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どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

『ヘラ鮒釣具店の犬』(3)

2006-01-02 00:30:52 | 短編小説
 風の通っていった道は、クルマがやっと一台通り抜けられるほどの小道だ。公園側の木々が差し延べる影が、道はおろか向かいのトタン屋根の家まで被さっている。
 目が慣れると、薄暗い土間が奥の框に達していて、その手前のやや傾いたパイプ椅子の横に、首だけもたげた中型犬が、身じろぎもせずに桂木の方を見ていた。
 視られていたという思いが、桂木を動揺させた。たかが犬じゃないかと思い直したが、相手が誰かはたいした問題ではなかった。要するに自分の目であり、大げさに言うなら天なるものの目なのである。
 となれば、自分の行為が<花盗人>程度のものなのか、もっと罪深いものなのか、誰かに確かめたいと弱気な思いも湧いてくる。
 彼自身は、より強固な弁明を得ようと、脳をフル回転させている。・・・繁殖力に富んだこの花大根は、翌年にはもっと広範囲のテリトリーを確保しているに違いない。むしろ、桂木の庭に移植されることによって、種全体からみれば新たな活動の場を拡げるようなものだ。「どこが悪いの?」心の中で二度反芻したが、後ろめたさは消えなかった。
 それでも手足は勝手に動いていた。犬から視線をはずし、買い物袋に二株の花大根を土ごとしまいこんで、そそくさとその場を離れた。
 散歩は打ち切りで、変則の小回りコースをとって家に戻った。玄関に続く石段を登ると、右側に細長い庭がある。そのまま庭の片隅にしゃがみこんで、採ってきたばかりの花大根の株を埋める。園芸用シャベルに付いた腐葉土の色が、桂木の庭の土と極端な対比をなしている。桂木は移植した花大根の株に如雨露で水を与えながら、赤味がかった庭土に何度もシャベルを突き立て、黒い腐葉土をそぎ落とした。
 仕事は終わった。
 熱いシャワーで、冷えた肩や手足を温めた。細胞が、おしゃべりを始めたように沸き立った。
 桂木は湯上りのパジャマ姿で、長椅子に寄りかかっていた。
 目の前のテーブルに置いたボトルから、グラスに三分の一ほどウイスキーを注ぎ、二口ほどで喉を焼く感触を楽しんだ。
 あとは冷えたミネラルウォーターで火消しをする。癒される心地よさの、ひとつの極致かと桂木は思う。人生の中で失ったものよりも、代償によって得たもののほうが少しばかり上回っているのではないかと、ほくそ笑んだ。
 それにしても、疲れる仕事だったと、先刻の盗掘場面を思い起こしながら苦笑した。たかが道端の花大根を盗むだけでも胸が高鳴るのだから、他人の家に忍び込んだり、電車でスリをはたらいたりするのは、どれほど緊張するものか、自分の心臓では、とても持ちこたえられそうにもないと、想像でさえドキドキし始めた胸元を、新たな酒で焼き鎮めた。
   (続く)


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