蝉しぐれ
「雑感二題」
○ 蝉しぐれ
梅雨の晴れ間をぬって、森の家で2日間過ごした。
5月に蒔いたインゲンがかなり伸びてきたので、支柱を立ててサポートをする時期がきた。
篠竹や金属製のポールは大掛かりになるので、いつも簾をほぐして葦で代用している。
それでも80本近くを畑に差し込んでいると、途中で腰が痛くなってきた。
これはいかんと、背筋を反らして手を休める。
気がつくと、畑の周りの森が蝉の声で埋め尽くされている。
もうそんな季節なのかと、時の移り変わりの速さに驚かされる。
間断なく沸き立つように、森全体が揺れる7,8月まであと少しだ。
夏中ここで過ごした思い出がよみがえる。
なんの気がかりもなく鳥や虫と遊べた記憶は、カプセルとなって頭の中心に残っている。
自然の恩恵が、永遠につづくと思えた時期だったが・・・・。
酔いしれているさなかに、蝉しぐれが急速にしぼんでいく。
(なんだ?)
期せずして合奏をやめた蝉たちの意図をいぶかしむ。
空を見上げているうちに、答えは見つかった。
一瞬翳った陽光がふたたび森を包んだとき、蝉しぐれはフォルテに転じた。
そうか、指揮者は太陽だったのか。
いまごろ知った事実に、ふーっとため息をつくのだった。
○ 50年前の俳句
必要があって歳時記を検索していたら、一瞬ギョッとする事態に遭遇した。
眼の端に、あり得ないものが映ったのである。
<今朝の春白きものみな病む翳もつ 窪庭忠雄>
恥ずかしさをこらえてその部分に目をやると、やはりそこに自分の名前があるではないか。
(ええーッ)
どうして、そんなことに・・・・。
激しく頭をめぐらすと、50年前に所属していた「林苑」という結社のことがよみがえった。
あのころは若気の至りで、実作もそこそこに現代俳句論みたいなものを書いたりしていた。
角川の「俳句年鑑」とか、多少の痕跡がある関係で拾われたのか。
それとも、時候俳句の季語を選んでいて例句が少ないものだから、下手な新人の作まで探ったのかもしれない。
いずれにせよ、忘れていた身内に出逢ったような気分で、恥ずかしくも懐かしいひと時を味わった。
話は変わるが、二十歳代にある書籍出版社に勤めたことがあって、その時の同僚に清水某という青年がいた。
清水基吉というぼくの好きな俳人は、彼の叔父さんということですっかり盛り上がったものだった。
<これからは引算ばかり年迎ふ 清水基吉>
ぼくの尊敬する内田百先生の俳句も二句発見。
<元朝の薄日黄ろき大路かな 内田百間>
<元朝の薄曇なる庭の匂ひ 内田百間>
やはり、青二才とは格がちがうのである。
(おわり)
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「雑感二題」
○ 蝉しぐれ
梅雨の晴れ間をぬって、森の家で2日間過ごした。
5月に蒔いたインゲンがかなり伸びてきたので、支柱を立ててサポートをする時期がきた。
篠竹や金属製のポールは大掛かりになるので、いつも簾をほぐして葦で代用している。
それでも80本近くを畑に差し込んでいると、途中で腰が痛くなってきた。
これはいかんと、背筋を反らして手を休める。
気がつくと、畑の周りの森が蝉の声で埋め尽くされている。
もうそんな季節なのかと、時の移り変わりの速さに驚かされる。
間断なく沸き立つように、森全体が揺れる7,8月まであと少しだ。
夏中ここで過ごした思い出がよみがえる。
なんの気がかりもなく鳥や虫と遊べた記憶は、カプセルとなって頭の中心に残っている。
自然の恩恵が、永遠につづくと思えた時期だったが・・・・。
酔いしれているさなかに、蝉しぐれが急速にしぼんでいく。
(なんだ?)
期せずして合奏をやめた蝉たちの意図をいぶかしむ。
空を見上げているうちに、答えは見つかった。
一瞬翳った陽光がふたたび森を包んだとき、蝉しぐれはフォルテに転じた。
そうか、指揮者は太陽だったのか。
いまごろ知った事実に、ふーっとため息をつくのだった。
○ 50年前の俳句
必要があって歳時記を検索していたら、一瞬ギョッとする事態に遭遇した。
眼の端に、あり得ないものが映ったのである。
<今朝の春白きものみな病む翳もつ 窪庭忠雄>
恥ずかしさをこらえてその部分に目をやると、やはりそこに自分の名前があるではないか。
(ええーッ)
どうして、そんなことに・・・・。
激しく頭をめぐらすと、50年前に所属していた「林苑」という結社のことがよみがえった。
あのころは若気の至りで、実作もそこそこに現代俳句論みたいなものを書いたりしていた。
角川の「俳句年鑑」とか、多少の痕跡がある関係で拾われたのか。
それとも、時候俳句の季語を選んでいて例句が少ないものだから、下手な新人の作まで探ったのかもしれない。
いずれにせよ、忘れていた身内に出逢ったような気分で、恥ずかしくも懐かしいひと時を味わった。
話は変わるが、二十歳代にある書籍出版社に勤めたことがあって、その時の同僚に清水某という青年がいた。
清水基吉というぼくの好きな俳人は、彼の叔父さんということですっかり盛り上がったものだった。
<これからは引算ばかり年迎ふ 清水基吉>
ぼくの尊敬する内田百先生の俳句も二句発見。
<元朝の薄日黄ろき大路かな 内田百間>
<元朝の薄曇なる庭の匂ひ 内田百間>
やはり、青二才とは格がちがうのである。
(おわり)
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長い時日と経験を通し、自分の過去が蘇ってくるような思索。
そこのところがなんとも奥ゆかしく読む者の胸に響いてきます。
そうして、もう蝉しぐれの時候になってきたんだなあと思い起こされます。
自分の歩んできた人生の一篇を静かに伝えてくるようでした。
老いてますますお元気に!
そして50年前のことも・・・・。
しきりに、時間ってなんだろうって考えています。
コメントありがとう。