父の命日に、その男は突然やってきた。
もっと正確にいえば、ぼくが部屋に入るより前にその男は侵入していたのだ。
外は雪だった。
東京には珍しい積雪量で、ぼくは混雑する電車を諦めハイヤ―を頼んで勤め先から帰ってきたのだった。
マンションの一階にある2LDKがぼくの住まいだ。
ロックを解除して中に入ると、誰もいないはずのリビングルームのソファにその男は坐っていた。
ぼくは窓から差し込む雪明かりを受けて、ポーと浮かぶ男の顔を見た。
濃い眉とその下の鋭い眼が、威圧的にこちらを見ている。
おまけに鼻骨の高さから、こいつは北欧系のロシア人だなと見当をつけた。
案の定、その男はロシア語でぼくに話しかけた。
ぼくは父を慕っていたから、父の勤める商社に憧れていた。
大学のロシア語学科を専攻し、父と同じ商社マンになるつもりで勉強した。
ところが、ある日父は赴任先のスウェーデンで交通事故に遭い死亡した。
その日が日本時間の2月10日だった。
ぼくは途方に暮れたが、現地での処理は勤務先の社員がすべてやってくれた。日本大使館の人も、なにかと協力をしてくれたらしい。
遺体が日本に空輸されてから青山墓地に埋葬するまで、ぼくはただ指示されるままに動いた。
離婚した母は、居場所も不明だったから連絡できなかった。
もっとも、母にその気があれば駆けつけることはできただろう。
テレビでも新聞でも報道されたのだから、父の死を知ることはできたと思うのだ。
あれからちょうど一年が過ぎた。
父の墓参りは三日前の休日に済ましてある。
そしてこの日が命日だったのだ。
ぼくは微動もしない男の顔を見つづけた。
雪明かりの中で、その男はついに口を開いた。
低いが明瞭な声だった。
唇から押し出すような発音だが、腹圧のつよい振動がぼくの鼓膜を震わせた。
ぼくは男の手元を注視した。
ソファの横から大きなアタッシュケースが現れたからだ。
その男は目の前のテーブルにアタッシュケースを載せ、両手で留め金を開けた。
パチンと音がして、蓋が跳ね上がった。
男はぐるりと半回転させて、ぼくの方に向けた。
青っぽい紙幣が見えた。
帯封が縦に並んでいた。
札束だった。
紙幣の左上に500ルーブルと書いてあった。
ぼくは、その男に目で問いかけた。
男はぼくの父から依頼されたものだと言った。
どのような経緯があったのか訊こうとした瞬間、男はパタンと蓋を閉じた。
では、たしかにお渡ししました。
深々とお辞儀をした後、男の姿は消えていた。
ぼくは、しばらく突っ立っていた。
男が立ち去ったあたりを確かめようとしたが、ドアが閉まった音も窓を開けた気配も全くなかった。
「なぜルーブルなんだ・・・・」
ぼくは当初、父がぼくに宛てた遺産かと思ったのだ。
だが、すぐにそうではないのかもしれないと考え直した。
父が携わってきた仕事や、アタッシュケースを運んできた男の風貌から、あるいは得体のしれない金の可能性もあると疑ったのだ。
それを裏付けるように、男は金を届けた理由を明らかにしなかった。
気づいてみれば、男は自分の名前も名乗らなかったし、その国籍も告げることなく立ち去ってしまった。
ぼくは、アタッシュケースをロフトに担ぎ上げた。
とりあえず、ぼくの元へ運び込まれた意味が解明されるまで、人目につきにくい場所へ隠しておこうと思ったのだ。
折り畳み式の階段を上げてしまえば、侵入されるまでに多少時間がかかる。
ぼくの意識の中で、危険な要素をしばらく封じ込めておけるのではないかとの淡い期待が湧いた。
昨年の四月、ぼくは父のコネとロシア語専攻という学歴を評価されて入社した。
数カ月は夢中で過ごした。
当初は文書の翻訳が主だったが、日々増え続ける仕事量に深夜の帰宅も稀ではなくなった。
翌年には、父の後を追ってスウェーデンに赴任してくれないかと打診された。
父の足跡が残る街で、しばらく北欧の空気を吸ってみたらどうかというのが殺し文句だった。
しかし、会社はなぜロシア語しかできないぼくをスウェーデンに赴任させようとするのか。
ぼくの内部で、きな臭いにおいが立ち昇った。
ロフトに隠したままのルーブル紙幣のことが、記憶の奥から顔を出した。
それまで全く忘れていたわけではないが、スウェーデンとルーブルの接点が見つからずに、考えるのを止めていたのだ。
父は商社マンとしてどんな仕事をしていたのか。
石油や天然ガスの買い付けをめぐって、何か画策していたのだろうか。
あるいは鮭やキャビアの輸入を有利にしようと、第三国で極秘の交渉をしていたのだろうか。
次々に疑問が湧いた。
もしかしたら、父の死因にも隠された秘密があるのではないか。
交通事故というのは見せかけで、日本との取引きを潰すために父が消されたのではないかとも邪推した。
そもそも、あのアタッシュケースはどのような手段で日本に持ち込まれたのだろう。
円とルーブルの交換レートは知らないが、500ルーブル紙幣が八十束ほどあったから、米ドルを介してもおおよそ一千万円ぐらいにはなるはずだ。
高額紙幣も発行されているのに、手ごろな500ルーブル札を用意させたあたりに、父の取引における現実的な感覚がうかがえた。
また、日本の商社とロシアの業者の決済であれば、現金など登場しないはずだ。
だから、仲介者に渡す賄賂か手付金に使うつもりだったのだろう。
あるいは、法を冒してでも手に入れたい物品があった可能性がある。
黒マグロとかタラバガニといった線も浮上する。
最近でも、密猟の水産物を洋上で取引する手口が当局によって告発されている。
不正な取引きを阻止するためになんらかの機関が動いたと想像しても、あながち荒唐無稽な話でもなさそうだった。
ぼくは、打診を受けてからしばらく返事を保留していた。
その間に、スウェーデンとロシアの歴史的な戦争や領土の割譲などを文献で学んだ。
フィンランドもも含めた過去の関係が二世紀に亘って安定していたことで、現在の国際都市としての評価につながっている。
優れた商業都市であり、金融都市でもある。
そして、旧市街の保全と文化的価値の称揚がストックホルムの繁栄をもたらしている。
先年スウェーデンの人権活動家が旧ソ連のベラルーシュの領空を侵犯し、ビラを大量に撒いたというので大騒ぎになった。
しかし、多少の例外はどこにでもある。
国としての利益を考え抜いたグスタフ三世が、争いを引きずるより融和を選んだことがこの国の未来を引き寄せた。
もちろん表面的な市民生活の裏に、恐ろしい罠が仕掛けられているかもしれない。
商社の宿命として、知らず知らずに戦略的物品を扱う惧れもある。
国家間の情報戦争に巻き込まれないとも限らない。
ロフトに仕舞ったままのルーブル紙幣が、ぼくの決断を最後まで躊躇させた。
一方、父が七年間住み続けたストックホルムの街を、この目で見てみたいという欲求も強かった。
「どうする?」再度上司に促されれば、ついに承諾しそうな自分がいた。
ぼくはその日、なぜかデパート屋上の遊園地に居た。
休日だったから、子供連れの若い夫婦が楽しそうに遊んでいた。
ジャングルジムやシーソーに興じる親子、それにミニ動物園ともいうべき一画で、柵に囲まれたクジャクの生態に見いる者もいた。
売店もたくさん出ていて、アイスクリームやクレープなどを商う屋台に人が群がっていた。
並んでおもちゃや文房具を陳列する店もあった。
その隣には、古銭や切手帳が専門の店が出ていた。
ぼくは切手帳を手に取り、それがスウェーデンで発行されたものであることに気がついた。
そこにはシジュウカラ、キアオジといった周知の鳥と共に、ぼくが初めて見るギンザンマシコ、アカウソと説明書きのついた切手が収められていた。
ぼくが見入っていると、ミニ動物園の方で急にざわめきが起こり、キャーとかイヤーとか叫ぶ声が聴こえた。
誰かが「クジャクが逃げたぞ」と大声を張り上げた。
見世物になっていたクジャクが、人間の態度にこの上なく自尊心を傷つけられ、遂に囲いの柵を飛び越えたらしかった。
ぼくは鳥の切手帳にも心ひかれていたが、クジャクの反乱の方により興味を持った。
そこで手に持っていた切手帳を棚に戻し、ミニ動物園の方に引き返した。
急ぎ足のぼくの背後から、「逃げるのか」と野太い声が追いかけてきた。
ぎょっとして振り返ると、それまで店の奥に潜んでいた店主らしき男が身を乗り出して叫んでいる。「お前に用意しておいた物を、無視するつもりか」と、すごい形相でにらみつける。
ぼくは、「あっ」と息をのんだ。眉と目がくっつきそうな深い眼窩、意固地そうに張った鼻骨の特徴は、ぼくにアタッシュケースを預けていった北欧系ロシア人に違いなかった。
ぼくの頭の中でルーブル紙幣が舞った。恐怖に駆られて後ずさりした。急いでぼくのマンションに戻り、ロフトからアタッシュケースを下ろし、この男に返さなければと焦っていた。
「逃げるな」男の低い声に戦き、背中を向けた。屋上から階段を駆け下りながら、このままでは逃げ切れないだろうと思っていた。
案の定、切手帳を扱う異国の男はダダダッという足音を響かせて追いかけてきた。
ぼくは一瞬、家具売り場の売約済みの衣装ケースの陰に隠れ、ロシア語を発する男をやり過ごした。
しかし、早晩戻って来るのは確実だった。
その時、エレベーターホールの向こう側に非常階段が見えた。
螺旋状にはみ出した鉄骨の造形が希望をもたらした。
ぼくは、デパートの建物と非常階段をつなぐ空間に身をひそめた。
鉄の柱が狭い隙間を作り、階段の鉄板が死角となってぼくの姿を隠してくれそうな気がした。
やがて、異国の男が戻ってきた。
客用の階段では発見できなかったぼくを、眼光鋭く探そうとしていた。
非常階段に気がついたようだ。
ガンガンと靴音を響かせて威嚇したのち、ニヤリとこちらを見る目と合った。
いったん通り過ぎるそぶりをした後、舌なめずりをする猫のような仕種で目を細めた。
男は隠し持っていたダガ―ナイフをぼくの方にちらつかせた。
ぼくは鉄骨の間に挟まった百舌鳥のニエのようなものだ。
ロシアから差し向けられた刺客によって、いま命を落とそうとしている。
ぼくの父も殺されたことは、疑いのないものとなった。
ただ、動機が分からない。
ぼくのもとにルーブル紙幣を運んできたのは、当人が日本国内で持ち歩く危険を避けたものか。
いずれ、ぼくの役目が済んだと判断した時点でぼくを殺し、ロフトからアタッシュケースを持ち出すつもりだったのだ。
「そうか、ぼくがスウェーデンへの赴任を決心したせいだな?」
マンションを引き払うことになれば、当然アタッシュケースも処分される。
ルーブル紙幣の札束を回収するためには、これ以上猶予できないできないギリギリの日程だ。
だから殺し屋は、きょう動いたのだ。
ぼくは死を覚悟して、きつく目をつぶった。
翌日、窓から入る光の眩しさにおそるおそる目を開けた。
ぼくは、どこにいるのだ?
ロシアの刺客に殺されたのではないのか。
昨日のデパートでの出来事はどうなったのだ。
ぼくはアルバイト先のコンビニを休んでしまったのだろうか。
ぼんやりと天井を眺めた。
この六畳一間のアパートには、たしかにロフトがある。
しかし、ロフトに登る細いハシゴは収納できる仕組みにはなっていない。
とは言え、ありありと見えていたルーブルの札束は、いまも衣類に包まれて在るかもしれない。
ぼくは、一縷の望みにすがってハシゴを登った。
クリーニングにも出さなかった冬物のコートやジャンパーは丸めて置かれていたが、アタッシュケースなどどこにもなかった。
(やはり、あのロシア人が盗んでいったのだろうか)
そうとは思えなかった。
もともと、ルーブル紙幣の札束など存在しなかったのかもしれない。
そんなことは、どうでもよかった。
ぼくは、札束が消えた無念さより、命を取られなかったことの喜びに浸った。
ロフトの上から見下ろすと、机の上にモロゾフの化粧箱があった。
誰からもチョコレートをもらえない息子を気遣って、母が送ってきた菓子の詰め合わせケースだった。
ぼくはやっと正気に戻った。
ずいぶん長い道中だったが、不安と怖れに追われながら繰り返し一つの夢を追っていたようだ。
もう怖い夢はご免だ。
ぼくはため息をついた。
夢の続きを見るなんて、どうにも救われない状況には二度と陥りたくなかった。
(おわり)
(2013/02/11より再掲)
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