を追われ、吹雪の中をさまよった揚げ句、一度見たかったこの絵を目にする。そして誰を恨むこともなく、忠犬とともに天に召される。原作は英国人作家ウィーダが1870年代に書いたが、欧州では、物語は「負け犬の死」(ボルカールトさん)としか映らず、評価されることはなかった。米国では過去に5回映画化されているが、いずれもハッピーエンドに書き換えられた。悲しい結末の原作が、なぜ日本でのみ共感を集めたのかは、長く謎とされてきた。ボルカールトさんらは、3年をかけて謎の解明を試みた。資料発掘や、世界6か国での計100人を超えるインタビューで、浮かび上がったのは、日本人の心に潜む「滅びの美学」だった。
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「フランダースの犬」日本人だけ共感
ってありますが、本当に「滅びの美学」でしょうか?
滅びの美学が好きで、廃墟好きの私が思うに、健気に生きた少年ネロの姿、
そして死ぬ時まで忠犬として寄り添うパトラッシュの姿、決して報われな
かったけど、懸命に生きたことへの涙だと思うのですが・・・。
アニメが放映されたかどうかでも違うとは思います。
実は私のフランダースの犬との出会いは小学校の国語の教科書でした。
女の子の多くが授業中に泣き出して、それを見た強がりの私、ほか男子は
「泣いたらいかんばい!」とあえて強がって振り払ったものです。
また私の好きな「廃墟の良さ」もまた違っていると思います。
決して「滅びの美学」だけでもありませんし。
もしかして、滅びの美学なら、古くなって終わってしまったワインも
その残骸として似ているのかも知れません。
今度終わってしまったワインに出くわしたら・・・・・、
「パトラッシュ、来てくれたんだね。パトラッシュ、疲れたろう。
僕も疲れたんだ。なんだかとても眠いんだ。」
と言って、断末魔のワインの最後の落ちて行く時を、一緒に迎える
ことにしましょうかね。