どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

<おれ>という獣への鎮魂歌 (34)

2006-05-27 07:59:58 | 連載小説
 数日後、おれのもとに二人の刑事が尋ねてきた。
 ミナコさんについての詳しい状況は教えずに、ミナコさんとおれの関係について、ひたすら聞き出そうとした。
 気に障るような質問も厭わず、ただただミナコさんの犯罪が、おれに起因しているのではないかという見込みで、動いているようにみえた。
 おそらく、刑事たちの頭の中には、昨年の秋ごろ世間を騒がせた『滋賀銀行女子行員9億円詐取事件』の概要があったのだろう。
 あのときは、途方もない金額のカネを貢がせた愛人の男まで逮捕しているから、初めからそうした図式で捜査を進めていたようだ。
 おれは、最近やっと作った郵便局の貯金通帳まで見せて、身の潔白を訴えた。刑事たちは、薄ら笑いを浮かべて「そんなカネの話を訊いているのではない」と、あからさまに首を振った。
「それほど疑うのなら、家宅捜索でも何でもやったらいいでしょう」
 おれは、怒りをあらわにして、刑事たちの追及に抗議した。
 もとより、あらゆる金融機関を調べても、おれに係わる隠し口座など見つかるわけがないのだから、刑事の執念も不毛の疑念だけ残して収束することになるはずだった。
 それにしても、白山上のマンションから、ミナコさんの荷物を運び込まなくてよかったと、胸を撫で下ろした。
 テレビや洗濯機、食器棚まで、ミナコさんの所有物がおれの部屋にあれば、ここぞとばかりに攻め立てられたに違いない。
 万が一、それらの家電や家具が、自動車内装会社社長の買い与えたものだとすれば、別の罪を考え出して、突破口にされそうな不穏さを感じていた。
 おれは、ほんとうの犯罪者は、自動車内装会社社長だろうと考えていた。
 その見解を、愚鈍な刑事たちに教えてやりたかった。
 だが、おれは、事件の内容に関しては一言もしゃべらなかった。何も知らなかったという立場を貫くことが、おれの強みになるはずであり、ミナコさんの考えに沿うものだと直感したからである。
 その後、警察署に呼び出されるような事態にはならなかった。それでも、刑事の執拗な罠を警戒したおれは、いつも神経を張り詰めていて、気持ちが休まることはなかった。
 そうこうしているうちに、隣の住人との交流が深まっていった。
 付き合いをしながらも、うっかり隙を見せて付け込まれるような、そんなヘマをしないだけの自信はあった。
 逆に、おれにはひとつの思惑があった。生活態度を正しく持続することで、一点の曇りもない男だと信じさせる作戦だ。
 警察に、パチプロ経由の情報を発信して、おれに向けた疑惑がいかに根拠のないものかを知らしめ、奴らの鼻を明かしてやろうと考えていたのである。
 交流には、もうひとつの利点があった。
 ミナコさんの取調べや、その後の推移について、ある程度の予測ができそうな男だと思ったからである。
 事実、折に触れて、この情報屋に頼ることが多くなった。
 たとえば、ミナコさんの身柄は、しばらくの間、未決拘置所に留め置かれるのではないかと、教えてくれた。
 横領したとされる金額が確定し、どれだけ返還できるのか見通しが立つまでは、捜査の手を緩めることはないだろうと、隣人は見解を述べた。
 そうした情報を吟味しながら、おれは、ミナコさんとの接触を当分のあいだ断念しようと決断した。
 すぐにも飛んで行って慰めてやりたい気持ちなのだが、面会を避けることが、ミナコさんのために最良のサポートなのだと考えた。
 アドバイザーとして能力を発揮したことで、ヒモの男に笑顔が戻った。右腕の包帯が取れたことも、自信に繋がったようだ。
 大きな目玉の真ん中に、歓喜が踊っていた。
「やれやれ、わしの腕も休ませすぎやな」
 隣人のパチンコ復帰の日を祝って、おれは、中野駅南口の和菓子屋で赤飯を買ってきて渡した。
 日曜日の新装開店を狙って朝から並ぶという男に、差し入れをしたつもりだった。
「いやあ、ありがとう。兄しゃん、よか男やのう」
 仲間からの祝福など受けたこともないのだろう、隣人は相好を崩して喜んだ。
 四月に入って、ミナコさんは東京地検によって起訴された。
 パチプロに戻った隣人の語ったとおり、ミナコさんは宮城署から東京へ移送され、所轄の拘置所に拘留されて、取調べを受けていたようだった。
 起訴されるまでは、ジタバタと動くのを自制していたおれだったが、東京のどこかにミナコさんが居ると判って、落ち着きを失った。
 おれの脳裏には、宮城県警の寒々しい施設で、身を固くしているミナコさんの姿が、焼き付けられたように写っていた。なんの根拠もなく、今日までそう思い込んでいたわけだが、やっと春めいた陽気を取り戻した東京に移送されていたことを知って、かえってミナコさんの境遇に思いを深くした。
 東北の地から、早々に移送されていたとすれば、ミナコさんの容疑は、もともとの業務上横領ということになるのだろう。仙台あたりで別の事件を起こしていたなどということはあり得ないから、隣人の指摘したとおりの推移を描いているようだ。
 逮捕されてから一ヶ月あまり、起訴されたという事実が、ミナコさんにとって有利な状況なのか、不利な経過なのか。いずれにせよ、容疑事実の解明が進んだ結果と受け止めるのが妥当だと思われた。
 隣人の話によれば、使い込んだとされる金額が確定され、その流れが裏付けられたのだろうという。金額の多寡にもよるが、返済されさえすれば、初犯に限り情状酌量のうえ、執行猶予の判決が出るのではないかと予測した。
 取り乱しかけていた、おれの胸に、ほのかな明かりが点いた。
 『寺島町奇談』の作者なら、フキダシの中に、発光した電球を描いて、絵文字のように表現する場面だった。滝田ゆうのとぼけた顔が目に浮かんで、つかの間おれを幸せにしてくれた。
 せっせと情報をもたらしてくれる隣人に頼って、おれの思考は、文学的な経路を避けて漫画的な回路を選ぶようになっていた。
 ミナコさんとの面会時には、なぜか懐を温かくして置きたいと、積極的に残業に励んでいたせいもある。自分で考えるより、結果を求めて短絡的な方向へ流れやすくなっていたようだ。
 依頼の電話を待っていても埒があかないから、おれ自身、食事や買い物で利用する商店街でPR誌の宣伝を試み、商店会の会長を口説いたりした。
「どうですか、この冊子、すばらしいでしょう・・」
 おれが見せるのは、いつも決まっている。毎月手に入れる『銀座百点』と、池袋の喫茶店組合が発行する小冊子である。
 地域主体のものと、業種主体のもの、商店主はおおむね好反応を示し、予算と編集手段に興味を移してくる。
 そこから先は、おれの腕が試された。
 一誌受注に成功すると、顧客数の増加を夢見る各地の商店会が、ぽつぽつと注文をくれるようになった。
 既成の業態では、伸び悩みを感じていた多々良は大喜びで、くすぶっていた編集者やイラストレーターに声を掛けて、PR誌部門を育てる態勢をとった。
「最初からにらんだとおり、きみにはとんだ才能があったねえ」
 多々良は、おれが初めて、たたら出版を訪れたときのことを持ち出して、自慢をした。「・・あの時点で、二十近くの職業を転々として、平然としていたからなあ。履歴を隠したり、悪びれたりするのが普通なのに、きみは変わっていたよ」
 あのときから、可能性を感じていたんだと、夏には会社創設以来はじめてボーナスを出すことを示唆した。
 外注、下請けの仕事を探して汲々としていた身が、逆に、外注を出す立場に立てるかもしれないのだから、おれの思いつきは大成功といってよかった。
 収益に格段の差が見込まれたのだろう、多々良は手放しで喜び、それを見るおれも悦びに浸った。
 マンダ書院での経験から、企業というものに絶望感を抱いていたおれを、誠心誠意育ててくれた多々良に、いくらかの恩返しを出来たことが、うれしくてたまらなかった。

   (続く)
 
 
 

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