(誑かすのはおまえだ)
人を化かすのはタヌキかキツネ、誑かすのは狡猾なニンゲンと相場は決まっている。
桧枝岐の山奥から東京に出てきた一人の青年、山仕事をしていた時に狐の嫁入りに出逢った経験を持つ。
悲願の上京を果たした際には、上野に着いたとたんに詐欺師の男にたぶらかされた。
「兄ちゃん、誰を探してるんだい?」
「会社の人が迎えに来てるはずなんですが・・・・」
「なんていう会社?」
「えーと、テングシャというところです」
「えっ、テングサ?」
「漫画雑誌を出してる会社ですけど・・・・」
この青年、妖怪漫画にあこがれて、雑誌にせっせと投稿を繰り返していた。
「住所はどこになってるの」
「神田です」
「そうか、わかった。あの有名な出版社か」詐欺師の男は、さも知っているかのようにうなずいた。
有名と聞いてすっかりシンパシーを感じた青年は、詐欺師とともに神田に移動し、駅ビルのレストランで昼間から但馬牛のステーキを相伴した。
「社長を連れてくるから、しばらくここで待っててや」
食べ終わって二時間待ったが、男は戻らなかった。
その間、レジの方から女性従業員がジロジロ様子を窺う。続いて男性スタッフが顔を出し、ついには丁重な口調で声をかけられた。
「お客様、大変申し訳ありませんが、時間ですのでいったんレジを締めさせていただけませんでしょうか」
消費税込み七千なにがしの請求書を突きつけられた。
「あ、あの・・・・」変だと気づいて事情を説明したが、「それが何か?」である。
姿を消した男が二人分払うと言ったわけでもなく、レストラン側からみれば残された青年に請求するのは当たり前であった。
乏しい所持金から支払いを済ませ、ガード下の雑踏を夢遊病者のようにさまよった。
やっと連絡先のメモを取り出し、天狗社に電話したときには四時間近く経っていた。
「はい、はい、うん、鍋島ねこ尾くん・・・・。なに、野上という男がワシを迎えに来なかったかって?」
「はい、黒い背広の五十代の紳士ですが」
「いやあ、昼時に来たのはラーメンの出前だけだな。注文したときチャーシュー一枚余分にサービスするよう言っておいたら、本当につけてきたよ」
天狗社の社長は、ガハハと大笑いした。
ねこ尾の気持ちの中には、誰も迎えに来なかったから詐欺に引っかかったとの不満がある。
「たしか約束では、上野まで出向くと言ってませんでしたか・・・・」
ねこ尾がそう主張したら、社長の声がとげとげしくなった。
「いやいや、第一電話も寄越さなかったじゃないか。やる気がないのに文句ばかり、こっちだって面倒見切れないよ」
天狗社の社長は、自分の側に非はないんだと声高にまくし立てた。
「や、や、いえ、ああ・・・・」鍋島ねこ尾は口に泡をためて、行き場のない状況を説明した。「すみません、ぼくが悪かったです」
「アシスタント候補はほかにもいるから、そっちでもいいんだけどね」
冷たい言葉に、鍋島ねこ尾はショックを受けていた。
「すみません、ぼく今晩泊まる場所もないんです。さっきのことは謝りますから、どうか見捨てないでください」
繰り返し謝り、何度も頼み込むと、もともと気向き上戸の社長は機嫌を直した。
早速その夜から天狗社に転がり込んだ。
漫画家兼プロダクション社長の下、見よう見まねのアシスタント生活が始まった。
来る日も来る日も、下塗り下塗り。
自分の好きな妖怪とは異なり、まともな人間や景色ばっかり登場する少年漫画の手伝いをさせられた。
一月も経つと早々に飽きが来る。
しかし、社長からあてがわれた三人同居のアパートに転がり込んだ以上、そうそう文句も言ってられない。
同部屋の先輩が、「下塗り三年、描き八年」というものだから、相当の年数辛抱しなくては成らないのかと意気消沈していたのは確かだ。
ところが、新生活に入って八ヶ月目に転機が訪れた。
たまたま鍋島ねこ尾の投稿作に目をつけた別の出版社が、一本立ちの漫画家としてレギュラー採用を申し出たのである。
ねこ尾流のギャグを用いれば「唖然呆然ねこの膳」・・・・、予想もしないタナボタ展開となった。
先輩のテキトーな格言は、いったいなんだったのか。
「描き八年」は、さすがにイイ加減だと思っていたが、結果的には幸運をもたらすイイ格言となった。
その幸運をありがたく戴いて、ねこ尾は天狗社でのアシスタント生活にさっさと見切りをつけた。
新天地での新シリーズ『妖怪村のポンポコポン』がはじまると、3号目で人気急上昇となった。
なんてったって、妖怪ギャグ漫画だから、理屈もへったくれもない。
主キャラクター<とんぼけ妖怪>の口癖「なんか用かい?」が、小学生のハートを捉えてしまったのだ。
小学生中心に<とんぼけ妖怪>の口真似が大流行する事態に・・・・。
PТAが騒ぎ、教育委員会が問題視し、マスコミが煽り立てる、典型的な社会現象が出現した。
どこの家庭でも、母親がこどもに話しかけると「なんか用かい?」と切り返される。
かんかんになって怒る母親、父親に言いつける母親、マンガ出版社や著者本人に抗議する母親、いずれにせよ主役は母親たちだった。
鍋島ねこ尾は、頃合いを見て<むじゃ鬼>なる子鬼を登場させ、母親に怒鳴られると伸びかかった角が根元からコロンと転がり落ちる場面を描いた。
この画面を新たな挑戦と受け取っていきり立つ教育者もいたが、母親たちは少し騒ぎすぎたことに気づき、方向転換を図ったようだ。
ギャグの中に、ねこ尾の性格のよさを見出し、子供たちに対する愛情すら感じ取ったのであった。
『妖怪村のポンポコポン』では、世の少子化にさからって妖怪児童が増え、人気のキャラクターがつぎつぎと誕生した。
女の子のためには<しる子>という登場者を用意し、お汁粉をみると目からヨダレが出るキャラで話題を呼んだ。
<とんぼけ妖怪>の相手に<おやジィ~>や<メタ坊>などを配し、「ジージー」「ハラハラ」などと意味不明のギャグを乱発した。
いずれも「なんか用かい?」ほどは受けなかったが、こうした二番手ギャグを用意しておくことは大事なことだった。
「どこかで誰かが使ってた~」などと、目的のわからない童謡をはさみ、ますますナンセンス度を増していった。
舞台はのんびりした山の中だが、ストーリーは子供たちが日々過ごしている学校生活や、遊びの現場から取っている。
タンニンの先生は、毎朝「出席をとります」の代わりに「おテマエをはじめます」とセンブリを飲ませるのだ。
きちんとノートをとっている頭でっかちのコドモ妖怪は<キ帳面>、教室をふらふら歩き回るジドー妖怪は<ふらフープ>の名称を与えられた。
山奥だってゲーム機がなくては、妖怪村の子供たちもついてこない。
一番の人気は『すってん堂』のゲームソフト「妖怪村議会」。
(・・・・国から支給される子供手当てを、なんとか横取りしようと妖怪議員が画策する。
「コドモには葉っぱのサツでじゅうぶんよ。ホンモノにさわると、カゼをひくわ・・・・」
圧倒的な発言量をもつ議長の裁断で、村議会が終了する。
速記係の<昼姉エ>が、「起立多数! 酔って原案の通り採血されました」と議事録に記録する。
膨張席に駆けつけた子供たちが、全員イカッテ頬をふくらませ、枯葉のお札を議員席めがけて投げつける。
議員たちは、そのお札が枯葉であることをすっかり忘れ、われがちに抱え込んでツタで編んだエコバッグに放り込む。
スカートから黒靴下を覗かせる妖怪議員の後ろ姿を見て、膨張席から嘆息がもれる。
「朝飯前の浅ましさ・・・・」
妖怪児童がいっせいに囃したてる中、議長がヒステリックに木槌を打ち鳴らして閉会となる。・・・・)
ここまで描いて、ちょっとやりすぎたかなと反省した作者は、主婦だけは敵に回さないように修復にかかる。
かつてシュフ議員たちが、ボランティア活動の一つとして稲荷神社の掃除をした場面を挿入することにした。
ところが、当初の意図に反して妖怪の一人に供物の油揚げをくわえさせたものだから、かえって議員たちの印象を悪くしてしまった。
そこで、またもや<むじゃ鬼>を登場させ、「病気のぼくに食べさせようとしたのね、ありがとう」と同情を引こうとした。
<むじゃ鬼>さえ出せば、シュフ読者などちょちょいとごまかせる、と思っているような態度だった。
またも教育委員会のエライ人から、鍋島ねこ尾を糾弾する声があがった。
「こどもを誑かす不届き者は、まだ生き延びようと足掻いている・・・・」
閉鎖的な教育を受けてきた経歴には同情すべき点もあるが、このマンガの作者には更生しようとする意欲がない。
そればかりか、ますます媚を売ったり同情を引いて、深刻な事態をごまかし、将来働かなくなる子供を増やすばかりだ。
こんなことでは、われわれの年金も減額され、カップラーメンを主食にするしか老後を過ごす方法がなくなる。
「今のうちにナンセンスな状況を退治しないと、国家は破綻する」と脅かした。
一方、「むじゃ鬼かわいい」「むじゃ鬼大好き」といった女子高校生からの声も寄せられる。
「教育委員会の人よ、国のことを考えている振りをしているが、人をタブラカシテいるのは、あなたの方じゃありませんか」
投稿欄の常連が、ゴモットモな意見を寄せる。
新聞だけではなく、テレビでも討論会を企画し、再び鍋島ねこ尾をめぐる論争がはじまった。
タイトルは『国家がいま直面しているもの』
コメンテーターは、「忍び寄るぐずぐず化の危機」派と、「ああ、バカくさい」派の二つだ。
中立的立場を装うテレビ局は、「鍋島ねこ尾氏の出演を要請しましたが、なんか用かい?とばかりに断られました」とテロップを流した。
テレビの威力は肥大だった。(いや、失礼、偉大だった)
それまで『妖怪村のポンポコポン』を知らなかった一般人まで、家庭や職場で好いの悪いのと自説を主張するようになった。
出版社には注文が殺到し、増刷増刷、おまけに次号から初刷りを十倍に増やした。
大人たちが、あっちでもこっちでも「なんか用かい?」を口にしはじめると、子供たちは白けてしまった。
しかも「とんぼけ妖怪」のギャグにかぎって言えば、第二次のブームである。
子供たちの間では、そろそろピークが過ぎていたところへ、雑誌まで大量に積み上げられたものだからゲンナリしてしまった。
大人たちにはある程度売れたが、その分子供たちの購買意欲が薄れた。
そこへ十倍も印刷したものだから、書店の店先は廃品回収所のよう。
マンガ出版社には、そのまま返品の山。
高尾山程度は儲けたが、富士山ほどの赤字を出した。
資金繰りがつかずに出版社は倒産。
国家の危機は、何もしないうちに解消した。
「誑かすのは誰か」など誰も問題視しなくなり、原稿料の未払いに苦しむ鍋島ねこ尾の猫背が「花やしき」で見られた。
「まあ、一服してるだけだろう」
ねこ尾を知る者は、あまり心配していない。
(おわり)
「誑かす」の読み方が判らず、でも、どんどん読み進みました。
そのうち、「たぶらす」と判明し、それは漫画家が世間をか、世間が世間をか、また分からなくなってしまいしまたよ。
でも、なんだか超異色の小説には違いないようですね。
文中、しばしば出てくる漫画題名にせよ、そこから派生した流行語にせよ、作者が案出したもののようで、比類なき才能を知らされました。
また、漫画のもたらす影響度の高さを再認識させられるようでした。
それだけに、軽い内容に思えても、作者のご苦労が滲み出ているようでした。
(丑の戯言)様、コメントありがとうございます。
「面白うてやがて哀しき鵜舟かな」(芭蕉)
書いているときは妙にハイになっているのに、あとから読み直すと、言葉に誑かされている自分を見出して哀しい気持ちになります。
すべてお見通しでいたわって下さる丑さんに、感謝感謝です。
この冒頭に記されている「狐の嫁入り」で、すぐに連想したことがあったのです。
黒沢明の最晩年の監督作品に『夢』というオムニバス映画があり、その第一話が「狐の嫁入り」でしたよね。
その儀式で一行がしずしずと山道を行進していくところ、主人公の少年が盗み見する。
すると、お嫁姿の女狐がジロッと振り返る。
そのシーンが強烈な印象でした。
あの映画全体は散漫でしたが、「狐の嫁入り」の場面だけは、いかにもありそうなことで、戦慄を覚えた次第。
それを冒頭の一行に持ってきたあたり、作者の深遠なる意図が浮かび上がってくるような……。
(丑の戯言)様、黒澤明の映画『夢』は、一連の骨格逞しい作品群と違って、異色のものでしたね。
おそらく自分の余命を推し量りながら、どうしても残しておきたかったメッセージを描いたのではないでしょうか。
丑さんのおっしゃるとおり、狐の嫁入りをイメージした第一話「日照り雨」で、異界への怖れと憧れを少年の目を透して表したのだと思います。
全八話のうち、理が強く出すぎるパートを別にして、無意識裡に彼岸への通行手形を探していた気がします。
もともと作家志望だった黒澤明の心が伝わってくるオムニバス映画、狐の嫁入りを共通の感覚として捕えていただき、うれしく思いました。