どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

<おれ>という獣への鎮魂歌 (1)

2006-02-09 17:24:51 | 連載小説
 夏草の生い茂ったなだらかな丘のふもとに、いつの時代のものか、発かれた石棺が陽に曝されているのを見たことがある。
 型枠のように草根を支えた石室の奥に、濃い暗闇が潜んでいた。伊豆の下田から石廊崎に向かうバスの中であった。
 丘は一筋に延びる舗装道路を境にして、二つの盛り上がる量感となり、前部の座席にいたおれを呼び寄せるように輝いていた。
 変わりやすいこのあたりの天候が、一刻の驟雨の後にもたらした雨上がりの風景である。
 おれは急速に近付く歓喜にも似た興奮の中で、ゆるやかに落ち込む二つの曲線が、極まった感情で語り合いぶつかり合う濃密な一線上を通過した。
 飛鳥の野で、いくらかの入場料を払って石舞台を見たのは、いつのことだったか。ほかにも天皇の御陵に近い畑中で、評判の高い貴族の石棺を見たが、それらはあまりにもあからさま過ぎて、おれの期待を裏切った。
 趣こそ違え、眼窩のごとく愁いを湛えていた吉見百穴の方が、まだ秘密めいた匂いを残していて、おれの心を慰めてくれた。
 夏になったら東北を旅してみよう、とおれは考える。
 藤原三代の栄華が潰えて以来、歴史の照明から遠ざかってしまった陸奥だが、それだけに思いがけない豪族の墓にめぐり合えるかもしれない。
 つたない知識を呼び起こしてみても、そこには人の嗅覚に触れる滅びと妄執の匂いが漂っている。
 気候も厳しい。生活も貧しい。しかし、重く暗い風土に打ちのめされながら、なお夏の光に手を差し伸べるなにかがあるはずだ。
 おれは、それを捜しにいくのだ。捜し出して、自らその霊気に同化し、永かった苦難からの脱出を実感しなければならない。
 おれは一瞬、地図を眺めたい衝動に駆られるが、すぐに思い直す。
 あわてることはないのだ。動き出すのは初夏でいい。それまでは、葬られ忘れ去られた陸奥の多くの魂のように、おれも耐えることだ。
 二十代の終わりごろ、おれは十数回目の就職をした。
 あっさりと採用通知を受け、多少の緊張感をもって出社した。
 一緒に採用された若者たちとともに、やがては正社員になれるつもりで、当初三ヶ月の見習期間を乗り切ろうと思っていたのだ。
 それは確かに、乗り切るというほどの意志を必要とした。仕事というのは、本の訪問販売だったから。
 他人との接触を苦手とする性質の者たちが、初めての冒険に向かう少年のように震えながら冬の巷へ送り出されていく姿は、いま思い出してみても涙の出るほど愛おしい情景である。
 しかし、その純情は裏切られた。
 おれたちが入社できたと思い込んでいたマンダ書院は、実は見せかけの名称だけで、実態はマンダ書院の出版物を扱う同名の個人会社にすぎなかったのだ。
 おれたちは落胆し、憤慨した。
 いつもマイクロバスで行動を共にする班長を問いただし、いくつかの事実を知った。
 そのひとつは、毎朝激励に現れおれたちを大声で送り出すリーダー格の男が、正真正銘のマンダ書院専務だという真相だった。
 東京の区部のはずれ、川を越えれば千葉県という雑然とした住宅地の空き地にクルマを停めさせ、おれたちは班長を囲んで更なる追及をしようと声を荒げた。
 それ以上は無理と知ったのは、豚の脂身が好きで自らも緩んだ体つきをしている班長が、ダブルの背広のボタンを外して内ポケットから短刀を覗かせたからだ。
「おまえら、いいかげんにしろよ。こっちだって命かかってるんだ・・」
 脅しというより、追い詰められての悲鳴のように聞こえた。その証拠に、大きな顔のなかの小さな目がキョトキョトと揺れていたし、額からも鼻の周りからも脂まじりの汗を噴き出していた。
「ここまででいいよ」
 追及を中断させたのは、危険を感じたからというより、双方の面子を考えたからだ。
 若者たちは声を失っていたし、班長はたぶん思考停止状態にあった。そんな均衡の中で、おれだけが冷静であったというつもりはない。
 ただ、まもなく三十を迎えようとするおれの立場が、押し上げられるように声を発したのだ。
「後は帰ってからにしよう。責任者は別なんだし・・」
 ほっと息を吐いた班長の表情と、肩から力が抜けた若者たちの様子がおれの目に映った。
 その日のうちに説明をもとめたが、会社側の対応は逃げの一手だった。
 責任者不在ということで事務室に若者だけが取り残された。
 当日の売上代金と日報を提出し、あわせて商品の美術写真集を返却して会社を後にした。
「カネはここへ置いてくよ」
 すかさず班長がドアの向こうから現れたのは、こちらの動向を窺っていたからに違いない。
「明日までに、責任者に連絡をつけてくださいよ」
 優位な位置からの言葉のはずだったが、おれの心は漠然とした徒労感に覆われていた。

   (続く)
 



 

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