(いびつな月)
入鹿は、数日前からいらいらしていた。
頭の周りで、なにかチリチリとはじけるような波動が感じられるのだ。
(なんだろう?)
沖の方から追いかけてくる目に見えない不安が、全身の皮膚を粟立たせる。
親から受け継いだ精密な感覚が、音ともいえず唸りともいえない底鳴りを感知して未知の信号を送って来るのだ。
「おまえ、何か変なものを感じないか」
入鹿は、近づいてきたサブに訊いた。
「はい、ボスもですか」
入鹿の傍でいつもサポートしてくれるサブが、すかさず同意した。
「うん、少し疲れが出たのかと思ったのだが、俺だけでもないんだな?」
偏頭痛の類かと考えた瞬間もあったが、他の仲間も同様の感覚を訴えたので、共通の原因があることを確信した。
入鹿が率いるのは、遠く歴史時代からルーツを一にする権藤一族とその仲間である。
豊かな恵みを求めて、日々移動している。
やみくもに動き回るわけではなく、限られた範囲の中で種族の存続に適した場所を探しているのだ。
それを探り当てることが、リーダーとして選出された入鹿の責任である。
気苦労は絶えないが、慕い寄る仲間との触れ合いは、何よりも心を満たす歓びをもたらすものだった。
漁を生業として、一糸乱れぬ秩序を保ってきた。
魚の群れを追って、集団での漁法も手慣れたものだった。
それが、このところ気持ちを集中できないでいる。
(俺がこんな状態では、みんなを統率していけない・・・・)
平常心を保とうと、空に向かって深呼吸した。
「どうだ、少しこの場を離れてみようか」
「はい、みんなこの場所にいると落ち着かないと言っていますから・・・・」
入鹿は決断すると、合図を送って南西の方向へ進路を切った。
感覚器官に到達する微細な振動から逃れるために、彼らは全速力で進んだ。
一日がかりで、三陸沖から茨城沖の方へかなり移動した。
「どうだい、案外気持ちの良いところじゃないか」
「そうですね、大好きな烏賊や蛸の姿も多いし、しばらくこのあたりに留まりましょうか」
「食えるだけ食って、少し休養しよう」
ひとしきり獲物を追ったのち、静かな海を遊泳して英気を養った。
入鹿の特技は、半覚醒状態でも泳げることである。
彼に限らず、先祖から受け継いだ能力だから、ことさら特技などというのはおかしいのだが・・・・。
同じような一族でも、行動範囲の広い半藤家の面々と違って回遊するほどの積極さは持ち合わせていない。
その代わり、一糸乱れぬ団結力は特筆ものである。
リーダーの背中を見てその行動につき従う習性は、指示や命令以前の本能によるものだ。
それだけに責任は重く、入鹿の神経は休まる暇もないほどであった。
(今夜は、妙に穏やかだな・・・・)
入鹿は海の様子をうかがいながら、空を見上げた。
薄い膜を通して月が見えた。
神経に障る微細な波動に悩まされ、季節の変化に鈍感になっていたが、確実に春が訪れているのが分かった。
環境さえ整えば、女どもも子育ての準備に励む時期だ。
ゆらゆらと揺れる海面に、いびつな月がついてきた。
起きていたつもりが、一瞬睡魔に引きこまれたようだ。
ハッとしたのが、その証拠だ。
ことの是非など考えている暇はなかった。
いきなり後頭部を直撃するショックがあって、パニックを起こしてしまったのだ。
「ウワーッ」
入鹿らしからぬ悲鳴を上げて、背後からの襲撃を振り切ろうとした。
水母に触れたときのような痺れが全身を覆う。
実際に肌がそう感覚するのか、恐怖心がそうさせるのかわからない。
(どっちだ、どこへ行けばいいんだ!)
入鹿はやみくもに前進していた。
行き先の方向も、浅瀬が迫っていることも頭になかった。
100頭を超す仲間が、入鹿の後を追った。
(いかん、この光景は夢に見たことがある)
獲物を追って夢中になりすぎ、集団で海岸に乗り上げた先祖の話を、叔父から聞いて魘されたことを思い出していた。
「引き返せ、引き返せ!」
状況は異なるが、腹をこすり身動きできなくなって死んでいった一族の悲劇を、再現してはならぬ。
気づいた時には、魚雷のように砂浜に乗り上げる仲間の姿が目に入った。
先頭を切った入鹿が、急に回れ右することなど、つき従った仲間に分かろうはずはない。
(アアーッ、アアーッ)
絶望的な叫びを繰り返す入鹿の姿に、後続の集団はかろうじてそこに留まった。
砂浜の寸前で踏ん張った半数の50頭は、混乱の中にあっても徐々に態勢を立て直した。
「すまん、俺があわてたせいで皆を混乱させてしまった・・・・」
悲痛な思いが、甲高い声にのって海面を震わせた。
「ボス、ボスだけの責任ではありません」
サポート役のサブが、入鹿を慰めるように言った。「・・・・それに、いまは引き潮です。潮が満ちてくれば、必ず砂浜から脱出できます」
茫然自失の入鹿に代わって、サブが指揮を執りはじめた。
「少し沖に離れて、仲間の戻りを待ちましょう」
3月4日の夜、茨城県鹿嶋市の下津海岸に約50頭のイルカが打ち上げられた。
翌朝、多くの地元住民やサーファー、市職員ら200人が駆けつけ、海水を掛けるなど懸命の救助を試みた。
持ち寄ったタオルを濡らしてイルカの表皮を覆い、できる限りの手当てを施したが約半数は死亡した。
体長2~3メートル、体重300キロにも達する個体を、人の力で傷つけないように動かすのだから困難を極めた。
それでも生きていた22頭を、8時間かけて海に還したのである。
ニュースが伝えられると、さまざまな反応があった。
水族館の職員の話では、打ち上げられたのはイルカの一種カズハゴンドウだそうだ。
「このあたりの沖合で回遊する春先に見られる現象。集団で泳いでいるので、餌を追い掛けて浅瀬に迷い込んだのでは」
当たり障りのない解説とともに、一時茶の間の話題になった。
「ニュージーランド地震の直前にも、イルカが揚がったというからなあ・・・・」
動物が騒いだり、急に姿を消したりする現象を、昔から大地震の予兆と信じる者もいるが、多勢に無勢でいまだに民間伝承の域に置かれている。
地震学者の研究データのみありがたがる風潮が是正されない限り、権藤一族の悲劇の真の原因は理解されないだろう。
<地下岩板の破砕による電磁波の発生>
学者も容認できる現象として、いまでは常識に近い。
しかし、<地震雲>や<空焼け>に地磁気の異常が反映しているとまでは踏み込めない。
入鹿もまた、データを持って逃げ回ったわけではないから、科学者に相手にされないのは当然だったが。
一部の人間は、ネットという道具を使って噂をしあった。
「近いうちに、きっと地震がくる」
「どの程度のヤツだよ、日本中ひっきりなしに地震が起きてるんだから、どれかに当てはまるじゃないか」
「だけど、新潟地震の時に現れた地震雲は不気味だったぞ。地表からまっすぐ上空へ立ち上がっていた」
「えっ、イルカのほうはどうなんだ?」
「だから、ニュージーランドでは・・・・」
やれやれという感じで、長いやり取りは中断した。
さほど行動半径の大きくない権藤一族だったが、人間の手によって海に戻された20頭余りを引き連れて、可能な限り陸地を離れた。
途中、傷ついていた数頭の仲間が力尽きた。
左右から支えて蘇生させようとしたが、別れの合図を残して海の底に沈んでいった。
いさぎよい最後だった。
権藤一族に限らず、半藤家の血筋を引き継ぐものも、運命を受け入れる覚悟のほどは共通していた。
生あるものは、いつかは潰える。
感傷など入り込む余地はない。
寄り添う行為は、死にゆくものに冷静な判断を伝える時間なのだ。
一頭、一頭、力尽きた仲間はサブマリーンになる。
水圧に噴気孔を鎖され、やがて重い頭を下にして海底に向かう。
ルクー、ルクー。
残った仲間がいっせいに葬送の歌を唄い、見送る。
サブの指揮で、元の秩序に戻ろうとしている。
入鹿の権威を侮るものではないが、ここ数日でリーダーの入れ替わりは暗黙のうちに認められていた。
大きな揺れと、海面の盛り上がりが起こったのは、3月9日の午前11時45分ごろだった。
マグニチュード7.2、三陸沖を震源とする大きな地震が発生したのである。
太平洋岸の広い範囲に津波警報が出され、実際に各地の港で潮位の変化が観測された。
入鹿は、新たなボスとなったサブの後ろから、群れの一頭となって泳いでいた。
チリチリと頭部で受信する信号をいぶかしみながら、分厚い海水の圧力に怯えていた。
(リーダーを代わっておいてよかった)
こんなことにオタオタしているようじゃ、群れの安全を保証することはできない。
その点、サブは敢然と一族を引き連れ、危険地帯を回避している。
入鹿は、サブに向かって称賛の声を発した。
ヒュールクー、ヒュールクー。
仲間もいっせいに追随した。
確認することはできないものの、誰もが危機を逃れたことを確信した。
歓びのあまり、海面から巨体を乗り出して、ダンスをするものもいた。
ひとしきり歓喜の宴に酔いしれて、この世の厄災がすべて終わったかのように高揚する若者もいた。
しかし、入鹿にはまだ不安が残っていた。
チリチリ、チリチリ・・・・。
彼らが生息していた三陸沖方面から、新たな信号が送られてくる気がするのだ。
深海の底の底から、強い波動が押し寄せてくる。
いったん頭にこびりついた恐怖が、まだ拭い去れていないのだろうか。
単なる怯えなのか、それとも根拠ある兆候なのか。
海底に沈んだ仲間からの、渾身の合図なのか。
入鹿は、不安に駆られて思わずサブに問いかけた。
「ボス、また同じような波動を感じるのですが・・・・」
「そうだなあ、ここまで来ても消えないね。一体これはなんなのだろう?」
「今までに経験したことのない出来事が、進行しつつあるのでしょうか」
「わからんなあ。しかし、権藤一族は何があっても生き抜いてきたんだから大丈夫だよ」
2011年3月11日14時46分、全長約500キロに及ぶプレートを立てつづけに破壊した「東北地方太平洋沖地震」が起こった。
震度7という地震もさることながら、間を置かずに襲ってきた大津波の被害は想像を絶するものだった。
入鹿が怯え、パニックを起こした岩板破砕の電磁波は、マグニチュード9.0の巨大地震の前震と位置付けられる三陸沖地震の予兆にすぎなかった。
「イルカやクジラの方向感覚を狂わす事象があったら要注意です」
「リュウグウノツカイなど珍しい深海魚が浮上したら地震を疑いなさい」
無事に津波を乗り切った権藤一族からのメッセージを、短波ラジオで聞いた人間がいる。
「ヒュー、クー、ルー」
それが入鹿からのものか、サブからのものかはわからないが、遠く洋上を渡る電波に周波数を合わせた青年が、偶然にキャッチしたものである。
日本の海岸の三分の一、岩手から宮城・福島・茨城に及ぶ震源域をまとめて破壊したエネルギーは、まだ解消されていない。
余震が必ずしも余震にとどまらず、別のプレートの前震となる可能性もある。
いたずらに怯えることはないが、「命てんでんこ」と代々唄にして伝えた三陸のおばあちゃんの教訓を、イルカ類カズハゴンドウ一族は知っていたのだろうか。
(おわり)
そして11日のあの瞬間が。
上手いですねー。
詩人の技が、小説の職人技に昇華したかのごとくで、読むものに翻弄される快感を与えてくれます。
これからも意表をつく構想で愉しませてください。
なんと今次大津波を敏感な海洋生物の異能に合わせ、肌が粟立つほどに現出したわけですね。
それも、間髪を入れず。
同時に「動物本能を侮るな」、「自然の猛威を軽視するな」とばかりに警告しているようでもあります。
単に一プログに止まらず、多くの人に読んでほしい一篇でもありますね。
身に余るコメントに感謝です。
大自然のまえには、人間は蟻んこみたいなものなんだなあ、と無力感に襲われます。
その一方、困難に直面すると人々はやさしくなり、見ず知らずの人でも助けようとします。
蟻んこも含めた多くの動物と同じように。
自然の近くにいると、人は多く救われるのだと思いました。(日本人の資質かな?)
災害よりもっと大きなものに・・・・。
ある意味、どうぶつの能力が人間を上回っていることを知りながら、多くの人はなかなかそれを認めようとしないんですよね。
災難に対して、動物はみな逃げます。
自然に対しては、逃げたり、避けたりすることを基本に、考え方を組み立てるといいと思うのですが・・・・。