指運
郵便局の公社化を睨んで、集配課への締め付けも更に厳しくなってきていた。民間企業を見学した足での業務研修や、デパート地下売り場での体験実習など、組織の活性化とサービス向上を念頭においてのスケジュールが頻繁に組まれるようになってきた。
流行の自己啓発セミナーにも中堅の職員を参加させ、さらには郵政局のホールに講師を招いて主任クラスの意識改革を図ったりした。
局内では班の編成を再構築する試みも勧められていた。人員削減が現実のものとなって、班員一人ひとりの受け持つ作業量を増やすことで定数減に対応する方針が示された。
吉村はいままでの伸びやかな環境が、しだいに失われていく状況を肌で感じ取っていた。九州の地から東京へ、下へも置かぬ扱いで迎えられた日のことが懐かしく思い出される。
わずか十年で、磐石に見えた組織がほころび始めている。選挙の度に日本一の集票マシーンと評された全国特定郵便局長会も、周辺に司直の手が入って弱体化の様相が見え始めていた。
こうした空気に浮き足立ったのか、地方出身の者は地元への転勤を加速し、もう一方では集配課から他の課へと転属を希望する者が増えた。
吉村の仲間でも、昨年始めに山形へのUターンを果たした田中のような職員もいたし、以前草津温泉に同行した佐々木のように、早々と保険課に移って成功しているものもいた。
いずれも民営化と直接関係した動きとはいえないが、数年前から郵政内部に蠢いていた潮流の変化を察知して、逃げ出す準備を進めていたのではないかと想像するのだった。
際立っていたのは田中の例だ。
今年の正月、あるテレビ番組で日本各地の年頭風景を放送した際、仙山線の山寺にスポットを当て、急な坂道をしょいこを背負って登ってくる郵便配達人を紹介したことがあった。
あたりは雪に覆われている。困難な郵便配達の一端を紹介しつつ、立石寺に年賀状を運ぶという詩情をねらったものであったろうか。
階段の頂上に固定されたカメラが遠景の雪景色を写すなか、急坂の死角から郵便配達人の帽子が現れ、続いて顔、首、肩と徐々に全体像が明らかになる演出で、感動的な映像を創りだしていた。
レポーターがマイクを突き出す。
質問に受け答えする眼鏡の若者がアップになると、それが田中だった。
「はい、毎日この坂道を登って配達しています」
今日もまた、全国津々浦々の郵便局で、困難に負けることなく郵便物を運ぶ郵便局員の姿が見られるのです。・・・・女性アナウンサーのナレーションが田中の声にかぶさってきた。
吉村は単純に田中の登場を喜んだ。
地元に戻って一年弱の青年が抜擢されたのは、おそらく都会にいてテレビの撮影にも物怖じしないはずと幹部が考えたからだろう。インタビューによどみなく答えるかつての同僚を見ながら、むしろ吉村の方が身を固くしていた。
思えば、こうした放映があったのはわずか半年前のことである。正月を意識してのこととはいえ、郵便局に対するテレビ局の扱いはまだ好意的だった。
全国一律の郵便料金で手紙を配達する。貯金や簡易保険の窓口では、田舎のお年寄りたちの相談にも親身に応じる。そうした郵便局の存在を、失くしてはならないものとして評価する風潮がまだ残っていたのかもしれない。
壮年者や若者の間でも、手数料無料で貯金の出し入れができるATMの存在を、庶民の味方として支持する層が少なくなかった。
しかし、郵政民営化を旗印に攻勢を強める勢力は、財政投融資資金の扱いに的を絞って議論を高める一方、国家公務員に対する民間人の反感を煽って着々と計画を進めていたのである。
<既得権益>という言葉がマスメディアに流され、悪の権化として標的にされた。軌を同じくして社会保険庁や道路公団の問題もクローズアップされ、国民の怒りはさらにヒートアップした。
構造改革を最優先課題として声高に叫ぶ指導者に、国民の期待と後押しが集まり始めたのはそのころのことだった。
「郵便局はずっと前から独立採算制を取っているのに、なぜ標的にされるんだろう・・・・」
課長を含め多くの職員は皆ぼやいていた。
たしかに郵便、貯金、簡易保険の三事業とも、国の税金に頼ることなく収支を賄ってきた。職員の俸給も、現業職員として事業収入の中から支払われる仕組みになっているというのに・・・・。
その点各省庁の職員は、郵便局員などとは違う一般職の国家公務員として、俸給なども人事院勧告によって決められている。
既得権益や税金に関わりがあるのは省庁のほうで、郵便局にはことさら取り上げる権益などないのである。
本来郵便局を俎上に載せるのは筋違いであり、どこかに論理のすり替えがあることを、組織の仕組みを知る者は気がついていた。
しかし、ぼやいてみても始まらない。
八代から戻ってきて、吉村も行動を起こしていた。
四月の段階で課長に提出した『希望調書』にも出しておいたのだが、久美との結婚やその後の家計のことを考えると、もう少し収入を期待できる保険課に移りたいとおもっていた。
だが、書類上で意思を示しても、おいそれと実現するものではない。幸い吉村には佐々木という友人がいて、保険課サイドに強力に推薦してくれている。
結果はともかく、応援者がいるということはありがたいことであった。
暑い夏が過ぎて、今年も恒例の秋のレクレーション大会が開かれることになった。イベントは幾つかあって、スポーツ系のバレーボール、バドミントン、輪投げに、頭のスポーツである将棋を加えた四種目を、各課対抗の形で競うのである。
貯金、保険、郵便、集配のそれぞれの課から自薦他薦の代表選手をエントリーし、勤務終了後の一時間ほどを使って勝負を争うのである。
総務課が加わっていないのは気に入らないが、競技の進行を担っているから仕方のないところもある。
吉村は昼の早指し将棋での実力を認められて、この年初めて将棋大会に出場することになった。前年までは、背の高さを活かしてバレーボールに出ることが多かったが、たまには毛色の変わったことをやってみたい気持ちもあって、今回将棋のトーナメント戦に挑んでいた。
エントリーした段階から多少の準備はした。
数年前まで定期購読していた『将棋世界』という雑誌を引っ張り出して、読み直した。泥縄には違いないが、段位認定試験に用いられた問題を解き直してみると、毎月呻吟した思い出とともに将棋のツボともいうべき正解手への勘が戻ってきて、しだいに自信のようなものが湧いてきた。
どこまでやれるかは未知数だ。みな初対決の相手ばかりで、棋力はおろか得意戦法すら手探りの状態だった。
初戦は相手の棒銀に苦しめられて劣勢に追い込まれた。こんなはずではと焦りながら、手持ちの駒を守りに足して防戦に徹した。
こうした状況では、玉砕覚悟の攻めに出やすいのだが、大山永世名人の棋譜を並べてみた経験から、受けの魔力に賭けたのだった。
「ええっ、本気かよ?」
迫り来る敵の<と金>に手持ちの銀をぶつける受けに、相手がおどろいた。すかさず交換して駒得になったものの、横に利く駒が消えて吉村の命が延びた。
それが吉村の狙いだった。まだ逆転したわけではないが、さらに受けの駒を置くと相手の表情が変わった。
「しつっこいなあ・・・・」
明らかに動揺している。仲間同士の手合いでは、こんな将棋を指されたことがないのだろう。
吉村は相手の心理を察知して、うまくすれば勝てるとおもった。
二度ほど銀同士の交換を繰り返したあと、業を煮やした相手が援軍となるべき自陣の駒を動かしてきた。
吉村は相手が緩んだ隙を衝いて、次の攻撃の拠点ともなる控えの桂馬を盤上に置いた。
「何だよ、それ・・・・」
ぶつぶつ言いながらも、桂頭に銀を打った。もう一枚の桂馬を継ぎ桂として歩越しに打たれると、頑丈に見える美濃囲いもあっという間に崩されてしまうからだ。
だが、吉村は桂馬の尻に銀のヒモを付けてあらぬ方を見ている。
直接自陣に迫るような手ではないから、相手は吉村の魂胆を測りかねて苛立ちを露わにした。
エイッとばかりに桂馬を毟り取ったのが、逆転の始まりだった。
盤上から直接の脅威を取り払ったものの、銀を取り返されて吉村陣に迫る手段を失った。自陣の脅威を消すことに意識を集中するあまり、大局を見渡す冷静さを欠いてしまったのだろう。
銀得だった優位が後退し、吉村の玉を追撃するには今や役立たずとなった桂馬が、相手の駒台にポツンと載っていた。
「きついなあ」
吉村はホッとした表情を悟られないように、三味線を弾いた。「・・・・銀が泣いている、か・・・・」
桂馬を取った銀を銀で取り返しながら、相手の頭上に宙ぶらりんに浮いた自分の駒を嘆いてみせた。
坂田三吉の名台詞を真似た吉村の呟きを、相手はどう聞いたか。
吉村の銀が王の脱出路をそれとなく押さえている状況を、かなり鬱陶しく感じているのは間違いなかった。
相手のほうは、吉村の玉からかなり離れた筋に桂馬を打って、成桂を作る作戦に出てきた。
速度は遅くても援軍となるべき駒を増やさなければ、王手のできない状況が続いていた。いわゆる指し切りに近い形だった。
吉村は息を詰めて、盤上を隅から隅まで眺めまわした。
互いの陣形と手駒を確かめながら、『将棋世界』の<次の一手>問題そのままに、習練を繰り返した速度計算を始めたのだった。
ヒュー、ヒューと、吉村の吐く息が薄く開いた唇の間から漏れている。
ピシリと駒音を立てて、吉村は遊び駒にみえる銀の尻に桂馬を打った。桂馬の持ち駒はこれで尽きた。
相手の顔に「継ぎ桂ができないのに何故?」という表情が浮かんでいた。
敵も吉村陣に桂馬を成り込み、じわりと迫ってきた。二手空きの形だった。
吉村はもう一度確かめて、相手の歩頭に銀を打ちつけた。取れば先刻打った桂馬が跳んで、たちまち王手となる。横に逃げれば腹金、斜めに上がれば下から角を打って即詰みの形だ。
『取ること適わぬ魚屋の猫』
久しぶりに、将棋の格言が脳裏をよぎった。
そのあといくばくもなく相手が投了した。無言のまま唇を曲げている。吉村も言葉を見つけられなくて、黙ったままだった。
「拾わせていただきました」などといったら、余計に傷つくだろう。間がもたずに息苦しくなったとき、傍らに立って観戦していた男がはっきりとした声で意見を述べた。
「桂馬を打たずに早逃げしておいたら、どうでしたか・・・・」
投了した相手に話しかけているのかとぼんやり聞いていたら、声の方向が吉村に向けられたものだった。
「えっ、ぼくですか」
驚いて見上げると、腕組みをしたまま背を反らした男が盤上から目を離さずに、吉村にうなずいてみせた。
保険課の部屋で見かけたことがあるが、佐々木のような外務員ではなく、内務事務に携わっている人のようだった。
色白で端正な顔立ちからも、あまり陽光に曝されたことのない様子が窺えた。
「空いたところに桂馬を埋められたら、もっと手こずったかもしれません」
利きの集中する箇所に相手が一枚補強するわけだから、攻めの速度が遅れるのは当然だ。吉村も対戦中に気付いて、惧れを抱いた展開だった。
「・・・・終盤、とくに面白かったねえ。山田と大山が戦った名人戦を思い出しましたよ」
「まさか・・・・」
オーバー過ぎるとおもったが、大山流の受けが成功したという手応えがあったので、つい口元をほころばせた。
吉村からみれば遥か昔の棋士だが、名勝負として語り継がれている名人戦記録のなかでも、山田道美の悲壮さと大山康晴の強靭さの対比が際立っていて、並べ直してみなければ気がすまないほどの興奮を覚えたものだった。
名人戦に破れたあと何年かで病死した山田八段の人生を、吉村は哀れに思っていた。大山名人何するものぞと、ギリギリ命を削って立ち向かった求道者のような生き方に、惚れこんだ時期もあった。
だが、棋譜の上とはいえ大山将棋の一端に触れてみると、受けていながら相手を圧迫する強靭な力に、何人の対戦相手が押しつぶされたことだろうと、つい想いを馳せてしまう。
耐えて耐えて受けつぶす大山の深部には、サディスティックな感覚が紛れているような気がする。一種異様な興奮をもたらす棋譜だからこそ、いつまでも語り継がれるのだろうとおもった。
そんな大山と山田の将棋を、保険課のこの男は口にした。将棋好きなら知っていて当然のおもいはあるが、この場で語るにはかなりの薀蓄があるはずだ。
吉村はあらためて男を見上げ、軽く会釈をした。なぜかこころが通ったような満足があった。
三日間かけてのトーナメントを勝ち上がった吉村は、予期したとおり保険課の男と優勝を争うことになった。
白いボードに書かれた勝ち抜き表を見ていると、保険課の男が蜂谷という苗字であることが分かった。
蜂谷は対戦中もいつも背筋を伸ばしていて、唄うような手つきで駒を置いた。手持ちの駒を打つときも、人差し指と薬指で挟んでふわっと置き、浮かせていた中指の腹で念押しをするように軽く圧しつける癖があった。
「なに気取ってんだよ。プロ棋士のつもりかよ」
敗退した集配課の年配者が、吉村の後方で悪態をついた。
そんな雑音は耳に入らない様子で、蜂谷は悠然と勝ちあがってきた。この日、長椅子を挟んで向き合った二人は、旧知のように笑顔で挨拶を交わした。
振り駒で先手を得た吉村は、高美濃の陣形から蜂谷の矢倉を圧迫にかかった。強い相手には腰が伸びて反撃されやすい戦法だが、棒銀中飛車と見せかけて5五の位を取ったまま、攻撃には出ずに相手の動きを封じる作戦に出たのである。
それには当然理由があって、これまで見てきた蜂谷の将棋は、王を矢倉に納めたあと、飛車角の大ゴマを交換して敵地に打ち込み、そこを戦場にする戦い方が多かった。
駒を交換してからの捌き合いでは、蜂谷の術中に陥る惧れがある。そこで吉村は5五の歩に銀と飛車の護衛をつけ、さらには7七の角も動員して天王山を死守する戦いに持ち込んだのだった。
陣形を低くして吉村の攻撃を待っていた蜂谷は、一向に動いてこない棒銀中飛車に吉村の意図を察したようだった。
蜂谷が見抜いたとおり、本来攻撃に使うはずの飛車角を守備に回し、玉を守るべき堅陣をわざわざ崩して歩先を伸ばすという、セオリーの逆をいく構想を実現しようとしていたのである。
大胆というより、舐めた所業に見えたことだろう。
蜂谷は駒音を高めて総矢倉に組み替えてきた。争点を押さえこまれているため、陣形で進展を図りながら隙を窺っているのだ。この時点で蜂谷は、日頃経験のない手詰まり感を味わっていたに違いなかった。
相手もまた盛り上がってきたために、一触即発の格好で睨みあうことになった。 吉村は将来の端攻めを意図して、香車の先の歩を伸ばした。
互いに脇が薄く、一瞬の油断もできない状況になっていた。先に腰が伸びきったほうが逆襲される公算が強い。だから、攻め始めたら一気呵成に決着を付けなければならないのだと、彼は自らに言い聞かせていた。
吉村は決戦の前に、歩を二枚手に入れる工作をした。
まず中央の銀を斜めに進出させて、5四歩と仕掛けた。歩の交換のあと、5三歩の守りにおとなしく銀を引いて一歩を手にした。
続いて9筋の歩を付き捨て、香車で取り返してもう一枚の歩を手にしながら香車の交換を迫った。
あっさり応じたのは、蜂谷にも狙いがあったからだ。
吉村が角で取り返した瞬間、すかさず飛車を回って吉村の応対を訊いたのだ。
角の尻に歩を打って受けようものなら、すかさず香車を放って角を標的にする。逃げれば香車が走って駒得を図れるし、逃げなければ香車と角の交換で大得をできるとの計算だったろう。
吉村は9筋を素通しにしたまま7七角と引いた。これで一瞬は受かっているのだ。蜂谷とてこのあたりのことは承知のうえだ。吉村の角か飛車の位置を動かして、敵陣に成り込む手段を考えていた。
短兵急に事を運ばないのは、さすがに蜂谷だった。放って置いてもいずれ吉村の大ゴマは動かざるを得ない。その時を待って香車と歩兵を温存していた。
吉村はかまわず1筋の香車をひとつ上がった。飛車を回って地下鉄飛車を完成させる準備だった。
蜂谷も香車を上がって、端攻めに対抗する構えを見せた。
王様がもぐれば変則的な穴熊だが、香車を埋めて迎え撃つ態勢をとった。
まさに吉村が待っていた展開だった。相手の持ち駒が歩一枚になった上に、吉村のほうは歩二枚と香車一本を残している。位を取ってあったぶん空きのできている1筋に、ついに手持ちの香車をおろした。
蜂谷はそれでも慌てなかった。王の脱出路を確保して、1筋を突破されても軽くいなす態勢を整えていた。
吉村のような攻めは、おおむね重くなる傾向があった。百戦錬磨の蜂谷が、そんなことを知らないはずがない。端攻めを待って手駒を増やし、隙を見て飛車を成り込みながら、挟撃態勢をとる狙いとみえた。
一転、吉村は9七に歩を打った。素通しだった筋に障壁を置いたのだ。ほとんど死んでいた桂馬が、役割を与えられたのだった。
吉村の飛車が下段に引けば、蜂谷はすかさず9八に歩を打って、と金作りに出てくる。吉村はそれを承知で飛車を引いた。
予想したとおりに手が進んだ。蜂谷の歩が成って桂馬を取り、飛車が成り込むまでに三手かかる。吉村の飛車は一手で香車の下にもぐりこみ、相手がと金を作った瞬間に1筋の歩を突き捨てた。
同歩と歩を取った空隙に、吉村は歩を打ち込んだ。1三歩と叩かれては、相手は香車で取るしかない。
取った瞬間、高美濃で待機していた桂馬が、勇躍跳ねだした。1三の香車に当たっている。この香車を取ってしまえば敵陣の守りは薄くなる。数の計算から、端の突破は時間の問題となっていた。
吉村の飛車が成り込んだあとに、蜂谷の飛車も成り込んだ。速度の争いだった。互いに桂馬と香車の手駒が増えている。1筋で交換した駒をどちらが有効に使えるか、ここからが勝負の分かれ目だった。
龍となった吉村の飛車が、蜂谷の王を追撃した。
5一まで移動した王の左右に、金銀三枚が警護している。王の移動にあわせて守備の駒も付いてきているのだ。
いつの間にか居王に戻った姿は、通常なら悪形と評される戦型だが、横からの攻めにはめっぽう強いという特長を持っている。
戦況に応じて「場合の好手」などと評価を変えることもあるから、その伝でいえば今の時点では「場合の好形」ということができる。
蜂谷は端攻めを誘いながら、早逃げをすることで吉村の攻め足を鈍らせているのだった。
(やっぱり、すごい奴だ)
内心舌を巻きながら、龍を活かして右方から蜂谷の守備を崩しにかかった。
一方蜂谷のほうは、成りこんだ龍で吉村の玉を詰めに行くべきか、自陣に引いて挟み撃ちに備えるべきか迷っていた。
引かれていたら多分勝てなかっただろうと、吉村はあとから思った。金銀数枚の威力を持つといわれる龍の守備力は、容易に撃破できるものではない。
だが、頭のどこかに蜂谷は寄せ合いを目指すだろうという予感があった。初戦で大山流を模倣した吉村の将棋を見ているだけに、受けに回ることはプライドが許さないのだ。
大山をまねた吉村をさらに真似ることなどできるはずがない。自分なら吉村ごときは一気に攻め倒してみせる。盤上に手をかざしたまま静止した蜂谷の長い指が、蜂谷の決断を待っている。
取り囲んだ野次馬もまた息をつめて、宙に浮いた蜂谷の指が向かう場所を注視していた。
ピシッ。珍しく冴えた駒音をたてて吉村の金に尻から銀がかけられた。横に逃げれば龍を切って、必死を掛けられる。吉村はほうっておいて敵陣に金を打った。挟撃態勢の完成である。
龍が走ってきて王手を掛けられたが、斜めに上部へ脱出して後が続かなくなった。どうやっても吉村の一手勝ちが見えていた。
蜂谷が駒台に手を置いて、頭を下げた。投了の意思表示だった。
「いやあ、龍を引くべきだったですね・・・・」
照れたように頭を掻いた。
「引かれていたら、自信はありませんでした」
吉村も頭に手をやった。どこかで見たような光景だとおもった。
「指運というか、あそこが岐路でした・・・・」
蜂谷の言葉を聴きながら、あの場面は岐路ではあるが、ユビ運とはいわないだろうとおもっていた。
指運というなら、むしろ自分のほうに運が微笑んでくれた気がする。勝負ひとつでも、終始読みきれないまま結末に至ったというのが本当だ。恵まれたという感覚はあっても、指運が悪かったなどと思うことはできない。
蜂谷に一目置くのは偽りないが、吉村との微妙な感性のちがいにこだわっていた。
勝ちを認識した直後から、頭がぼうっとしている。ガスが充満したように、人の言葉が遠く聴こえていた。詰みに至るまで手を進めさせようとする周囲の要請も、うわん、うわんと反響するだけだった。
(十二話)
(2007/04/04より再掲)
郵便局といえば、3公社の一つでしたね。
国鉄や電電公社ともに民営化しました。
国で継続的にやった方が良いという意見もありましたが。
民営化は成功だったのでしょうか。。。
3公社5現業と言って、郵便局は5現業の一つでした。
3公社は(専売公社)日本たばこ産業、(電電公社)KDDI・(日本国有鉄道〉JRです。
現場で働く人にとっては抵抗感の強い改革でしたが時代の趨勢というか功罪はあっても民営化の効果はあったんでしょうね。
便利に使ってますから・・。
小泉総理が決断した「郵政解散」の郵政選挙で、造反者に刺客を立てたダイナミックな「小泉劇場」、「小泉フィーバー」を鮮やかに思い出しました。
異を唱える人は「抵抗勢力」と呼ばれ一からげに押しつぶされました。
キャッチフレーズの勝ちですね。
将棋大会、盛んでしたね。
入りいろ思い出しますね。