どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

小説 『折れたブレード』12

2016-04-18 01:31:36 | 連載小説

  

     (企みの交差点)

 

 思い出したくもないことだが、福島第一原子力発電所の過酷事故は、何年たっても伊能正孝の心を打ち震わす。

 安全をうたいながらメルトダウンにまで至った責任は本来誰かが負うべきものだが、実際には想定を超える大地震と津波を理由に言い逃れを繰り返してきた。

 原発を推進した政党と監督官庁は、政権を奪還するや当該電力会社を矢面に立たせつつ、当面の補償や運営の国家的バックアップ体制をとって、主体を曖昧にした。

 気が付けば、国民は何一つ責任のない事故に対して、復興特別税のような心情的に支持せざるを得ない施策のもと、いつの間にか責任を負わされた。

 この裏には、長年培われてきた官僚機構の狡猾な仕組みがある。

 「失われた年金」と呼ばれた、年金積立金の消失事件の幕引きがいい例だ。

 積極的に悪用した人物は既にこの世になく、シロアリのように群がった者たちは、「日本年金機構」と組織名を変えて再出発をアピールする目くらまし作戦に出た。

 似たように、当該電力会社の中枢を占めていた役員が数名、放射能汚染事故の責任を取る形で職を退いた。

 しかし、それは組織が生き延びるための常套手段で、典型的な責任逃れのパフォーマンスなのだ。

 電力業界の巨魁を蛇に例えれば、蛇は体よく脱皮しニョロリと草むらに身を隠したのである。

 その脱皮した蛇の一匹が、夜に紛れて主計町に現れた。

 正孝は図らずもその瞬間に遭遇し、運命の放った皮肉な笑い声に戦いた。

 ぎょっとして一瞬逃げ腰になったが、思い直して学生たちの後を追うのを止め反転した。

 すれ違った男女は、正孝の十数メートル先を歩いていた。

 正孝は、火影を縫うように後をつけた。

 細い裏通りが右手に曲がるあたりで、二人の姿が石垣の陰に隠れた。

 そのあたりの横道に入ったのであろうか。

 おそるおそる忍び寄ると、石段を登りきったあたりで着物の裾がひるがえった。

 (カナヘビか)

 先に蛇を押し上げて、カナヘビが大島紬の残影を薄暗がりに放ったところだった。

 正孝は、その場の光景を網膜に焼き付けた。

 二階部分に登りかける石段と、手すりの曲がり具合を正確に記憶した。

 川辺の道路から何本目の通路かを思い出し、二人が潜り込んだ建物の貌つきを説明できるように脳裏に叩き込んだ。

 もう一度、建物に表示灯がないか探したが、見つからなかった。

 (ここまで突き止めれば、後の調査は彼らに任そう)

 明日報告に来る滝口に、電力業界をバックに暗躍するあの男とカナヘビ女の関係を調査依頼することを決めた。

 そして、この女こそ村上紀久子ではないのかと囁く、おのれの声への決着も・・・・。

 

 長岡発の上越新幹線の最終便に、なんとか間に合った。

 出発を待つわずかの時間に、千鳥が淵そばのホテルに電話しいつもの部屋を予約した。

「今夜じゃないよ、明日だからね」

 念を押す正孝に、顔見知りのフロント係が「承知致しました」と弾んだ声で答えた。

 これで、気がかりは消えた。

 気が張っていたのは金沢にいた間で、滝口たちに調査を依頼することにしてからは、こめかみの脈動も徐々に鎮まった。

 正孝は、車中の人になると忽ち眠りに落ちた。

 艶子が夢に出てきて、正孝に謎めいた笑みを残してすっと消えた。

 事務所に立ち寄って、事務員のメモを見た。

 めぼしいものはなかったが、ネオザール社の関係者から電話があったと記されていた。

 今度は何があったのだろう。

 先日のやり取りで、彼とは一定の信頼関係が出来ている。

 連絡するのは明日になる。

 今日という時間は、もう残っていないのだ。

 正孝は、自分専用の個室に籠って滝口に渡す調査事項を箇条書きにした。

 金庫に放り込んだままの艶子の手紙類を、もう一度見直そうかと思ったがやめにした。

 事態は先へ動いている気がする。

 夜が明けて今日という日が新たになれば、調査会社がやってきて疑問のいくつかを解いてくれるだろう。

 正孝はあの夜と同じようにソファーに身を横たえ、頭から毛布をかぶった。

 腰を伸ばすと、移動に要した時間と、疲れのたかを思い知らされた。

 

 ホテルにやってきた滝口は、鞄の中から角形封筒を取り出し、「これが残されていました」と正孝の方に押しやった。

「なんですか、これ?」

 言いながら封筒の中身を確かめると、パソコンからアウトプットしたらしい名簿と数台の携帯電話機だった。

「先生が気にされていた堂島と名乗る男が、福田艶子さんを利用するために電話をかけさせていたアドレスと登録不要のケータイです」

 不快な状況が正孝の頭に浮かんだ。

「それじゃあ・・・・」

「そうです、あの連中と同じです」

 滝口が容赦なく指摘したのは、振り込め詐欺の手口だった。

 プリペイドカード使用のケータイで、小型風力発電に興味を持ちそうな一般投資家を誘っていたという動かぬ証拠であった。

 事業主体を官民共同プロジェクトの「風力発電機協会」と名乗り、ベンチャー企業株に飛びつきそうな主婦層を狙い撃ちにした。

 一方、実際に研究を進める小型風力発電機開発会社には、プロジェクトへの参加を餌に参加保証金を振り込ませた。

 福田艶子は、当初小規模会社にプロジェクト参加の道を開くものと思って行動していたらしいのだが、堂島と名乗る男はすぐに騙す相手を変えていった。

 限られた会社をターゲットにするより、不特定多数の出資者に振り込ませた方が効率的だからだ。

 (しかし、艶子はどこかで胡散臭いと思わなかったのだろうか)

 正孝は、怖い目で壁を睨み、険しく眉を寄せた。

「なかなか理解できませんよね。・・・・でも、それが男女の仲というものです」

 滝口は、正孝の心中を推し量るように語尾を絞った。

「出来ていたのか?」

「はい、使い終わった名簿とケータイは、いつも貸ロッカーに仕舞われていたようです。万が一マンションに踏み込まれても、言い逃れできるようにする用心でしょう」

「それだけ男に忠誠を誓っていたということか・・・・」

「将来はハワイで暮らそうなどと、殺し文句を書いたメモが名簿の栞として挟まっていましたから」

「・・・・」

 正孝は明らかに肩を落とし、椅子の背もたれに身体をあずけた。

 滝口はしばらく伊能正孝の様子を見守っていたが、「実は報告はそれだけではないんです」と言葉を継いだ。

「・・・・堂島という男には、妙な噂があるんです」

「噂とは?」

「堂島はもともと中央官庁のキャリアでしたが、再生可能エネルギーに関わるプロジェクトチームの一員になった頃から、電源開発公社の社員と交流ができたそうで」

「ほう」

「そして、ほどなく基幹電力会社の重要人物とも繋がりが出来たらしく、噂では表にできない仕事を託されたようなんです」

「えっ?」

「あくまでも噂ですよ。うちの者がある筋から聞いてきたものを、そのまま申し上げますので、判断は先生にお任せします」

 滝口は前置きしてから、次のようなことを話し始めた。

 『長年に亘って原子力発電事業の中枢に携わってきた人物と繋がりのできたた堂島は、フクシマの原発事故を契機に役員を退いたその男の影となった。

 『しかし、彼が信奉する人物の行なった行状は、噂とはいえ眉をひそめるような出来事だった。

「ど、どいうことですか」

 正孝が、身を乗り出した。

「いや、自社の秘書を言いくるめて、関係者に肉体を提供させていたというのです」

 滝口は、声を潜めて先を急いだ。

 『ところが、あるときから秘書は自らの行為を恥じ、すべてに投げ遣りな態度を見せ始めた。あてつけのように夜の街角に立ったのだ。

 『堂島は、そうした行為をやめさせ、収束を図るように密命を受けた。

「それで、どうなったのです?」

 正孝は顎を撫でた。

「ここからの話は、先生も耳にしたことがあるでしょう。・・・・真相は藪の中ですが」

 滝口は思わせぶりに正孝を見た。

「ああ、そのことならね。・・・・だけど、似たような事柄に堂島が関わっていたということか」

 正孝は、滝口の目を見返しながらカマをかけた。

「先生には敵いませんねえ。・・・・堂島は、つまるところ出雲へも行っていたんですよ」

「ほんとうか・・・・」

「いや、ですからね・・・・ちょっと、話を戻しますよ」

 

 『秘書だった女は、最後までクビになることはなかったが、ある日空家で死体となって発見された。そして事件内容と女の行状が報じられると大騒ぎになったのだ。

 『捜査はさまざまの曲折を経た末、いまも未解決事件の仲間入りとなっている。犯人はどこにいるのか、手がかりすら風化しつつあるが・・・・。

「それより、堂島は艶子をどうしようとしたんだ」

 正孝は、苛立った調子で滝口を追及した。

「出資話の誘い役に仕立てただけでなく、寝物語に聞いた所在不明の父親を探し出し、面倒を見るのと引換えにある条件を持ち出したようです」

 滝口はおもむろに話し始めた。

 聞きながら、正孝は呻いた。「・・・・滝口さん、それは本当のことですか」

「いや、まだ裏は取れていません。しかし、周辺の調査から間違いないと思います。なにせ、ここでも背後にあの老人の影がちらついているようですし・・・・」

「堂島が艶子の弱みを握って、かつての秘書のような役回りを強要したということかね」

「そういうことです。福田さんの父親を誘惑して破綻させた村上紀久子という芸者も、どうやら一役買っているようです」

「うむ」

 正孝は再び苦しそうに息を吐いた。

「その昔に遡れば、鳥取のお座敷に呼ばれた芸者と、山陰地方に滞在して原発誘致を推し進めていた電力界の黒幕はすぐに懇ろになったのでしょう」

 正孝は、あまりのことに言葉を失っていた。「・・・・こんなところにまで、あの亡霊が・・・・」

 おぼろげに推理した艶子と堂島の関係、そして思いもしなかったあの老人との関係が、こうまではっきり浮かび上がろうとは・・・・。

「滝口さん、ふたりは今も金沢の主計町に居るはずです。調べてください。・・・・そうか、あの女がやはり村上紀久子だったのか」

「私も先生が金沢にいるって聞いて、びっくりしました。どういうことなのかとあまりの偶然に驚きましたが、別々にたどった方向がある地点で一致したんですね」

「お宅の調査員は、実際に主計町まで入っているのですか」

「いえ、そこまでの必要はありません。狙いは堂島の方ですから」

 滝口は、きっぱりと言い切った。

「堂島が艶子を殺めた犯人なんですか」

「ここだけの話ですが、そのように目星をつけています。・・・・しかし、私たちには捕まえる権限はありません、歯がゆいことです」

 正孝の想像を超える速さで、事態は展開していった。

 主計町で突き止めた村上紀久子の拠点を示そうと、書きとめた建物の特徴や周囲の地形等のメモを取り出したが、滝口の前ではつい出しそびれた。

 内心もやもやしたものが残っているが、出雲の弥山で発見された福田艶子の変死体の謎を解き明かすためには、滝口らの一直線の調査能力が重要なのだ。

「わかりました。あれから季節も深まっていますが、所轄署も懸命に動いておると思いますよ」

 正孝は、刑事課の山根の顔を思い浮かべながら、フォローの言葉を漏らした。「・・・・本当に堂島の仕業だとししたら、証拠は現場に一番残っているでしょうから」

 滝口は、正孝の目を見て小さく頷いた。

「報告は以上ですが、貸ロッカーから回収した顧客名簿はどうしますか。私どもとしては、堂島に揺さぶりをかける切り札にしたいと考えているのですが・・・・」

「いや、そんなものもらっても持て余すだけだ。役に立つなら、そちらで使ってください」

 正孝は、いかにも角封筒を遠ざけるように手を振った。

 まだまだ細かい疑問は残るが、事件は一気に本流をめざしてなだれ込む勢いに思えた。

 

     (つづく)

 


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