ミナコさんとの逢瀬は、週に一回のペースで実現した。日曜日に、ミナコさんの好きな盛り場で、人混みに紛れて待ち合わせることが多かった。
梅の季節になって、湯島天神、六義園などの近場だけでなく、おれの希望で百草園まで足を伸ばしたりした。
おれは、口にこそ出さなかったが、ミナコさんの住むマンションに近付けないことにストレスを感じていた。自分自身の心理的な抑制がそうさせるのだが、それが苛立ちとなっておれを苦しめた。
同じように、週の半ばを避け続けるミナコさんの日程も、その理由が分かっているだけに余計に腹立たしく感じられた。
おれが挑もうとしているものが、あの自動車内装会社の社長であることは、とうに分かっていたことだ。ただ、意地でも聞けないことがある。おれの知らないところで何が行われているのか。おれの眼裏には、薄ら笑いを浮かべて目を逸らした社長の顔がある。あのときの屈辱を追い払うように、おれはミナコさんに挑んでいたのかもしれない。
会うたびに、おれは小遣いを渡された。
おれの窮状は明らかだったから、ミナコさんが見かねたのだろう。
「あなたの将来、どこかで大きく変わりそうな気がするの・・」
だから援助するのだと、おれに思い込ませたかったに違いない。
おれは、ミナコさんの言葉を素直に受け止めた。すぐに暗がりに逃げ込もうとする癖は、抑えられていた。自尊心だけは人一倍強いおれが、ミナコさんの前では少しずつ穏やかさを身につけていったように思う。
ポカポカ陽気に恵まれた一日、おれはミナコさんを誘って神宮外苑を散策した。花見の喧騒が終わり、ようやく葉桜が目立ち始めたころだった。
おれにとっては、じつに久しぶりの場所だった。インドへ旅立ったヨシモトと、宇宙の真理を語り合い、そこに至る感性の向上を目指して、この杜の木々に耳を押し当てた懐かしい場所である。
おれは、ミナコさんにヨシモトの話を聞かせた。ふたりでUFOを呼んだときの不思議な体験を熱っぽく語った。
「それで、ほんとうに円盤がみえたの?」
「たぶん、アダムスキー型だったと思うなあ。五つの光がおれたちに近付いてきて、次々と点滅して合図をよこすんだ。おれは、そのときヨシモトのテレパシーが通じたんだと確信したね。あいつなら、きっと地球の自転の音も聴けるんじゃないかな」
おれは、最後にもらった手紙の弾むような息遣いを思い出し、同封されていた写真のヨシモトを、尊敬の念をまじえて脳裏に浮かべた。
「・・こんど持ってくるけど、額に第三の眼があると言っても嘘じゃないような悟りの顔をしているんだ。一緒に写っていたインドの行者の方が、なんだか負けているみたいに見えたもの」
おしゃべりをしているうちに、いつの間にか千駄ヶ谷の駅が見えてきた。信濃町から外苑を経てここまで、ひと駅以上の距離を歩ききったことになる。
ところが駅前の広場は、切符売り場に並ぶ若者で溢れかえっていた。折りしも、向かいの競技場で行われていたイベントが終わったところらしく、ますます混雑が激しくなる様相をみせていた。
おれとミエコさんは、顔を見合わせた。そのまま人混みに入っていく気にはなれない。駅の車寄せ手前の信号を渡り、喫茶店を探しながらまっすぐに進んだ。
「へえ、思いのほか活気のない街なんだね。お茶を飲むところもないなんて・・」
おれがぼやいたとき、五差路とおぼしき信号の左手にそれらしい店を発見した。
「ごめんね、こんなに歩かせちゃって」
「なに言ってんのよ。わたしなんて、女学校まで毎日ニ里の道を往復していたんだから。鍛え方が違うわよ」
それも、ミナコさんのやさしさの顕れだったと思う。山形の田舎で送った少女時代の話もポツリポツリと口にするようになって、おれたちの共有する過去の思い出が次第に増えていった。
予定通り、角の喫茶店に入り、二階へ通じる階段を上った。外から見上げたとき、窓際で向かい合う二人の人影が見え、その一組だけらしい客の様子につられて二階へ上がったのだ。
案の定、窓際を占めた先客が熱心に話をしていた。
おれたちの後を追うようにコップを運んできたウェイトレスに、おれはコーヒー、ミナコさんは紅茶を注文し、待つあいだ周囲の壁に貼られた手書きのメニューを眺めたりした。赤や緑や黄色のポスターカラーを使って、サンドイッチやパスタの絵が描かれている。簡略な表現のなかに、人の興味をそそる素朴な絵心が感じられて、おれは微笑みながらその一つを指差した。
「なかなか上手だよね」
「ほんと、素敵ね。一皿だけ頼んでみようか。けっこうお腹が空いたかも」
ミナコさんが、提案した。
空腹ではないが、野菜サンドの一切れ、二切れを摘まんでみたい気持ちはある。かなりの距離を歩いてきて、心理的にもそうした欲求が湧くところだった。
飲み物を運んできたウェイトレスに追加注文を出し、コーヒーを口元に近付けた。ドリップしたての芳香が、おれの鼻をくすぐった。
「ほう」
感嘆の声をあげるおれに、ミナコさんも同調した。
「このオレンジペコ、香りがいいわ。量もたっぷりだし、うれしいな」
陶器の紅茶ポットから、特製らしいティーバッグを引き上げ、満足そうに頷いた。
おれは、大ぶりのカップを傾けながら、窓の外に目をやった。
ガラス越しに、夕焼け空が見えた。反対側の建物に遮られてはいるが、屋根の上に薄手の雲が広がり、その裏から突き抜けるように日矢が漏れている。
「ずいぶん日が伸びたけど、もうすぐ五時なんだ」
おれは、腕時計に目をやった。
「おっ、いけない。連絡事項があったんだ」背中を見せていた男が、慌てて立ち上がった。「・・ちょっと、将棋会館まで戻ってきますけど、いいですか」
相手の男は、長身の若者を見上げて、複雑な表情をした。年齢はかなり上だが立場は下という感じで、すでに踵を返した若者の背に、諦めの視線を投げかけた。
おれの記憶に引っかかるものがあった。
挨拶もなく辞めてしまった自動車内装会社の、ゴトウさんのことだった。あの嘱託勤務の小父さんが、何度かプロの手ほどきを受けたと自慢していたのが、千駄ヶ谷にある将棋会館だった。
(続く)
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