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どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

『ヘラ鮒釣具店の犬』(6)

2006-01-06 11:24:27 | 短編小説
 桂木は、父親の転勤で三度転校している。
 東北を振り出しに、関東、中部と移り住み、東京の大学に合格して初めて親元を離れた。その間、少年期を過ごし、最も心を許せる友人ができたのは、仙台の頃だった。
 ずっと官舎暮らしで、父親の姿を見るのは朝だけというような生活だったから、友達と共有する時間が宝物のような価値を持っていた。アベちゃん、タカオ、モトムラ、ヨシキくん、次々と眼裏に浮かぶ同級生の顔が、みな彼に微笑みかけてきた。
 (そういえば、親父と釣りに行ったことがあった)と、桂木は思った。
 正確には、父親と、父親の部下と三人で、澄川というところへイワナを釣りに行ったのだ。長い時間、記憶の底に沈んでいた情景が、鮮やかに甦ってくる。稀な出来事だったから、余計に印象深く心に刻まれていたのだろう。
 その日、小学生だった桂木は朝早く起こされ、眠りの河に半分頭を浸けたまま、迎えの乗用車の後部座席で揺られていた。
 ときどき目覚めて窓の外を見ると、薄紫から碧緑へと色を変えていく空の下に、蔵王の山容が大きさを増していた。
 ふらつきながらクルマを降りたとき、いつも父を役所に送り迎えする年配の運転手が、小学生の彼にまで恭しく頭を下げ、なにやら声をかけてくれた。今でも、くすぐったさの残る思い出だった。
 後から思うと、あのときのクルマは公用車だったのだろうかと不安がよぎる。いくらおおらかな時代だったとはいえ、もしそうであったなら見咎める者もあったろう。そつのない父のことだから、非番の運転手をアルバイトで頼んで、別のクルマを使ったのだろうと勝手に納得した。
 ・・主人と打ち解けて会話を続ける訪問者に安心したのか、犬は再び腰を落として置物のようになった。
 あまり声を発しない性質の犬らしく、向かいの公園に超然とした眼差しを放って、時の移ろいに同化しているふうにも見えた。
「らかん、といいましたね、この犬・・」
「そうですが」
「変わった名前ですね。ご主人がつけたのですか」
「はあ、最初は別の名でしたが、後からわたしが・・。実は、元はといえば友人が子犬のときから飼っていたんですが、事情あって、わたしのところに預けられたのです。その際、思い切って改名したんですわ」
 説明に分かり難いところがあった。
「もしや、仏教の羅漢から」
 なぜか、外れそうな気がした。
「ハハハ、よく言われますが、そうじゃないんですよ」
 桂木の予感は当たった。訊くんじゃなかったと後悔した。
   (続く)

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