おれは、ミナコさんの脚の間に片膝をつき、斜めに体を重ねた。すべるような白さに見えた肌が、ずり上がっていくおれの腹に吸い付いてきた。
腕の付け根に口をつけ、そこから首筋へと位置をずらした。顎の裏側にもぐりこむと、ミナコさんはのけぞったまま声をあげた。
おれの中に、得体のしれない男の影が忍び入ってきた。大塚の飲食店街からアパートに戻る途中、暗がりの道で売りつけられたエロ写真の男だったろうか。
純情なはずのおれが、いま、女神のようなミナコさんをいたぶっている。思ってもいなかった展開に、こんなはずではなかったと戸惑う自分がいる。
おれは、おれの貪欲さに気付かされていた。欲望が膨らみ、大きくなったまま意識の底に沈潜していくのも異様だった。膝に当たる部分が熱をもち、薄物を透して汗を噴き出していた。おれの手が、そこを目指して追い討ちをかけた。
さらに冷酷になれそうな自分がいた。おれの中に入り込んだ影は、ほんとうにあの男なのだろうか。顔を隠しながら、頬のあたりに笑みを残していたあの職業的な男の気配とは、どこか違うような気がした。
やはり、血筋なのかもしれない。
おれは、痴情の果てに殺された母と父を思い浮かべた。
能登半島の先端の、とんびが舞う漁村での出来事である。小学校に入学する日を指折り数えていたおれは、両親の死を突然知らされた。
葬儀が終わると、詳しい説明もないまま七尾市で働く叔父夫婦に預けられた。事件のあらましを知ったのは、高校入学に際して両親の没年に疑問を抱いたのがきっかけだった。母と父が同じ日に死んだ不審に気付くには、それだけの年月が必要だったということである。
図書館で、地方紙のファイルを繰った。記事は三面の半分を占めていた。
母が原因だった。父は巻き添えにされたのだ。犯人は、まだ未成年の若者だった。母の浮気心が狂わせた犠牲者とも言えた。
それ以外のことは、忘れることにした。憶測記事は虚しいだけだ。5W1H。おれは必要不可欠のことだけを選別して、心の小箱に密封した。中学の授業で教えられた知識が役に立った。
薄物を剥ぐと、そこに夏草の丘が広がっていた。
丘を挟んで、雨上がりの道路が伸びていた。なぜか懐かしい風景だった。青春時代におれが旅した伊豆の地形に似ていた。
能登の暗い断崖と異なり、石廊崎はどこか他人事のような明るさにつつまれていた。光の海からそそり立つ岩塊の遥か下方を、小さな波が繰り返し洗っていた。
おれの目の前に、闇を抱えた石室があった。おれは、そこを発き、陽に曝した。沈潜していた欲望がせり上がってきた。泣きたくなるような歓喜の中で、おれはミナコさんに没入した。
旅の果てに、心地好い疲れがやってきた。おれもミナコさんも、組み紐の結び目のように絡んだまま、動かなかった。
おれは、一瞬眠ったようだ。気が付いたとき、おれの下からおれの髪を撫でるミナコさんの微笑があった。
「悪い子ねえ。わたしをこんな気持ちにさせて」
意味のない睦言だったと思う。
すぐに起き上がる気配がして、体を反転させられた。上になったミナコさんが、おれの目蓋に口付けした。生暖かいぬめりが、そこにとどまっていた。おれは目を閉じたまま、ミナコさんの意図に任せた。密着していた腰が離れ、離れた隙間に部屋の空気が分け入ってきた。
手が添えられ、柔らかい布があてがわれた。
薄く目を開けた視線の先に、浴室へ向かうミナコさんの背中があった。弱い燭光のせいか、輪郭がにじんで見えた。
弾けるほど身の詰まった体より、影の乗りやすい体が好きだった。ドアの陰に消えようとするミナコさんを目に収めて、おれはおれの嗜好を知った。
思い返してみても、俗に言うピチピチギャルには、あまり興味を抱けなかった。自動車ショーや、街頭でのキャンペーンに出てくる少女たちは、おれにとって印刷されたポスターのようなものだった。
その点、ミナコさんは違っていた。おれの性向をはっきりと認識させてくれたのだ。おれはミナコさんを好きで好きでたまらないと思った。
一方で、たったいま起こった事が現実なのだろうかと、不思議に思う気持ちもあった。夕方電話を掛けてからの成り行きが、信じられない激しさで進行したせいだろう。だが、浴室から微かにもれてくるシャワーの音は、夢ではない。おれの全身に間断なく降りそそいで、夢の出来事ではないと告げていた。
しばらくして、ミナコさんが戻ってきた。胸から下をバスタオルで覆っていた。
おれは、まだベッドに横たわっていた。殊勝らしく、下腹部に枕カバーを乗せたままだった。
「バスタブにお湯を張っておいたから、入ってらっしゃい」
ミナコさんが、おれの方に身を屈めた。
おれは頷きながら、ゆっくりと上半身を起こした。そのままベッドを降りて浴室に向かった。背後からのミナコさんの目を意識して、肩に力が入っていた。
鏡に映るおれの立像は、まだ二十代の張りを残していた。粗末な食生活にもかかわらず、腰は締まっていたし、腋の下にかけて幅を広げる胸郭の形も、おれが勝手に悲観していたより、よほどマシなものに思えた。
こんな風に、自分を恃む気持ちになったのは、久しぶりのことだった。あの押入れの寝床で、自分を倦怠に投げ入れていたのが嘘のようだ。
おれは、手早く汗を流してバスタブに身を横たえた。ほどよい湯の温度が、皮膚を通してからだの内側に浸透してきた。そうしていると、失われたものが甦ってくる気がする。だが、いまはミナコさんを待たせるわけにもいかなかった。
部屋に戻ると、ミナコさんがビールを用意して待っていた。備え付けの冷蔵庫から引き出したのだろう、トレイの上に栓抜きまで用意されていた。おれは、腰にバスタオルを巻きなおし、適度に冷えた茶色のビンに手を添えた。勢いよく王冠が飛び、ふたりの距離が一段と縮まった。
(続く)
腕の付け根に口をつけ、そこから首筋へと位置をずらした。顎の裏側にもぐりこむと、ミナコさんはのけぞったまま声をあげた。
おれの中に、得体のしれない男の影が忍び入ってきた。大塚の飲食店街からアパートに戻る途中、暗がりの道で売りつけられたエロ写真の男だったろうか。
純情なはずのおれが、いま、女神のようなミナコさんをいたぶっている。思ってもいなかった展開に、こんなはずではなかったと戸惑う自分がいる。
おれは、おれの貪欲さに気付かされていた。欲望が膨らみ、大きくなったまま意識の底に沈潜していくのも異様だった。膝に当たる部分が熱をもち、薄物を透して汗を噴き出していた。おれの手が、そこを目指して追い討ちをかけた。
さらに冷酷になれそうな自分がいた。おれの中に入り込んだ影は、ほんとうにあの男なのだろうか。顔を隠しながら、頬のあたりに笑みを残していたあの職業的な男の気配とは、どこか違うような気がした。
やはり、血筋なのかもしれない。
おれは、痴情の果てに殺された母と父を思い浮かべた。
能登半島の先端の、とんびが舞う漁村での出来事である。小学校に入学する日を指折り数えていたおれは、両親の死を突然知らされた。
葬儀が終わると、詳しい説明もないまま七尾市で働く叔父夫婦に預けられた。事件のあらましを知ったのは、高校入学に際して両親の没年に疑問を抱いたのがきっかけだった。母と父が同じ日に死んだ不審に気付くには、それだけの年月が必要だったということである。
図書館で、地方紙のファイルを繰った。記事は三面の半分を占めていた。
母が原因だった。父は巻き添えにされたのだ。犯人は、まだ未成年の若者だった。母の浮気心が狂わせた犠牲者とも言えた。
それ以外のことは、忘れることにした。憶測記事は虚しいだけだ。5W1H。おれは必要不可欠のことだけを選別して、心の小箱に密封した。中学の授業で教えられた知識が役に立った。
薄物を剥ぐと、そこに夏草の丘が広がっていた。
丘を挟んで、雨上がりの道路が伸びていた。なぜか懐かしい風景だった。青春時代におれが旅した伊豆の地形に似ていた。
能登の暗い断崖と異なり、石廊崎はどこか他人事のような明るさにつつまれていた。光の海からそそり立つ岩塊の遥か下方を、小さな波が繰り返し洗っていた。
おれの目の前に、闇を抱えた石室があった。おれは、そこを発き、陽に曝した。沈潜していた欲望がせり上がってきた。泣きたくなるような歓喜の中で、おれはミナコさんに没入した。
旅の果てに、心地好い疲れがやってきた。おれもミナコさんも、組み紐の結び目のように絡んだまま、動かなかった。
おれは、一瞬眠ったようだ。気が付いたとき、おれの下からおれの髪を撫でるミナコさんの微笑があった。
「悪い子ねえ。わたしをこんな気持ちにさせて」
意味のない睦言だったと思う。
すぐに起き上がる気配がして、体を反転させられた。上になったミナコさんが、おれの目蓋に口付けした。生暖かいぬめりが、そこにとどまっていた。おれは目を閉じたまま、ミナコさんの意図に任せた。密着していた腰が離れ、離れた隙間に部屋の空気が分け入ってきた。
手が添えられ、柔らかい布があてがわれた。
薄く目を開けた視線の先に、浴室へ向かうミナコさんの背中があった。弱い燭光のせいか、輪郭がにじんで見えた。
弾けるほど身の詰まった体より、影の乗りやすい体が好きだった。ドアの陰に消えようとするミナコさんを目に収めて、おれはおれの嗜好を知った。
思い返してみても、俗に言うピチピチギャルには、あまり興味を抱けなかった。自動車ショーや、街頭でのキャンペーンに出てくる少女たちは、おれにとって印刷されたポスターのようなものだった。
その点、ミナコさんは違っていた。おれの性向をはっきりと認識させてくれたのだ。おれはミナコさんを好きで好きでたまらないと思った。
一方で、たったいま起こった事が現実なのだろうかと、不思議に思う気持ちもあった。夕方電話を掛けてからの成り行きが、信じられない激しさで進行したせいだろう。だが、浴室から微かにもれてくるシャワーの音は、夢ではない。おれの全身に間断なく降りそそいで、夢の出来事ではないと告げていた。
しばらくして、ミナコさんが戻ってきた。胸から下をバスタオルで覆っていた。
おれは、まだベッドに横たわっていた。殊勝らしく、下腹部に枕カバーを乗せたままだった。
「バスタブにお湯を張っておいたから、入ってらっしゃい」
ミナコさんが、おれの方に身を屈めた。
おれは頷きながら、ゆっくりと上半身を起こした。そのままベッドを降りて浴室に向かった。背後からのミナコさんの目を意識して、肩に力が入っていた。
鏡に映るおれの立像は、まだ二十代の張りを残していた。粗末な食生活にもかかわらず、腰は締まっていたし、腋の下にかけて幅を広げる胸郭の形も、おれが勝手に悲観していたより、よほどマシなものに思えた。
こんな風に、自分を恃む気持ちになったのは、久しぶりのことだった。あの押入れの寝床で、自分を倦怠に投げ入れていたのが嘘のようだ。
おれは、手早く汗を流してバスタブに身を横たえた。ほどよい湯の温度が、皮膚を通してからだの内側に浸透してきた。そうしていると、失われたものが甦ってくる気がする。だが、いまはミナコさんを待たせるわけにもいかなかった。
部屋に戻ると、ミナコさんがビールを用意して待っていた。備え付けの冷蔵庫から引き出したのだろう、トレイの上に栓抜きまで用意されていた。おれは、腰にバスタオルを巻きなおし、適度に冷えた茶色のビンに手を添えた。勢いよく王冠が飛び、ふたりの距離が一段と縮まった。
(続く)
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