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どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

『ヘラ鮒釣具店の犬』(5)

2006-01-04 10:50:28 | 短編小説
「どんなご用ですか」
 男がめんどうくさそうに言った。
「・・実はヘラ鮒釣具という看板が掛かっていたものですから、どんなものをお作りになっているのかと、ちょっと興味を持ちまして」
 犬と主人の双方に気を取られながら、桂木は答えた。
 落ち着いた振りをしても、あわてた名残が声に残っていて、桂木を見る男の口辺に微かな笑みが広がった。
「やたら興味を持たれても、どうしたらいいかわかりませんな。お客さんなら、竿が欲しいとか、浮子が欲しいとか、目的のものがあるでしょう。それなら応対のしようもありますが、単に興味を持ったと言われても、おいそれとはお答えしかねますな」
 桂木は、何年かぶりに赤面した。
 己のうろたえぶりが、信じられないほどだった。彼自身が他人に対して高飛車な態度に出ることはあっても、逆の立場に置かれたことなどなかったからだ。
 しかし、桂木は頭を下げた。
「なるほど、ごもっともで・・。目的もなく立ち寄ったものでして、すみません」 とたんに、主人の相好が崩れた。
「まあ、まあ、そう正直に言われますと、恐縮します。常連以外のお客さんなど滅多に見えないものですから、ちょいと意地悪になりましたかな。どうぞ、気を悪くしないでください」
「いや・・」
 桂木は手を振った。
「誰だって、こんなボロ屋で何を作っているものかと好奇心が湧きますわなあ。せっかくですから、仕事場でも覘いていきますか」
 目の中に笑いを収めて、主人が桂木をうながした。
「よろしいんですか」
 勧められるまま上がり框に膝をついて、板の間を覗き込んだ。
 使い込んで木目の浮き出た敷板の突き当たりの壁に、切り揃えられた細竹が立て掛けられている。その手前には茣蓙が敷かれていて、隅に据えられた根株の台と、引き出しを持つ小ぶりの木箱が、いかにも職人の仕事場といった雰囲気をただよわせていた。主人は、観音開きの戸棚を開け、そこの棚から完成品の継ぎ竿を箱ごと取り出してきた。
 糸で巻き上げた竿の端が、黒い漆できりりとと固められ、飴色に艶を帯びた中間部分と見事に調和している。
「どうです? こんなものを作っているんですよ
 主人は継ぎ竿の一本をはずして、トンと手首を振った。
 筒の中から、もう一本が出てきた。桂木が二本継ぎと思っていた竿は、手品のように四本になった。そのうちの一本を、主人が桂木に渡した。
 竿は、掌に扇子でも載せたかと思えるほどの軽さに感じられた。
「いやあ、見事ですね」
 桂木は感嘆の声を上げた。「・・こんなにきれいなもの、水に濡らすのが惜しくなりませんか」
 手放しの称賛を受けて、男は満更でもなさそうな表情をした。
「実際に魚を釣ってこその値打ちですからね。これは四本継ぎのヘラ竿で、わたしが和歌山の橋本で修業した記念の作です」
 どうやら随一の自信作らしい。
 職人の技術の高さを示すための作品見本、看板代わりの展示品に違いなかった。
「美術品の域ですね、これは」
 桂木はしみじみと眺め、少年時代に買ってもらった白茶けた竿の色を、記憶に呼び戻していた。
「まあ、ヘラといえば関西が本場で、穂持ちに高野竹を使うところが特長なんです。見た目の派手さは、継ぎの多い江戸和竿ですが、粘りと味は、西のヘラ竿が一番じゃあないでしょうか」
 主人の話に熱がこもってきた。
 桂木は、竿の各部位の名称や、アユ、ヤマメ、タナゴ、ハヤといった魚ごとに異なる竿の特徴を、興味津々に聞いてはいたが、頭で理解するには限界があった。
「すごく勉強になりました。ありがとうございました。・・わたし、子供の頃は、親父に買ってもらった三本ツナギで、フナやヤマベを釣りましたけど、高校の受験勉強が始まってからは、すっかりご無沙汰になってしまいまして」
 昔を懐かしむように、目を和ませた。
「お客さんは、東北のご出身ですか」
 主人が訊いた。
「よく分かりますね」
 桂木が驚くと、ヤマメをヤマベと方言で呼ぶのは関東から北の人に多く、微かなアクセントの違いで東北ではないかと思ったのだという。
「同じヤマベでも、関東ではオイカワのことを指しますから、ややこしいんですがね」
 主人が笑った。
 混乱した桂木がさらに確かめると、海まで下って成長するとサクラマス、川に留まったものがヤマメで、元はといえば同じ種なのだという。
「ウオ偏にアブナイと書く魚名があるのですが、この鮠という字はハヤとも読むし、ハエにも当てられていて、その上地方ごとに魚種が違ったりするのです」
 釣り人でも、その辺のことをよく分かっていない人がいるのだと、主人の顔が得意げに輝いた。
   (続く)

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