三越裏にある民芸喫茶『青蛾』で夕子が漏らした一言は、こらえていたものが彼女の意思を無視してチョロリとこぼれ出た感じだった。
(やっぱり・・・・)
正夫は、心の中でうなずいた。
ときどき勝れない表情を見せる夕子の様子から、急には晴れない気がかりがあることに気づいていた。
ただ、重たい問題というのが何なのか、それに首を突っ込んだことでどんな状況に陥っているのか、迂闊に立ち入るのを躊躇させる雰囲気があった。
「どういうことか、訊いてもいい?」
思い切って、一歩踏み込んだ。
夕子は困惑の表情を隠さずに、正夫の顔を見た。
「・・・・普通の支援とちがうのよ」
抱撲(木ヘン)舎で知り合った女性運動家というのは在日朝鮮人の支援者で、日朝間に横たわる歴史的問題について国家と民衆の両面から真実を探っていた。
大学の数少ない講座で、非常勤講師として独自の教育問題を論じるとともに、出入国管理法などの条項を捕えて、差別の是正を求める意見をアピールした。
学生も一般人も、彼女の意見に耳を傾けた。
声高に喚きたてる活動家と違い、冷静で説得力のある主張が受け入れられていたのかもしれない。
一部の知識人たちからも、明確な支持が表明された。
夕子もまた、いつの間にか女史の理論にシンパシーを感じ、その活動に加わっていったのだった。
蒲田や川崎に出向いていたのは、そのあたりに女史の活動拠点があったのだろうか。
江東区の拠点はよく知られていたが、女史がそこにどう関わっていたかは夕子の話からは分からなかった。
朝鮮人の市民活動家を支援する日本人女性も、各活動拠点に少なからず送り込まれているらしい。
大阪をはじめ大都市の支部間で交流があり、実際にあったという生々しい話を聞かせられることで、しだいに朝鮮民族への贖罪意識を大きくしていった。
そうした中、夕子が悩み、正夫に悟られまいとして隠していたのは、巷に流れているある噂のせいであった。
「わたし、サークルの男子に変なことを言われたの」
「・・・・?」
「おまえらのグループでは、フリーセックスOKなんだろうって・・・・」
人権活動家の女性講師は、ウーマン・リブの草分けの一人でもあり、「男の不倫が許せるなら、女の不倫も許されるべきだ」と言ったとか言わないとか・・・・。
男子学生の発言は、そうした言葉尻を捉えて広まった噂の引き写しだったようだ。
実際学生運動は、日米安保、ベトナム反戦、狭山差別、成田阻止と、その時どきに主軸を替えてきたが、在日朝鮮人問題と性差別をめぐる活動も新たに加わっていた。
もともと全共闘で後方支援を担当していた左翼系女子が、男子同様の役割を求めてアピールしたのがウーマン・リブの始まりとされている。
脚光を浴びる男性活動家の陰で、陽の目を見ない立場に縛り付けられていた女たちが怒りを爆発させたのだ。
性差別の理不尽に気づいたところから、新たなテーマが生まれてきた。
勝ち取ったばかりの「勤労女性福祉法」は、彼女らの成果の一つだった。
就職・昇進等における男女の機会均等を推し進め、社会全般における差別撤廃を実現させることが次の目標となった。
女史の中では、あらゆる差別は許されないものとして存在した。
在日朝鮮人に対する差別も、歴史的事実から眼を背けることのできない問題として取り組んできたと思われる。
一方、夕子は女史のような訳には行かず、急激に迫られる意識改革と活動の困難さに弱音を吐いたのだ。
正夫には、彼女のいう「重たい問題」の正体が、おぼろげながら見えてきた気がした。
「最初から心配だったんだよな。住井先生、住井先生と慕うのはいいけど、人権運動なんて半端な気持ちじゃ取り組めないもの」
途端に夕子の目が光り、カッとなって正夫を睨みつけた。
「住井先生とはまったく関係ないわ。あなたも無意識のうちに差別を撒き散らすタイプの人ね。日本人が、朝鮮人に対してどれだけ理不尽なことをしてきたか、何も知らないんでしょう」
夕子は、周囲に聞こえるほど声を荒げた自分に気づき、声を荒げさせた正夫に二倍の怒りを感じたようだった。
「わたし、帰る・・・・」夕子が席を立った。
振り返ることもなく、『青蛾』の狭い入口にぶつかるような勢いで外に飛び出していった。
正夫は、しばらく呆然としていた。
飲みかけのコーヒーが、まだ半分ほどカップを浸していた。
(それほど、気に障ることを言ったのだろうか)
あるいは、彼の指摘が的を得ていたから、カッとなったのかも知れないと気づいた。
夕子は、身丈にあまる問題を引き受けて、その重圧に押し潰されようとしているのだ。
きょうは仕方がないが、いずれ正夫の真意を理解し、冷静になって戻ってくるだろうと考え直した。
新宿で気まずい別れをしてから、夕子はなかなか正夫の前に姿を現さなかった。
その間、正夫は印刷所のアルバイトに精を出し、間近に迫った大学復帰に備えていた。
深夜勤務の手当て削減が実施される傍ら、正社員への登用を打診されたりもした。
正夫は複雑な思いで申し出を断り、再び大学に戻る事情を話して、引き続き臨時職員としての雇用を希望した。
普通であれば喜ぶべき社員昇格への誘いが、心理的な負い目となって心を重くした。
人間が生きている限り、さまざまな問題に直面する。
大きい問題も小さな問題も、日々解決を求めて切っ先を突きつけてくるようだ。
(夕子は、本当に怒ってしまったのか)
思想的な議論を戦わせているうちはいいが、行動を伴う活動には不安がともなった。
資本主義下の成功者である父親に反発して、左翼的な言動に走る若者の一人である夕子・・・・。
信念を貫き通すならそれもいいが、正夫には反抗期にあるお嬢さんの自己満足にしか思えないのだ。
「生兵法は怪我のもと」・・・・歯に衣着せず言えば、そういうこと。
だからこそ、オブラートに包んで言ったのに、睨みつけた顔のまま姿を消してしまった。
アルバイトをめぐる気がかりと、夕子への懸念。
四月から復学する飯田橋本校への登校にも、なにがしかの不安が付き纏う。
そうした状況の中、長兄からは遺産分割の正式書類が送られてきた。
こちらばかりは、きれいさっぱり解決済みの誇らしさに輝いているようだ。
法務局への登記も終わり、彼が生まれ育った実家は、おいそれとは帰れない他人の家となったのだ。
愛想のない手紙を見ると、なにがなし後悔のような感情が湧き起こる。
これからは、すべて自分ひとりで生きていかなければならないと思うと、いきなり宇宙空間に放り出されたような寂しさを感じた。
「夕子・・・・」
口に出して呼んでみた。
無縁な人間の集まりの中で、唯一こころを預けられる存在が夕子だった。
肉親だから心の距離が近いのではない。
はじめは赤の他人であっても、共通の生活、共通の考え、苦楽を共にする体験、そうした関係を本物と信じられるようなったとき、無二の存在となるのだ。
正夫にとっての夕子は、まさに替えがたい存在だった。
夕子にとっての正夫は、はたしてどんな存在なのか。
動揺する気持ちを抱えたまま、さらに時間が過ぎていった。
非常手段で、直接夕子の家に電話しようかと悩んだ。
そんなことをすれば、取り返しのつかない事態になると分かっていながら、夕子に連絡を取りたかった。
せめて、夕子が自宅に帰っているのかどうか、確かめることができれば安心できる。
セールスマンを装って、本人の在宅を確かめるぐらいは可能なのではないか。
「もしもし、英会話教室のイートンと申しますが・・・・」
正夫の存在に気づかれることなく、夕子の母親から情報を引き出す手段はあるだろう。
だが、彼は結局電話をしなかった。
夕子から釘を刺されていたし、万が一バレて夕子を失うことになる事態に耐えられなかったから・・・・。
正夫は意味もなく机の引き出しを空け、一番奥に押し込んであるジャック・ナイフを取り出した。
ダガーナイフのような剥き出しの荒々しさはないが、引き出した刃の繊細なイメージが彼の心を慰めた。
孤独という言葉では表せない、震えるような不安感はどこから来るのだろう?
見るたびに、想像していたのとは違うジャック・ナイフの性質に惹かれていく。
いっそナイフの属性に同化してしまったら、不安も孤独も感じないだろうに・・・・。
(ぼくの名は、ジャック。細身のジャック・・・・)
新宿さくら通りの客引きに挑もうとした、頼もしい奴。
汗ばむほど強く握ったあの夜の感覚が、手の中でビリビリと発光するように感じられた。
(つづく)
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今から見るととても分かりやすくて、若者の多くがその落とし穴に落ちていきましたっけ。
ぼくもその中の1人だったかな。
夕子のように。
でもそれこそが青春真っ只中にあるものの特権なのかもしれませんね。
1回や2回泥水に落ちたからといって、どうってことない。
鼻から入った泥水さえ飲み込んでしまって、栄養にしてしまう。それが若さってものなのかも。
よく考えてみると、何の疑いも持たず真っ向から直進できたあの時代は若者にとって幸せな刻だったのかもしれません。
この小説はその時代の感性をよく伝えていますね。
回を追うごとに「細身の」というタイトルが伝えてくるその感じが浮かび上がってくるような気がします。
今という時代を逆照射するようないい小説です。
それに比べ、成熟社会になってあらゆる事柄が細かくマニュアル化され予めあらゆる可能性が行動する前に提示されてしまっている現在・・
ちょっと息苦しくつまらないですね。
新しい技術だけが先行して、訳も分からずそれを追いかけるのに汲々としなければならない今の若者には、同情したくもなりますが・・・老年世代の考えすぎでしょうかね。
この小説の結末がどうなるのか。
ナイフが出てきているだけに、楽しみです。
じっくり描きこんで!
出来合いの服に無理やり身体を突っ込むような、イデオロギーの選択。
どこかに居場所を求めないと、一番厭な日和見主義者というレッテルを貼られてしまう。
みんな確信が持てないまま、右往左往していた時代でした。
おっしゃるとおり、声も出せない現代の若者と比べ、幸せだったのかも・・・・。
主人公の挫折と、払わなければならない代償の重さを別にして。