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ノミやシラミが跳ね、飼っている馬の尿の音まで枕元に聞こえてくる「蚤」と「虱」はそれぞれ単独で夏と秋の季語になりますが、この句では厳しい山越えの場所にある家の中を表現するために両方とも使用されていること、詠まれたのが 5 月 15 日から 17 日のどこかであることから、 「蚤虱」で夏の季語と解釈されることが多い です。 この句を 現代語訳 すると・・・ 「ノミやシラミが跳ね、飼っている馬の尿の音まで枕元に聞こえてくる。 という意味です。参考=芭蕉が2泊した封家は旧有路家として現存しているようだ。芭蕉の俳句ではノミやシラミに苦しめられて眠れずにいる枕もとで馬が尿〈ばり〉をするという風に表現されているが旧有路家は本格的な木造平屋で広々とした家内では馬3頭を飼っていたといわれている。先の解説のように夏の季語と秋の季語をまとめて蚤虱と強調したことで山形県の一般的な農家の生活に普遍化したところが素晴らしいと思う。まさに俳聖と呼ばれるにふさわしい超越した技法である。使用させていただきありがとうございました。
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JR鳴子温泉駅から2駅先の堺田駅で下車します。
「封人の家」は、芭蕉が逗留した建物の中で、全国で唯一、現存している貴重な建物です。(重要文化財)
ここでは、芭蕉が逗留した当時の馬屋や人々の生活の様子が再現されていました。
この辺りは、冬は相当に雪が深く寒さも厳しいため、馬屋も人の住居の中に一緒になっていました。
実感としては、蚤虱でひどい目に遭ったという悪環境を詠った句ではなくて、馬の尿は勢いが強いので、芭蕉が寝ていた座敷からも聞こえた、とユーモラスに解釈すべき、と感じました。
芭蕉は奥の細道で、そのような交流のあった知人(仲間)を多く訪ねています。
そのような交流は江戸に出向くと言うよりは、飛脚を使った投稿によるものだったと思うのですが、その繫がりの深さにいつも驚嘆します。
雲巌寺の仏頂和尚、黒羽の黒羽藩家老、須賀川の商人相良等躬、そしてこの「封人の家」の後、尾花沢の豪商鈴木清風等々・・・
交通や通信手段の粗末な時代にあって、俳諧を通じての厚い交流に、いつも驚きと感動を覚えます。
>ユーモラス... への返信
なるほど (ウォーク更家)さんのように馬の尿の音に焦点を当てて解釈すべきかもしれませんね。
ぼくは芭蕉の句風から山形の農家の生活を普遍化したものではないかと思いましたが、芭蕉の旅の根底に流れる無常観に引きずられる面が多いのかな。
いずれにしても旧有路家へ立ち寄っておられる更家さんらしく資産家の客間に心地よく眠ったとすれば蚤虱より馬の尿の音が気になって詠んだ句なのかもしれません。
むずかしい・・・・
>江戸俳諧との結びつき・・・... への返信
ありがとうございます。
kojiさんは芭と東北地方の門人たちとの交流について興味をお持ちのようですね。
ぼくはよく知りませんが奥の細道の旅に出る前から誰の家で世話になるか決めていたのでしょうね。
江戸の俳諧の評判が高く全国に知れ渡っていた。
豪農‣豪商の中には宗匠を呼んで支部の権威を高めようとする弟子もいたでしょうから江戸俳諧とのつながりは想像以上だったかもしれません。
東北地方には歌枕も多く、芭蕉と門人の交流は双方の望むものだったと思いますよ。