どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

(超短編シリーズ)16 『喋る木炭』

2009-11-27 01:56:27 | 短編小説



     (喋る木炭)     


 助手席には、首をがっくりと折った男がもたれるように倒れていた。

 ドアを開けると、夜気と入れ替えにアルコールの臭いが流れ出た。

 足元には、ほとんど空になった角瓶と七輪が置かれていた。

 土田刑事は、自分の方に倒れかかる男の肢体を、肩で支えていた。

 練炭自殺らしいという通報を受けて駆けつけたのだが、窓に目張りもなく、七輪には練炭でなく木炭が詰められていた。

 しかも、木炭には火をつけた形跡がない。

 長めに切りそろえた高級炭が、原木の木目を誇るかのように硬質の肌を輝かせていた。

 土田刑事と相棒は、車内の様子を一瞥したのち、男の呼吸と脈を確認して死亡と判断した。

 交通事故の形跡はないから、病死もしくは自殺の可能性が考えられた。
 
 ただ、表面は何事もないように見えて、殺人ということもある。

 近頃、得体の知れない死亡事件が増えているから、よくよく気をつけなくてはならなかった。

 鑑識により死因が判明するまでは、なるべく現状を変えないように用心しようと思った。

 助手席側から男の生死を確かめた後は、ドアを閉めて外からの観察に重点を置いた。

 まもなく救急車が到着したが、男の死亡を確認するとそのまま引き返していった。

 通常は、刑事が先に動くことなどないのだが、たまたま相棒と二人で近くの現場を張っていたため通報を受けて駆けつけたのだ。

 場所は旧荒川の堤防の上、夜十一時を回ったころだった。

 鴻巣市にある糠田橋を中心にした一帯で、秋には黄金色に輝いていた水田もすでに刈り入れが済み、寒々とした風景がひろがっている。

 冬の到来を間近にして、関東のこのあたりでも冷え込む日々が続いていた。

 一週間前にデート中のアベックが襲われる事件があり、まだ未解決の状態だった。

 捜索を兼ねて近くをパトロールをしている最中の新たな事件発生である。

 (またかよ・・・・)

 立て続けの事件で、土田刑事と相棒は殺気立っていた。

 犯人のみならず、覗きが横行する堤防や河川敷にのこのこ出かけていく被害者にも腹が立った。

 しかし、事件となれば捜査するしかない。

 アベック襲撃事件に続いて今回の変死事件も解決がもたつけば、県警の面子も丸つぶれになる。

 土田刑事は、いつもより慎重に身構えた。

 男の身なりは、黒のズボンにグレーのジャンバーで、一見工事現場の作業員ふうに見えた。

 所持品には免許証も身分証明書もなく、小銭入れに570円だけが残されていた。

 遺書はないかと探したが、ジャンパーのポケットには何もなく、ダッシュボードや車内のいずれにもそれらしきものを発見できなかった。

 照会した乗用車のナンバーから、持ち主が判明した。

 本庄市の歯科医で、昨日のうちに盗難届けが出されていることも明らかになった。

 深夜電話で確認したが、クルマの所有者と身元不明の遺体の間に、直接結びつくものは何もなかった。

 遺体は警察車両に収容し、黒のセダンはレッカー車で所轄署に運んだ。

 大学病院から駆けつけた嘱託医による検視でも、死因ははっきりしなかった。

 ただ、ウイスキーの大量摂取による急性アルコール中毒が疑われるところから、心臓の機能停止が一番有力視された。

 遺体はとりあえず署内の霊安室に安置され、その間身元の確認に全力が注がれた。

 所持品から身元をたどれないうえ、行方不明者リストからも、それらしき情報は得られなかった。

 死因を特定するために、司法解剖にまわすことになった。

 限られた予算の中、年間何例もない措置が決定したことで、土田刑事は自分たちの力不足を思い知らされた。



 この事件は、遺留品も少なく、意図的に身元を隠そうとしているのではないかと疑われた。

 それにしても不可解なのは、車内に残されていた木炭だった。

 火を点けようとした気配がないのは、ライターやマッチが落ちていないことでも明らかだった。

 自殺なのか、事件なのか。

 遺体は誰で、なぜそこに居るのか。

 皆目見当がつかないというのが、捜査関係者の思いだった。

 土田刑事は、保管されている僅かな遺留品を前に、次の手を打ち出せないでいた。

 やっと捜査が進展したのは、司法解剖で思いがけない事実が判明したからだ。

 直接の死因は急性心筋梗塞で、それ自体はある程度予想されたことであった。

 ところが、肝障害のほか胃の中からも微量のアセトアミノフェンが検出され、状況から大量の風邪薬と大量のアルコールが摂取された疑いが出てきた。

 検知されたアセトアミノフェンが微量だったのは、時間経過とともに吸収されてしまうからだ。

 心筋梗塞を引き起こすためには、大量の風邪薬とアルコールの介在が不可欠だから、騙されて、あるいは無理やり飲まされた可能性もあった。

 しかし、得られたデータは微量過ぎて、物的証拠とするには無理があった。

 それでも、捜査関係者は色めきたった。

 埼玉県内の薬局を中心に、アセトアミノフェンを含む風邪薬、解熱剤、鎮痛剤の販売状況を調べた。

 通常の服用量では眠気を催すこともなく、運転手でも安心して使用できる風邪薬として知られていたため、販売個数は半端ではなかった。

 と同時に、誰でも買える薬だから、身元不明者の顔写真を見せてもこれだと特定できる結果は得られなかった。

 ウイスキーの角瓶は、製造ナンバーから流通経路をたどることができた。

 埼玉県西部の酒類安売りスーパーで販売されたところまで行き着いたが、その先の購入者を割り出すのは困難だった。

 店舗に設置された防犯ビデオを借り出し、事件発生日から可能な限り遡って遺体の顔と見比べたが、やはり合致するものはなかった。

 土田刑事は、行き詰まると必ず遺留品の置かれた棚の前に立った。

 指紋が付かないように手袋をして、木炭のつまった七輪を床に降ろした。

 椅子にどっかり腰を下ろして、死亡者もしくは犯人が何を考えて自動車に木炭を持ち込んだのかを考え続けた。

「土田さん、ひと休みですか?」

 皮肉をいう者もいた。

「下手な考え休むに似たりっていうぞ」

 忠告する先輩もいた。

 そして最後は、デカは足が全てだ、行った行ったと急き立てられた。

 この日は、幸いなことに刑事部屋に誰も居らず、土田刑事はひとり七輪に投げ込まれた状態の木炭と向き合っていた。

 (まいったなあ。おまえらに口があったらなあ・・・・)

 溜め息まじりに呟いた。

 七輪の持ち主が遺体の男なのか、それとも姿の見えない犯人なのか、どちらかに絞り込めれば多少は進展しそうに思えた。

 (待てよ・・・・)

 土田刑事は、いままで自分の思考を阻んでいた壁の存在に思い当たった。

 遺体の身元にせよ、遺留品の角瓶や七輪にせよ、所在が特定できないうちに動き出すことを躊躇していた。

 事故か事件か、遺体は自殺者なのか被害者なのか、犯人はいるのか、いないのか、分からないまま堂々巡りしていたのだ。

 長年の経験から来る固定観念が、思考の壁になっていたような気もする。

 さまざまの関係者が述べる先入観に、多少なりとも惑わされていたのかもしれない。

 知り得た事実だけを並べてみると、いま現在はっきりしているのは盗難車の持ち主である歯科医のことだけだった。

 (そういえば、酒類安売りスーパーのエリアに、歯医者の所在地が入っているのではないか)

 偶然かもしれないが、アセトアミノフェンに直結する鎮痛剤も、歯科医なら容易に手に入れることができる。

 薬局などの聞き込みに、無駄な時間を費やしたのかもしれない。



 ひとたび錠前が開くと、いままで排除していた可能性がつぎつぎと甦ってきた。

 もしも、歯医者があらかじめ自家用車をこの築堤まで運んできていたとすればどうだろう。

 免許証のない男が、助手席で倒れていたことの説明にもなる。

 何らかの理由で、犯人が男に鎮痛剤を飲ませ、そのあと矢継ぎ早にウイスキーを勧めたのではないか。

 酔いの回ったところを見定めて、さらに薬剤とアルコールを流し込んだ。

 被害者は、急性心筋梗塞で死んだ。

 犯人は、男の死亡を見届けてセダンを離れる。

 共犯者がいるとすれば、その者の運転するクルマに拾ってもらって自宅に戻る。

 どのようなアリバイを用意するかは知るよしもないが、周到な準備と知能の冴えを発揮すれば見破るのは容易ではないだろう。

 時間が経てば経つほど、証拠のアセトアミノフェンは消える。

 土田刑事は、なおも足元の木炭に語りかけた。

 (おまえに口があったら、身元不明の男が死んだ一部始終を話してくれるだろうに・・・・)

 シーンとした刑事部屋の中で、どっかり椅子に腰を下ろした土田刑事が、真新しい七輪と木炭を見下ろしていた。

 妻一人、子ひとり、たくさんの悪事と格闘してきた男が、疲れきった身体と魂を野放しにしていた。

 土田刑事は、われ知らずウトウトした。

 夢なのか、現なのか、川霧の底で囁くような声がした。

「おれは、保険金目当てに殺された・・・・」

 目をこすると、上から覗き込んでいた高級炭の切り口が蛍光灯に照らされていた。

 放射状に皹の入った焼き割れが、密かに呼吸しているように思われた。

 (喋ったのか?)

 狐につままれたように、キョトンとした。

 そんなことがあるはずはないと自嘲したが、苦し紛れの問いかけが何かのヒントを与えてくれたような気がした。



 翌日から、歯科医に対する徹底的な身辺調査が始まった。

 開業当時は、看護師にピンクの制服を着せ、それなりに繁盛していたが、次第に患者が離れて行き、経営も苦しかったようだ。

 そのころから、夜の街で夜更けまで遊ぶ姿が見られるようになり、いっそう評判を落としていった。

 スナックのホステスと懇ろになり、それが元で妻と離婚した。

 ホステスは歯科医と深い関係を結ぶ一方、スナックのマスターとも切れないでいた。

 このスナックをめぐっては、なにやら善からぬ噂があり、出入りする客の男が数人、原因不明の死を遂げているということだった。

 死んだ男には多額の生命保険が掛けられていて、それぞれ内縁の妻と称するホステスが受取人になっていた。

 すでに保険金が支払われたケース、保険会社が調査中の契約、支払いをめぐって係争中の事件など、マスターの周辺にはきな臭いにおいが充満していた。

 歯科医は渦中から離れているように見えるが、当事者のホステスと接点があり、どこかで巻き込まれている気配があった。

 土田刑事と相棒は、まもなく司法解剖した遺体の男の身元を突き止めた。

 案の定、スナックの客として出入りしていたことが分かった。

 調べてみると、数千万円の保険が掛けられ、歯科医と懇ろのホステスが受取人になっていた。

 歯科医が保険金殺人にどこまで関わっていたのか、直接手を下したのか。

 あるいは、共犯として自動車を提供し、盗難を届け出て犯行の目くらましを狙ったのか。

 まだそこを突き止めるまで捜査は進展していない。

 アセトアミノフェン薬物殺人の隠蔽を図り、練炭自殺を偽装しようとしたのか。

 それなら、なぜ実際に練炭を持ち込んで火を点けなかったのか、いまのところ謎である。

 練炭の換わりに木炭を詰めた意図も、現在はまだ分かっていない。

 土田刑事の推測では、歯科医の良心と恐怖が土壇場で産んだ心の亀裂ではないかと考えられる。

 医師としての瀬戸際に立って、真の暗闇に飛び込む勇気が挫けたのだろうと。

 あるいは、いずれ自分もアルコールとアセトアミノフェンの餌食になる運命を察知したのか。

 真相は、あと数日のうちに明らかにできる。

 最後の詰めは、深夜再び署に戻って、木炭と会話を交わしてから決めようと思った。



     (おわり)

 

 

 
 

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2 コメント

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刑事の苦悩 (自然児)
2009-11-29 11:41:10
どんどん惹き込まれる短編小説。

そこには難事件に立ち向かわねばならない刑事の苦悩と奮闘。

ぼくらは日々、新聞その他で死亡事故や事件を表面だけ知らされていますが、それに係わる警察や担当警部や刑事の心理にまで心を致すことはありません。
この短編小説は、そこのところをかなり深くえぐっており、襟を正さずにはおれません。
それだけに労作に違いないでしょう。

さて、結末は?
「それは読む者の勝手でしょう」と、作者はほくそ笑んでいるようにも思えました。
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刑事も喜んでおります (窪庭忠男)
2009-11-30 18:32:07

(自然児)様、下積み刑事の苦労を理解していただき、感謝しております。
ここのところ、警察の捜査技術と対峙する事件が増えていませんか。
インターネットによる匿名性、整形による変身、想像を絶する猟奇性など、従来の分析では突き止めづらい要素が絡んでいる気がします。
というわけで、土田刑事に成り代わり御礼申し上げるしだいです。
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