(深大寺元三慈恵大師ご開帳)
本日12月3日をもって、25年に一度(本来は50年に一度)という秘仏のご開帳が終了する。
もともと比叡山の第十八代天台座主であった慈恵(じえ)大師が、正暦二年(991)に深大寺に遷座され、この地で入寂したとのことである。
正月三日に亡くなったことから、通称元三(がんざん)大師と呼ばれ庶民に大変人気があったらしい。
『おみくじ』の創始者と伝えられていることから、そのあたりにも人気の秘密があったことと思われる。
今年は、元三慈恵大師の千二十五年忌にあたる年で、ひさびさの中開帳となったわけである。
オッチャンも次回を待っては<おめもじ>できないのが明白だから、昼過ぎに出かけていった。
案の定押すな押すなの盛況で、長蛇の列について数十分待ち、やっと靴脱ぎ場までたどり着いた。
本堂から上がって、寺に伝わる数々の書や版木、法具、駕籠その他を見たあと渡り廊下を伝っていよいよ元三大師堂に入った。
老若男女が多数、堂内で僧の説明を受けている。
その背後から覗き見ると、御簾を巻き上げた中に二メートルに及ぶ黒々とした秘仏が納められている。
かすかな明かりを受け、炯炯とした目で信者の方を見据えている感じだ。
後で聞けば、木造で漆が施してあるとのことだったが、胆力・霊力にも優れていた大師が世を正しているのだと思った。
まあ、とにかく秘仏の迫力にひれ伏す思いだった。
億劫がらずに立寄ってよかったと、人生最初にして最期になるであろう元三大師ご開帳を喜んだ。
元三慈恵大師にお別れし、その指から境内に伸びた五色のテープ(実際は三色)に触って祈りを捧げる。
長野の善光寺でも同じような経験をしたが、こうしたささやかな愉しみも庶民にとってはありがたい。
この寺には、国宝『銅造釈迦如来キ像』も展示されており、優美な白鳳仏を愛でる楽しみもある。(キは、人偏に奇)
行ってみて、白鳳仏発見のエピソードを知るのもいいだろう。
中西梧堂とその父にまつわる話も興味深い。
こちらも明治四十二年の発見から100年目を迎えたとのことで、盛りだくさんの企画に満ちている。
盛りといえば、深大寺の蕎麦は美味い。
仕上げは、もりそばで締めることにしよう。
( * 秘仏の写真は撮影禁止でした )
大師千二十五年忌とは、すごい年月。それでも、たくさんの人たちが押し寄せた信心深さに驚嘆します。
それにしましても、深遠なる雰囲気を読み取ることができたようです。
深大寺の由来なんて知ることもなく、ただ散策のコースと思ってましたが……。
蕎麦屋といえば、境内の外れ、階段をちょっと上がった所にあるお店、あそこが懐かしいですね。〔おっちゃん〕もお好きなようで。
(くりたえいじ)様、階段を上がったところにあるのは、たぶん「雀のお宿」だと思います。
深大寺周辺には、有名な「元祖・嶋田屋」の他おおよそ20軒ありますが、それぞれの味を順に楽しむ蕎麦通もいるようです。
オッチャンも蕎麦好きですが、神代植物公園前にあった贔屓の「浅田屋」が廃業してしまい、がっかりしているところです。
コメントありがとうございました。
今、持ち込みようの小説を書いていまして、それがあと30枚ぐらいなのです。
これが書き上がったら、まがブログ小説を始めます。これに集中したいので、しばらくブログ小説はお休みです。
あの店の野外で、「さむーい」とふるえながら飲み食べたお酒と蕎麦、よかったなあ。
さらに「浅田屋」! 見栄えのしない蕎麦屋でしたが、廃業したんですか!
あの店の味も好きでした。
奮発して食べた天ぷら蕎麦は忘れられません。