(愉快犯)
鬼押出しの溶岩の間から、切断された肢が突き出しているとの通報があった。
急行したパトカーの警官が見たのは、真っ白い二本のマネキンの足だった。
遠目だと、生身の女の死体に見えなくもない。
バラバラにされた遺体と見間違えて通報した男を、責めるわけにもいかない状況であった。
もっとも、その場に通報者はいなかった。
携帯電話を使ったらしいが、受信記録からは持主を特定できなかった。
だいたい鬼押出し園そのものが冬季休業中で、園内に入ることができないはずであった。
それなのにマネキンを持ち込んだということは、不法な手段で立ち入ったことを意味していた。
鬼押ハイウェイの料金係に当日の状況を訊いてみたが、軽井沢区間・鎌原区間双方の料金所ともマネキンを持ち込んだと思われる車両を目撃してはいなかった。
警察は、重大な犯罪とは関係なく、犯人が故意に騒ぎを起こそうとした事件とみて捜査レベルを落とした。
いわゆる「愉快犯」に、いつまでも関わっていられないとの判断があった。
英(はなぶさ)刑事は、トップの方針に疑問を持った。
もう少し捜査に手を尽くすべきではないかと考えたのだ。
せめて、鬼押出し園に至る料金所のカメラの映像を点検すべきだと進言した。
英刑事の勘では、事件解明に結び付く映像が残っている気がするのだ。
「しかしなあ、記録された車両を全部調べるわけにはいかんぞ」
「わかっています。ぼくが見て、気になる車両が発見できなければ、それで諦めます」
「人員は割けないから、お前一人でケリをつけろよ」
上司の許可が出て、さっそく通報時刻をはさんだ前後数時間の映像をチェックすることになった。
峰の茶屋側から鬼押しハイウェイ軽井沢区間を通った車両は、時間内に二百台ほど記録されていた。
通過車両が少ないのは、すでに厳冬期に入っているからだ。
これが夏の最盛期だったら、膨大な数字になったはずだ。
犯人は、気づかれずにマネキンを持ち込む必要からこの季節を狙ったのだろう。
一方、チェックする側にも対象車両が少ないのはありがたいことだった。
英刑事は、鬼押ハイウェイの軽井沢区間を利用し、かつ往復した車両に注目した。
推測だが、目的地の鬼押出し園でシゴトをして、元来た道を戻った可能性があるからだ。
対象になったのは三十台ほどだった。
念のために、三原側から鎌原料金所を通って往復した車両もチェックしたが、地元ナンバーの自動車が数台あったにすぎなかった。
ほとんどは、鬼押しハイウェイを峠の茶屋分岐点から三原方面へ通り抜けていったらしい。
目をつけたのは、英刑事の嗅覚に訴えてくる三台の自動車だった。
いずれも、軽井沢料金所を通過し往復している車両である。
一台は荷台をブルーシートで覆った二トントラック。
もう一台は内部が見えにくいワンボックスカー、あとの一台は小型のマイクロバスだった。
(こいつらの、どれかだ!)
日ごろから勘がいいと言われてきたことが、彼の自信を後押ししていた。
英刑事は、早速ナンバー照会をして持主を調べにかかった。
二トントラックの持主は、軽井沢町の配管業者と判明した。
ハイウェイ沿いのホテルで、下水道管の補修のため四時間ほど作業をしたことが裏づけられた。
ワンボックスカーは、港区に事務所を置く芸能プロダクションのもので、当日はテレビドラマのためのロケハンに出かけてきたものだった。
一方マイクロバスはレンタカーで、東京から遠征してきたにもかかわらず、行き帰りとも客の送迎にかかわった形跡がないように思われた。
この結果、最も怪しいのは、マイクロバスと思われた。
しかし調査の結果、レンタカーを借りたのは台東区内の町内会に所属する青年で、冬休み中の子供たちを合宿のため鹿沢スキー場まで送り届けたとの証言が得られた。
料金所の係は、疲れて眠ってしまった座高の低い学童を、見逃していたと考えられる。
となると、ワンボックスカー・マイクロバス双方とも目的がはっきりしたことになり、英刑事の勘も怪しいものとなった。
無理やり疑えば、ロケハンを主張する芸能プロダクションの主張に、ごまかしがあったとも考えられる。
世間を騒がせて宣伝するぐらいの仕掛けを、彼らならやりかねない。
だが、それは邪推に近いもので、マネキン事件に関わるイベント等は一つとして見出せなかった。
英刑事は、上司に自分の思い込みが不発に終わったことを報告した。
「すみません、貴重な時間を無駄なことに使ってしまいまして・・・・」
素直に頭を下げた。
「いや、そんなことは気にせんでいい。誰にだって見込み違いということはあるものだ」
なまじメンツに引きずられて、深追いする方が厄介だからなと慰めてくれた。
上司としては、新進気鋭の後輩が事件を鋭く解決してしまうことの方が、より脅威だったのかもしれない。
英刑事にはショックだったが、事件は上層部の見込み通り誰かのイタズラということで結論付けられた。
とりあえず、一つの事件が処理できたことで、警察は別のJА強盗事件に捜査を集中することができた。
二週間ほど過ぎた二月上旬、今度は鎌原観音堂の石段下でマネキンの上半身が発見された。
ここは天明三年の浅間山大噴火による土石流で埋没した地域にあり、五十段の階段のうち十五段だけが現在も残っている。
昭和五十四年に発掘調査されたとき、石段の最下部で土石流に飲み込まれた二体の遺体が発見され、センセーショナルな話題を呼んだ。
周囲の状況から、娘が母親を背負って避難する途中の出来事と推測され、土石流の押し寄せる速さと六メートル以上も埋め尽くした規模の大きさに驚愕したものである。
そのような悲劇をはらんだ災害の場所に、マネキン人形の上体が放り出されていたのである。
調査した際の掘り跡に現在は赤い木造橋が架けられているのだが、その橋の下に女性を模った上半身が横たわっていた。
通報を受けた英刑事は、一目見てそのマネキンが鬼押出し園にあった下肢と対のものであることを確信した。奔放に足をひらいた動きのあるフォルムと、少し上体をひねった肩の角度がファッションショーのポーズを思い起こさせたからである。
(そうか、犯人は俺たちに挑戦する気だな?)
愉快犯は、一度成功したとみれば必ず次も仕掛けてくるものだ・・・・。
二度目以降のリスクを計算しながらも、他を出し抜いて愉悦を味わおうとする性癖は止めようのないものなのだ。
ヤツは警察が右往左往するのを見物しながら、密かにニヤニヤと笑っているに違いない。
想像するだけで、英刑事のプライドは激しく軋んだ。
証拠品のマネキン人形をつなぎ合わせてみると、さらに想像力が刺激された。
全体に大柄で、顔の彫が深いところから、外人仕様であることが分かった。
頭部に金髪のカツラを乗せ、ノースリーブのシャツに膝上十センチのスカートを組み合わせれば、夏気分満点の開放感で踊り出しそうだ。
英刑事がひとり脂下がっていると、通りかかった先輩にすかさずからかわれた。
「ハナブサ、お前の方がよっぽど愉快犯に見えるぞ」
「えっ?」
「しかし、鬼押出し園と鎌原観音堂とをつなぐ線が浮かんで、なんとも謎めいてきたな」
「ああ、ほんとに意味ありげですね」
関連するキイワードは幾つもある。
浅間山、噴火、溶岩、土石流、火砕流、災害、犠牲者、天変地異・・・・。
(おっと、犠牲者?)
頭の中を言葉が通り抜けた瞬間、ギクリとした。
まさか、バラバラ殺人事件を予告するものではあるまいな?
英刑事は、たくさんの可能性を想像しているうちに神経が高ぶり、寮に戻ってもなかなか眠れる状態にならなかった。
幸い町はずれに、深夜営業の飲み屋がある。
一杯ひっかけて、いったんマネキン事件のことは忘れようと思った。
英刑事はジャージーの上から防寒コートを着込み、マフラーをぐるぐる巻きにして寮を出た。
空を見上げると、寒気に研がれた月が鋭く反りかえっていた。
星も激しく点滅を繰り返す。
この辺りでは、まだ天は生きている。
渓谷に沿って、細く長く生き延びてきた町は、しかしいま大きな岐路に立たされていた。
突然のダム中止宣言である。
政治に翻弄されて五十余年、地と人は薄汚れた。
自然の営みを放棄して対価を得る手段を獲得してきたが、今その変更を求められたのだ。
これまで潤ってきた人々は強硬に反対し、泣く泣く従ってきた住民は戸惑いを強くした。
この先も本体工事で食いつなぐつもりの人々は、ダムに依存する体質を急には変えられなかった。
「へい、いらっしゃい」
「ふう、寒いですね」
「景気も底冷えでね」
飲み屋のおやじが自嘲気味に笑った。
カウンターの端に先客が二人いた。
暖簾をくぐってきた彼を、地元の商店主らしい男たちが下から上まで流し見た。
「何にしましょう」
「おでんと熱燗で・・・・」
常連ではないが、英刑事は何度かこの飲み屋を訪れたことがある。
おやじと顔見知りの客とわかって、二人連れはよそ者に対する警戒を解いた。
「なにやら観光に動き出したらいいな」
頭に正ちゃん帽を載せた痩せ形の五十男が、幅広の襟が目立つ革ジャン男に話しかけた。
「うん、アドバイザーのお声がかりだから仕方がないんだろう」
アドバイザーというのは、軽井沢でホテル業を営む二代目社長のことらしい。
この御曹司は若手経営コンサルタントでもあり、経営不振の老舗旅館を立て直していま花形の人物だ。
どっぷりとダム資金の恩恵にあずかってきた自治体が、ダム建設中止に伴いこの先どう活性化を図るか模索しはじめた。
経営コンサルタントが早速提案したのが、観光開発への方針転換だった。
英刑事の見るところ、日本ロマンチック街道沿いの各所に、これまでにないディスプレーが飾られるようになった。
地元の零細企業が細々と営業してきた牧場や別荘地を、世間にアピールしようという試みだった。
既存の観光地も、以前にまして宣伝を強化している。
期せずして、鬼押出し園も鎌原観音堂もその範疇にあるではないか。
英刑事は、燗酒を口元に運びながら地元の男たちの会話に耳を傾けていた。
「それがよお、観光に力を入れようと頑張る部署がある一方、足を引っ張る連中もいるらしいぞ」
「なんだい、それは?」
「噂では、ダム工事の復活をもくろむグループが、めぼしい観光地に悪さを仕掛けているらしいんだ」
「どうやって?」
「ほら、先月もマネキン人形が捨てられる事件があったろう。聞いた話では、あれは不法投棄された粗大ごみの中から拾い出しておいたものらしい」
「ほう、カネになるとでも思ったか・・・・」
「まあ、当初の思惑はわからないが、誰かに頼まれて譲ったのだろう。それにしても、鎌原観音にあれを捨てるとはずいぶんだよな」
英刑事は、まず自分の耳を疑った。
次に、胃がむかつくのを感じた。
食べたものが逆流してくるのではないかと不安をおぼえた。
我慢していると、額から脂汗が滲んできた。
どうやら、急に酔いがまわったらしい。
カウンターに肘を突いて、こみ上げてくるものを必死に抑え込んだ。
(このままでは、にっちもさっちも行かなくなる)
もはや、事件などではなくエゴの衝突ではないか。
地元の商店主が聞き込んだ話が事実なら、根の深い陰険な嫌がらせ行為である。
しかし、無理やり犯人を挙げてみても、悪意の大きさに比して罪状はあまりにも小さい。
愉快犯などという甘い見通しは、若い刑事の頭から消し飛んでいた。
そんなことより、いつまでもマネキン事件に関わっていると、自分自身が進退きわまることになる。
世の中の深淵に直面して、英刑事はおのれの若さを痛感した。
「おやじさん、帰ります」
勘定を済ませ、おぼつかない足取りで寒風の中に泳ぎ出た。
(おわり)
ありそうで、なさそうな事件だけに。
そいで改めて思い起こすのは、鬼押し出しという地名(?)です。
何度か耳にし、変な名称だとは感じてましたが、土石流など災害に由来しているのかな、とも。
古来、人間の付ける地名などは、必ず謂れがあるものでしょうから。
そこを事件の現場に持ってきたところにも、作者の非凡な閃きがあったのでしょう。
しかも、一見艶めかしい事件として。
ともあれ、お元気に健筆をふるっておられるようで、休心しました。
寒さと乾燥で、長らく咳がとれずひどい目に遭いました。
さて、この「ありそうで、なさそうな事件」では、寓意をどのように表すかに腐心しました。
ぼちぼち調子を上げていきたいと思っております。
ちょいと警戒しながら恐る恐る物語りに誘い込まれていきましたぞ。
いやはや詩人という人種は、言葉にいろんなスパイスをかけまぶして人を煙に巻きますね。
暇っぽい田舎の刑事がウロチョロ。
そこはかとないおかしみが滲んできて、すっかり窪庭さんの術中に嵌まってしまいました。
こういうのもたまには快感です。
翻弄される快感は、しかし屈折してきますね。我ながら。
煙に巻くつもりはないのですが、結果そうなってしまったのでしょうか。
「タイトルに偽りあり」っていう展開、たしかに嫌いじゃないので、つい自分中心の収束に向かってしまうのかな?
読者であるぼくはいつも、作者の術中に嵌まる快感を求めて本を読んでいるようなものなんです。
これからも思いもかけない方法で騙して!
小説の方法について、絶えず迷っているんですよ。
内田百にあこがれる一方、ヘミングウェイのように書かなくちゃとか、いろいろ思い悩む毎日です。
でも、最大の誉め言葉をいただいて、素直になっちゃおうっと。
そうそう、僕の尊敬する大森光章さんが、こんなことを言っていました。
「小説は、右から来ると見せて、左から来るように書かなくちゃいけない」
あまり脚光を浴びることなく逝った真の小説家を、いま思い出しました。