どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

どうぶつ・ティータイム(135) 『どうせなら東北お遍路を』

2011-10-10 00:40:28 | コラム

     相馬藩にもゆかりの二宮金次郎像




     「どうせなら東北お遍路を」



 さんざん粘った末に、成果を残せず首領の座を降りた菅笠さん。

 前回は坊主頭で四国54番札所の延命寺まで回り、今回はそこに預けてあった杖やタスキを受け取って遍路の旅を再開したんだって。

 ライフワークとでもいうんでしょうか、本人としては何年かかっても八十八か所の巡礼を完結したい気持ちはわからないでもないわ。

 でも、一介の陣笠議員になったとはいえ、菅笠かぶってテレビカメラにニコニコ写っていていいんでしょうか。

 震災と原発事故の対処方に、どう見ても不手際があったのだから、ここらへんで汚名挽回をするチャンスだと思うんですけど。

 首領ゆえに行動の自由を奪われた面もあったでしょうから、子分もいない身軽さを逆手に東北被災地を回ったらよほど格好いいんじゃないかしら。

 食うか食われるかの政争を離れたとはいえ、うどんでも空海なんて言ってる場合じゃないのよねえ。

 首領の座の攻防に神経を磨り減らす必要もないのだから、ここは弘法にこだわらず、今こそ被災者の身に思いを馳せてもらいたいのよ。

 東北の方に目を向ければ、三月の寒さに震えた人びとが早くも十二月の寒さに曝されようとしているのよ。

 われ菅せずなんて、澄ましているわけにはいかないわ。

 福島からはじめて、宮城や岩手の被災地を訪れるだけでも、よほど心が休まるんじゃない?

 同行二人、空海さんはすでに福島に行っていて、菅笠さんを待っていると思うわ。

 心に響く信仰って、そういうものじゃないかしら。

 市民のための政治を志した人なら、もう一度なにが真実か見直して頂戴・・・・。

 何年かけてもいいのよ。

 いわき、福島、南相馬、名取、仙台、気仙沼、東松島、石巻、陸前高田、釜石、宮古と北上しながら、主な被災地を巡礼してほしいの。

 浪江町や飯館村、大槌町に女川町、いくべき場所はいくらでもあるじゃない。

 それらの場所を東北八十八か所と名付け、お遍路したらいいのよ。

 菅笠さんの思いきりさえあれば、東北の人びとと心が通じ合えるかもしれないわ。

 だって、どんなに非道いことをされても、忍耐強く理解してくれる人たちじゃない?

 弘法大師の教えを、一番奥深いところで受け止めている被災者を、そのままほうっておいてはいけないわ。

 菅笠さんが最も影響を受けたという市川房枝さんなら、なんというでしょうねえ。

 <身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり>

 首領の座にあるとき一度お勧めしたんだけど、覚えていてくれたかしら?

 栄光にこだわったって、人の世なんてほんの束の間よ。

 元首領・菅笠なにがしなんていったって、六地蔵さんの笠より記憶に残らないわよ。

 でも、思い立って東北巡礼の旅に出てごらんなさい。

 懺悔の気持ちさえ持ち合わせていれば、市民は菅笠さんの後ろ姿を見て行動を共にするでしょう。

 だから、幻でしかない栄光を思いきって捨ててみたらどうかしらねえ。

 そうすれば、ほんものの輝きが得られるというものよ。

 人の世だけでなく、仏の道でもあがめられ、お遍路さんの鑑にもなるんじゃないかしら。

 とにかく、毎朝見る鏡に自分がどう写っているか確かめてね。

 自分の瞳を覗きこむと、奥の方から幼児だったころの光景が浮かび上がってくるはずよ。

 無垢で無邪気で無欲だったでしょう?

 人は本来、そう生きるように生を授けられたはず。

 おとなになって何度も何度も性根が曲がりかけるけど、そのたびに修正してなんとかまっすぐ生きようとするのよ。

 お遍路だってそうした手段の一つなんだから、このチャンスを活かして大成してね。

 そのためには栄光の常識にとらわれず、路傍の石となって創造の道を切り開くこと。

 心あるボランティアの人びとは、何を言わなくてもやってることだけど・・・・。

 でも、立場が違うからこそ東北行脚を提案するの。

 きっと、メッキだった経歴転じてほんものの金になるわよ。



 小母ちゃんのいうこと、うるさかったかしら。

 ほんとはね、菅笠さんだけに愚痴ってるのではなく、ここまで市民をコケにしてきたおエライさんに物申しているの。

 企業トップ、学者、官僚、政治家・・・・すべてじゃないけど、東北の地霊にわびなきゃならない人たちがたくさんいるわ。

 菅笠さんは、その代表・・・・。

 東北お遍路の先駆けとして、ぜひ実行してよね。

 くどいけど、うるさかったらごめんね。



     (おわり)

 



  にほんブログ村 小説ブログ 短編小説へにほんブログ村


コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« (超短編シリーズ)58 『... | トップ | 新むかしの詩集(10) 「... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
優しく鋭く斬り込んで (くりたえいじ)
2011-10-11 15:42:51
軽やかな文体で現世、いうより前首相に優しく、しかし鋭く斬り込んでおられますね。
まったくそのとおりだと思います。

そして、思い出させてくれたのは、前首相は四国巡礼を実行したことでした。
お遍路さんの姿恰好を新聞か何かの写真で見たことを覚えています。
あれは何年前のことだったでしょうかね。
そんじょそこらの政治家には見られないような屈託のない表情が浮かび上がってきます。

しかし、小母ちゃんの言葉を借りて現世、というより現政治家を説くなんて手法、やはり文学的素養が充分と言えましょうか。
返信する
教えてもらえるとうれしいのですが (知恵熱おやじ)
2011-10-12 12:53:44
えっ、二宮金次郎って相馬藩とも関係があったのですか?
写真のコメントでびっくり。

いったいどんな・・・。
当方無知で知らなかったのですが、教えていただけるとうれしいですね。
よろしくどうぞ。
返信する
いろいろな受けとめが・・・・ (窪庭忠男)
2011-10-12 21:57:32
(くりたえいじ)様、コメントありがとうございます。
まともにぶつかると生々しくなりそうなので、小母ちゃんの口調をお借りしました。
      
震災から7カ月が過ぎ、どなたにもさまざまな思いがあることでしょう。
とくに福島の被災者のことは、忘れてはいけないし、関東の人々にとっても他人事ではないようです。
これからもよろしくお願いします。
返信する
二宮尊徳の足跡は・・・・ (窪庭忠男)
2011-10-12 23:26:46
(知恵熱おやじ)様、写真説明が唐突ですみません。
調べた範囲では、今回の大震災と似た被災者としての経験から、生涯の事業がはじまっていて、その連想から二宮金次郎像を載せたわけです。
というのは、5歳のとき酒匂川の決壊で二宮家の田畑が流され、13歳で松苗200本を買い酒匂川堤に植えたと記されております。
その後も二宮家再興のために知恵をめぐらし、小田原藩に仕えてからも、家政・藩政の再建に尽力し、要請を受けて茨城の谷田部・茂木藩、栃木の桜町領(二宮町周辺)、福島の相馬藩でも飢饉の疲弊から復興させるために仕法と称する開墾事業等をアドバイスしたそうです。
因みに一番弟子の相馬藩士・斎藤(富田)高慶を介した相馬藩との関わりは、孫子の代まで続きます。
弘法大師も日本各地で、溜池築堤など土木事業を行ったと聞きましたが、二宮尊徳も生涯にわたって各藩各村で献身的な指導を続けたため、後々まで銅像を建てたりしてあがめられたのですね。(東北復興にも、この人、この考えが必要と思います)
      
なお、写真の二宮金次郎像は、調布市佐須町の斎藤倉庫という会社の庭に設置されています。
偶然にも代々の社長が先の相馬藩士・斎藤高慶と重なるので、末裔かと思いましたが関係がないとのお話でした。(孝行・精進・倹約)等を社是にしたようです。
返信する

コメントを投稿

コラム」カテゴリの最新記事