(消えた風紋)
市民会館で目にした江戸手妻師の印象は、翌日になっても正孝の脳裏から離れなかった。
昨夜のネオザール社との電話では、堂島という男の風貌をしっかりと確認することはできなかったが、写真などでもう一度突き合わせる必要を感じていた。
そのためには、パンフレットで目にした手妻師一門の弟子の舞台姿を探すことだ。
調べてみると、艶子の母親が似ているといった公演時の男のプロフィールが見つかった。
そこに載っていた画像を拡大して、顔まで鮮明な全身像を複写することができた。
(よし、これではっきりする)
謎の一つが解ければ、艶子の死に関わる闇に少しは光が射すはずだ。
正孝は、再びネオザール社に電話を入れ、画像をメールに添付して送るから、堂島という人物に似ているかどうか確認してほしいと頼んだ。
すると、それを見た担当者から、折り返し返事が来た。
「僕が面会した男は、電話でお聞きしたイメージと違うように思ったのですが、今の画像を見ると相手の心を覗き込むような目つきが似てますね」
「そうですか。わたしも、この手妻師の写真を見たとき、目だけで相手を支配できる男だと思ったんですよ」
正孝も、ほっとして思わず声を弾ませた。「・・・・昨夜は、外見ばかり説明するのに夢中で、却って本質を伝えられなかったのですな。いや、失礼しました」
「いやいや、袴姿のこの方と背広を着た堂島では、そう似ているとも言えませんが、目のあたりから滲み出る妖しい光のようなものが・・・・」
ネオザール社の担当者は、喋っているうちに自分の言葉に興奮してきたように声を震わせた。
「もちろん、手妻師本人のはずはありませんが、相手を術中に引き込む天賦の才が共通して備わっているのかもしれませんな」
ふうっと息を吐く生ぬるい音が、受話器を通して伝わってきた。
これまで電話の相手を単なる窓口ぐらいにしか考えていなかったが、反応の濃密さからチームの重要なポジションにある幹部社員かもしれないと推察した。
相手の気持ちを忖度すれば、詐欺犯に騙されたのは不覚だったが、勧誘の巧さを正孝に伝えられたことで、少しは安堵したのではないかと思った。
「まだ結論が出たわけじゃありませんが、堂島と名乗った男の正体はいずれ分かると思いますよ」
正孝の慰めに、相手も「ええ、ええ」としきりに相槌を打って同調した。
こうなると、近いうちにもう一度松江を訪れなければなるまいと思った。
明日か明後日には、遺体の引き取りが済み、葬儀が行われる可能性がある。
艶子の母親に、そのあたりの日程を確かめるのは気が重かった。
ただ、この前実家を訪れたときには、訊き出すべきことをほとんど押さえていなかったという後悔があった。
例えば家族関係もそうだし、実家を訪れた艶子の目的も聞いていない。
なぜ、母親の怪我をでっち上げたかの質問も、喉元まで出かかったのに躊躇してしまった。
他に艶子の幼い頃のことや女学生時代のこと、松江にいた期間の生活ぶりなどを、もっとたくさん聞き出すべきだったのだ。
葬儀を機に身内や親類知人が集まれば、艶子の母の重い口を煩わせることなく様々のことが明らかになるだろう。
そのタイミングを逃すことは、どうしても避けなければならない。
正孝は、自分の勘に従って明日にも松江へ向かうことに決め、準備に取りかかった。
まずは艶子の実家に行く口実として、未払いの給料とこれまでの功労に報いる退職金を、現金で携えていくつもりだった。
女性事務員を銀行へ走らせ、必要な額を下ろして来るように命じた。
その一方で、事務員が出掛けた隙に、付き合いの深い調査会社に電話をして、堂島と名乗る男の正体を調べるよう依頼した。
会社といっても、数人の調査員が所属するだけの小規模な組織だ。
ただ、社員の一人ひとりが極めつけのスペシャリストで、能力の高さは正孝も一目置いている。
場合によっては、法スレスレの手段を使ったのではないかと疑いを持つほど、満足感を味わった経験を持つ。
費用はかさむが、艶子と堂島の関係、艶子が死に至った原因を、警察とは別の角度で探ってくれるのではないかと期待していた。
「わたしも、できるだけ多くの情報を提供しますよ」
そのためにも、明朝の便で再び松江を訪れ、艶子の母親や親族に接触しなければならない。
帰省してからの艶子の行動がわかったら、次に出雲の警察に出向き、捜査状況も教えてもらうのだ。
それらの情報がつながっていけば、起こったことの意味が少しずつ明らかになっていくだろう。
調査を依頼したスペシャリストたちが、遠からず結果を示してくれるはずだと、正孝はかなりの確信を持っていた。
一昨日来たばかりの出雲縁結び空港に降り立つと、湖面からもたらされる湿気でしっとりと潤っていた。
正孝は迷わず喫茶「神在」に直行し、コーヒーとミックスサンドを注文した。
(あら?)というように、髪にスカーフを巻いたウェイトレスが微笑んだ。
通りすがりの旅行者の一人と思っていた痩躯の客が、再び姿を見せたことで好奇心が刺激されたのかもしれない。
「やあ、同じものばかり注文する変なおじさんに見えるでしょうな?」
正孝の方も、長年張り付いたままの強面の表情を緩めて、早番の女性に言葉をかけた。
「いえ、こちらへは観光で来られたのではないのですか」
まだ幼さの残るウェイトレスが、打ち解けた表情で問いかけた。
「まあ、仕事に近いのだが、出雲大社と松江城は通りすがりに見ましたよ」
「中までご覧にならなかったのですか」
「用事が片付いたら、それから探訪してみたいですな。・・・・お嬢さん、他にもおすすめの場所がありますか」
ウェイトレスは一つ頷いて、正孝の注文を厨房に伝えに戻った。
そして、何やらチラシのようなものを持って奥から出てきた。
「ここに近辺の名所が載っています。嫁ヶ島から鳥取砂丘まで、地図に書き込んでありますので参考にしてください」
「やあ、それは嬉しいね。後の楽しみができましたよ」
正孝は、ウェイトレスの白い手から手作りの地図を受け取り、艶子と初めて会った時に感じた好もしい印象を思い起こしていた。
(控えめに見せようとしているが、内側に隠したものがじんわりと染み出ている・・・・)
女子大卒業の学歴が記された履歴書を傍らに、正孝は薫風社を選んで面接に来た若い女を正面から観察した。
「当社を選んだ理由は?」などと、ありきたりの質問をぶつける気はなかった。
名の通った出版社ならともかく、新卒の大学生が面接に来るなどということは、金輪際ないものと承知していた。
それでも、東京へ出て来て初の応募だという言葉を信じ、それまでは松江で土産物店の手伝いをしていたとの申告を信じた。
「あなたの希望に合う会社かどうかわかりませんが、働いていただけますか」
福田艶子という女性を前に、珍しくへりくだったやり取りをしていたことに気づく。
山陰の女は、見かけとは異なり内に熱く滾るものを秘めているなどと、後になって勝手な解釈をする下地があったのかもしれない。
その情感のようなものを嗅ぎ取った正孝は、艶子を見た瞬間からすでに採用を決めていたような気がするのだ。
(わしとしたことが・・・・)
正孝は、コーヒーカップをゆっくりと口元に運びながら、名所旧跡を記した地図を目で追った。
日本海から宍道湖、出雲に至るまで、この地域は水に縁の深い土地柄だった。
中間には、中海と呼ぶ大きな湖もある。
県こそ分かれているが、島根と鳥取はほぼ同じような文化圏ではないのだろうか。
地図の上方へ視線を向けていくと、印こそ打たれていないが正孝も旧知の北条砂丘の地名が載っていた。
正孝の知るところでは、この砂丘には9基の大型風力発電機が設置されていて、かなり以前から稼働を続けている。
しかし、隣接する鳥取砂丘は有数の観光スポットであり、そこまで侵食して住民と紛糾するなど考えられないことだ。
正孝が直接関係していたわけではないが、地元北栄町が国の支援を受けて風力発電所を建設したことは、将来のエネルギー政策にとって意義ある事と歓迎していた。
鳥取砂丘の風紋は残り、北条砂丘の風紋は消えた。
自然と人間の共存を考える上で、非常に象徴的な事例であった。
その後、この風況のいい地域では、洋上風力発電所計画が持ち上がっている。
関西、中部、山陰方面は、正孝の活動範囲を外れているとはいえ、そこで暗躍する男たちの動向には注意を向けている。
(いずれ、一帯を視察する必要が生じるだろう)
そう思いつつ、今回の事件の展開に微かな不安を感じた。
本来の目的であった艶子の実家への訪問に、なぜかためらうものがある。
「ああ、いろいろどうもありがとう」
正孝は、ウェイトレスに声をかけて立ち上がった。「・・・・この地図よくできてますな。今日は何箇所か巡ってみますよ」
レジでの精算が済むと、正孝は軽く手を挙げてその場をあとにした。
(つづく)
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