どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

小説 『折れたブレード』05

2016-02-28 02:22:55 | 連載小説

 

     (逆縁)

 

 正孝は、空港ターミナルのタクシー乗り場に向かい、さてどうしたものかと迷いを感じていた。

 艶子の実家をめざして来たものの、先に訪問の了解を得た方がいいか、近くまで行って様子を見た方がいいのか悩んでいたのだ。

 ショルダーバッグを肩にかけ、一方の手に観光地図を持ったまま歩いていると、待機するタクシーの扉がいきなり開いた。

 ハッとしたが、すでに運転手が身をよじって正孝の目を捉えていた。

 誘われるように後部座席に乗り込むと、中年の男が甲高い調子で「お客さん、どちらへ行きなさいますか」と声をかけてきた。

「うーん、とりあえず一畑電車の最寄駅へ・・・・」

 体を押し込んだ拍子に、手にしていた地図が目に入ったのだった。

「ばたでんですか。何駅へ着けましょうか」

「そうか、畑電というのですか。ここから一番近い駅でいいんだが、運転手さんならご存知でしょう」

「はあ、布崎駅ですかなあ」

 運転手は即座に答えた。遠回りしようなどという魂胆は、かけらも感じさせない実直さだった。

「そこへ頼みます。松江までゆっくり行きたいので」

 つられて、正孝の方も心の内を素直に漏らしていた。

 宍道湖沿いにクルマを走らせ、途中斐伊川の橋を渡り、さらにもう一つの小さな川を過ぎるとまもなく布崎駅に着いた。

 小高くなった単式ホームで下りの松江しんじ湖温泉駅行きを待っていると、30分ほどして各駅停車の電車が入ってきた。

 正孝は湖の見える右側の座席に坐って、豊かに広がる水の風景を眺めた。

 南へ回り始めた太陽の光が、湖面にはじかれてキラキラと輝いている。

 ヤマト蜆で知られる宍道湖といっても、岸辺に何艘かの舟が影となって揺らめく以外は、あまり生産性を感じさせない水の風景であった。

 (艶子は、こうした風土の中で成長してきたのか・・・・)

 最後に肌を合わせた京都での夜が、懐かしく思い出された。

 正孝の好みに合わせてきた従順さの裏に、容易になじまない情念の蠢きを感じている。

 今となっては追及するすべもないが、まるで汽水湖の底に澱む塩分のぬめりのようなものが正孝を昂ぶらせる。

 ばたでんに乗っている40分ぐらいの時間、正孝はずっと艶子の面影を追っていた。

 

 見覚えのある平屋に近づくと、閉じられた引き戸の左右に笹竹が立っていた。

 二日前に訪れた時にはなかったから、それが忌中を意味する徴であることは直ぐに推測がついた。

 艶子はすでに荼毘に付されたのか、葬儀に至る進行はわからないものの、今まさに死出の旅の真っ只中にあることが正孝に緊張感をもたらしていた。

 案の定、玄関の内側には複数の人間がいるらしく、慌ただしくやりとりする声が漏れてきた。

「ごめんください。先日お伺いした薫風社の伊能ですが・・・・」

 ベルを押して声をかけると、一瞬会話が途切れて、引き戸が内側から開けられた。

「どなたさんで?」

 黒いスーツの男が問いかけた。

 どうやら、葬儀社から派遣された社員のようだった。

 正孝は、そちらへは軽く会釈して、黒の喪服をまとった艶子の母親に声をかけた。

「この度はご愁傷様でした。・・・・今日は、艶子さんの身の回りのものをお届けにあがりました」

「はあ、そげですか。ようござっしゃたねえ」

 母親は、疲れたような表情を見せて、正孝に頭を下げた。「・・・・忌みごとに、わざわざお出でくださって」

 葬儀社の男は二人いて、正孝のことを気にしながらも葬儀の段取りを進めている。

 様子を見ていると、事件の性質上あまり目立たない形で、身内だけで供養を済まそうとしているようであった。

 こぢんまりとした祭壇には燈明が点され、正孝が初めて目にする艶子の遺影が、屈託のない笑顔でこの場にいる者に笑いかけている。

 祭壇の前には、白布で包んだ四角い箱が安置されていた。

 いつ火葬場から引き取ってきたのか、艶子はすでに骨となってそこにいた。

 正孝は思わずにじり寄って、手を合わせた。

 (可哀想に・・・・)

 艶子の死の一端に自分が関わっている気がして、その運命に無残さを感じたのだった。

「ああ、お母さん、ちょっといいですか」

 正孝は、葬儀社の男たちの目の届かないところへ呼んで、用意してきた艶子の当月の給料と退職功労金を手渡した。

 母親は驚きながらも、目の中に感謝の色を浮かべ、聞きなれない言葉を二度繰り返した。

 正孝は、表情から「ありがとう」という意味だろうと受け取った。 

 密葬とはいえ簡略過ぎるように感じたので、正孝は葬儀社の社員に花輪を一基追加してくれるように頼んだ。

 ここいらのしきたりで、町内会から花輪一基が贈られると聞いたので、『薫風社』の名で花輪が届けばバランスが良くなるだろうと考えたのだ。

 そうすれば、湿りがちな艶子の葬儀も、少しは侘しさが薄まるのではないかと思った。

 (葬儀には、誰が来てくれるのだろう?)

 正孝は、我が事のようにやきもきしていた。

 親族の他に、町内会の一部住民が焼香にくることは、社員二人のやり取りで予想がついた。

 最近は東京などの都会でも、家族葬と呼ぶ小規模な葬儀が増えていると聞く。

 一応、午後二時に近くの寺から真宗の僧侶が来る事になっていて、葬儀社の一人は花輪が届くのを待って帰っていった。

 

 葬儀の開始時刻まで一時間半ほどあったので、正孝はいったん艶子の実家を辞して、松江の街を歩いてみた。

 5分も行かないうちに、通りの外れに蕎麦屋を見つけた。

 年季の入った看板に、雲州そばと書いてある。

 暖簾をくぐると、ちょうど昼時ということもあって、店内は蕎麦を求める客で混み合っていた。

 空いている席に腰を下ろし、お品書きに記されていた割子そばを注文した。

 相席の客も、重ねの丸いザルを外しながら、いろいろな薬味とそばの味を楽しんでいるようだった。

 正孝も、割子そばの味に満足して店を出た。

 更科とは正反対の黒っぽいそば粉で打たれた蕎麦は、ひときわ香りが素晴らしかった。

 多少ゆっくりする時間は残っていたが、忙しない気持ちに動かされて艶子の実家に戻った。

 正孝が出かけている間に数人の弔問客が集まっていて、黒っぽいズボンとシャツ姿で用意された座布団の上に坐り、身近な話題で盛り上がっていた。

 ほどなく年配の住職が到着し、墨染の法衣のまま地元民の話に加わった。

 蓮如の系譜を継ぐ寺なのだろうか、いかにも気さくな印象の振る舞いだった。

 その場では異質な人間に映るであろうことを察知して、正孝は自ら身分を明らかにした。

 艶子が東京で働いていたことを説明し、惜しい人を亡くして残念だと告げると、その場にいた男たちは一様に頷いた。

「このあたりじゃ、評判の娘さんじゃったけん」

「えにゃんばだったしねえ」

 どうやら、女学生のときは目立つ存在だったようだ。

 ところが、陰で聞いていたのか、母親がお茶を配りながら「・・・・逆縁はもう嫌じゃけ」とつぶやいた。

 親を残して子供が先に死ぬ。確かに、艶子は親不孝者であった・・・・。

 しかし、逆縁はもう嫌だとは、どういうことか。

「以前にも、何かあったのですか」

 正孝が問いかけると、母親は口をつぐんだ。

 すると、それを察した住職が、「おやじさまが、道楽した挙句に失踪しなさってねえ。この人は、えらい苦労をしたんじゃ」と引き取った。

 あからさまには話したくなかった事柄も、住職に引導を渡された格好で、母親はぼそぼそと愚痴をもらし始めた。

「さあ、時間が来たようですので、そろそろ皆様・・・・」

 葬儀社の男が、それとなく住職をうながした。

 では、という素振りで、住職は焼香台の前に歩み寄った。

 

 読経と法話で、ほぼ一時間のお勤めを終えると、僧侶はこの場を辞していった。

 その後も、ぽつりぽつりと弔問客が現れる。

 いずれも、焼香が済むと居合わせた者に会釈をし、香典返しを渡されて帰っていった。

 最後まで居残って相手をするのは、町内会の世話役の役回りのようであった。

 正孝は、切りのいいところで引き上げるつもりだったが、疲れの見える艶子の母親に休息を勧めて、もう少し様子を見ることにした。

 この地方のしきたりなのか、ほうっておけば夜まで続きそうな懼れを感じる。

 それでも、残された世話役と葬儀社の社員、正孝の三人は、妙な連帯感を共有して打ち解けていった。

 その場の雰囲気を捉えて、正孝はにわかに湧いた疑問を世話役に振ってみた。

「さきほど、お坊さんがおっしゃられていた、おやじさまというのは、つまり艶子さんのお父さんのことですか」

「そうそう、そげな話しとったな」

 世話役によれば、この家の主人は川魚の仲卸業をしていたのだが、安来節の稽古に通ううちに芸者といい仲になり、漁協の金を使い込んで廃業に至ったらしい。

 その後も自棄を起こして不始末を重ね、とうとう親族の総意で離婚させられる羽目になった。

 一人娘の艶子がまだ幼い頃のことで、失意の中で「おやじさま」は姿を消し、石見へ行ったとも佐渡へ渡ったとも噂されたが、今日に至るまで消息はわからなかった。

 当然、主人を失った家庭は困窮する。

 本家の方も、離婚させた責任を感じ、艶子の養育費を出し続けた。

 本家の跡取りである長男の計らいだったようで、「おやじさま」を放逐した裏に、艶子の母への横恋慕があったのではないかという噂があったらしい。

 当時、長男は女房と死別したばかりで、そうしたことも煙の立つ根拠になっていた。

 世間体もあって、艶子らを本家に迎え入れることはなかったが、その後事実上の後妻にしたようだ。

 艶子と母親が、そのことをどう思っていたかはわからないが、諦めの中にも不如意な気持ちが残っていたのかもしれない。

 正孝は、地元町内会の男の話を聞きながら、「逆縁はもう嫌じゃけ・・・・」と呟いた艶子の母の内面に思いを馳せた。

 ひょっとしたら、艶子が上京を決意した気持ちの中にも、そうした立場からの脱出があったのかと推測した。

「艶子さんも、早くこの家を出たかったのでしょうかね」

「いや、それは・・・・」

 女子大を出るまで本家からの援助があったのだが、その頃ちょうど父親代わりの伯父さんが亡くなったので、踏ん切りがついたのだろうという返事だった。

 おかげで正孝は、艶子と出逢うことになった。

 なぜか隠微さの付きまとう人生だったなと、あらためて祭壇の遺影を見上げた。

 (それにしても、失踪したという艶子の実の父親は、一人娘の死をあの世で迎えるのだろうか)

 なぜか、艶子の父親の無念さまで正孝の心に響いてきた。

 すると、父娘双方の思いが、見えない電波のように正孝の中で飛び交った。

 (そうだよ、艶子も父親の消息を追っていたかもしれんな)

 島根に来て艶子の死の謎を解くはずが、逆にもう一つ謎を抱え込むことになった。

 この分では、松江に一泊せざるを得まいと決意し、艶子の遺影に別れを告げた。

 

     (つづく)

 


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