(そして神無月)
堂島秀俊が殺人容疑で逮捕されたのは、朝の8時ごろ東京むさし野市の自宅マンションを出たところでだった。
街路樹の葉が色づき始めた季節、きちんとスーツを着た三十代後半の男に、物陰から現れた私服刑事が3人擦り寄ったかと思うといきなり令状を示したのだ。
自分の名前を呼ばれると、男は一瞬たじろぎ、「な、なんですか」と刑事の一人に声を荒らげて抵抗した。
「福田艶子殺人容疑だ。詳しいことは所轄署で聞く。これから同行願いたい」
未公開株をめぐる詐欺容疑での摘発には、堂島なりの対策を練っていた。
福田艶子を利用したのは、ダイレクトに責任が及ばないようにするためである。
しかし、殺人と聞いた途端に思考が停止し、頭の中が白んだように感じられた。
そうした彼の表情を確認しながら、山根刑事が堂島の両手に手錠を掛けた。
堂島は直ちに、待機していたむさし野署のワゴン車に乗せられた。
出発前に、車外に出た山根が誰かに電話をしている。
「おはようございます。いま身柄を確保しました。いろいろご協力頂きありがとうございました」
どうやら、バックアップ体制をとってくれた警察署の上層部に礼を述べているようだった。
「さあ、行きますか。東京駅までお願いします」
これから約8時間かけての護送ということになる。
出雲の所轄署までは、ニ度の乗り換えが予定されている。
東海道新幹線「のぞみ」で、まず岡山駅まで3時間30分。
幸運だったのは、「のぞみ」の多目的室を利用出来たことだ。
車掌に申し出たところ、たまたま利用客がいなかったため、周囲の目に曝されることなく堂島を護送することができた。
岡山からは、「特急やくも」で出雲市駅まで約3時間の行程だ。
出雲に着けば、そこにはパトカーが待っている。
山根たち刑事も大変だったが、手錠を掛けられ両脇を固められた堂島はもっと窮屈な思いをしたはずだ。
それも自業自得、自殺に見せかけて福田艶子を殺した罪の償いは、こんな生易しいことでは済まないのだ。
目撃者と監視カメラの映像の他、現場に落ちていた睡眠導入剤のタブレットから、堂島の指紋が採取された。
本来は家宅捜索をして、証拠の書類や遺体の注射痕に関係する器具等を確保できればいうことないが、現時点で指紋に勝る証拠はない。
あとは身柄を押さえてからでいい。
手続きを踏んで、別のチームが家宅捜索に入る予定にしている。
ただ、移送に8時間もかかると、その間に犯人はいろいろの策を練るものだ。
堂島の顔を見ているうちに、山根はそうした兆候が芽生え始めているのを感じていた。
(この男、バックの勢力に助けを求めるだろうか)
そうなれば厄介なことになるだろうが、悪あがきはしないだろうと読んでいる。
もし悪あがきすれば、うっすらと浮かんできた電力業界の暗闇が、白日のもとに晒される惧れがある。
その危険性を承知しているから、堂島も余分なことはしないはずだ。
風力発電事業を舞台に起こした詐欺行為も、背後に別の狙いがあり、そのことで誰か得をする者がいるのではないか。
勘ぐる人間が増えれば、かえって困るのは彼らの方だ。
当初から面妖な顔つきを見せていた事件で、県警との合同捜査本部の立ち上げにも大きく足並みが乱れた。
それだけに、イレギュラーな介入があれば、福田艶子の変死体事件は一挙に別の様相を見せる可能性もある。
ただ、遺体がある以上、山根らは本筋の福田艶子殺人事件の解明を図らなければならない。
最終的には、堂島秀俊による恋人福田艶子に対する痴情殺人事件として幕引きが図られそうな気配がある。
噂される電力業界との繋がりについては、今回も噂のままで終わるだろう。
主婦たちが消費者庁に起こした未公開株をめぐる詐欺告発は、警視庁管内の出来事だから彼らが処理することになる。
山根刑事は、弥山山中で変死体が発見されたとの通報があったときのことを、いま感慨深く思い出す。
五里霧中だった事件も、とうとう堂島逮捕にまでこぎつけた。
ここまでに至る数々の苦労を、犯人を目の端におきながら、しみじみと噛み締めていた。
一方、堂島を追っていた滝口たちは、堂島が逮捕され身柄を移送されたと知り、さすがにがっくりしたらしい。
画期的な風力発電機を開発したとの触れ込みで、主婦たちに架空の未公開株を買わせた堂島に、じわじわと揺さぶりをかけるつもりだった。
福田艶子は、証拠の名簿と成否を記したメモを残したまま死んだ。
堂島は、それらが発見されても、自分は逃げきれるとタカを括っていたのだろう。
むしろ死人に口なしにすることで、すべてを艶子の責任にしようとしたのかもしれない。
「先生、このままでは福田さんが大悪人にされてしまいますよ」
堂島が捕まって喜ぶかと思いきや、滝口は伊能正孝に思いもしない提案を持ちかけた。
「えっ、そんなことをしても平気なのか」
「大丈夫です。注意深くやりますから、安心してください」
アイホーンを通して、滝口の自信に満ちた声が伝わってきた。
数日後、山根のもとにガサ入れの結果がもたらされた。
その中に、貸ロッカーから回収された住所録と携帯電話機数台が混じっていたとの報告があった。。
「ほう、やっぱり未公開株詐欺は堂島の仕業だったんだな。・・・・なに、それらの物は押収しなかったって? それは当然だ」
福田艶子の死が堂島の手による殺人であったことを裏付ける証拠以外は、抱え込むのはご法度なのだ。
期待した注射器こそ発見できなかったが、堂島が利用したレンタカーの領収書と高速道路の通行券が関連の物証として持ち帰られた。
山根刑事にとっては、堂島の身柄を取り、有力な証拠を得たことで、順調に事件解決へ向かっていると確信しているようだ。
殺人以外は警視庁管内の事件だし、被害者の告発を受けて本格的な捜査に入るのだろうから、山根としてはそちらには関わりたくない心境だった。
この時点で山根は、報告を受けた名簿等がもともと堂島の部屋にあったものと思っていたが、実は滝口の部下の手によって持ち込まれたものだった。
そのことを知っているのは、正孝と調査チームの数人だけである。
これで、少なくとも堂島が未公開株詐欺事件の共犯者であったことは裏付けられる。
しかも、福田艶子を殺した犯人が堂島であったと判明すれば、詐欺事件の主犯も堂島であることが容易に推認できる。
滝口は、間接的とはいえ堂島を追い込むことに成功したのである。
正孝は、あらためて滝口の知略に長けた行動に舌を巻いた。
(滝口にとっては、これが正義なのだろう・・・・)
艶子の無念を思えば、もっと過酷な罰を与えたいと正孝は思う。
しかし、法の下では法に裁かせるしかない。
裁判によって下される量刑など、正孝にとっては滓のようなものだが、一応はそれを受け入れるしかないとも思っている。
あとは真実をどこまで追求できるかだ。
艶子は本当に堂島に惚れ込んでいたのか。
(だとすれば、なぜわしに抱かれたりしたのか)
それとも、父親を探し出してもらった恩義が、堂島への協力の理由だったのか。
また、金沢の茶屋街で見かけた電力事業の巨魁は、どこまで艶子の死に関わっていたのか。
闇は、まだまだ深い。
はじめに意図したとおり、滝口の手を借りて行けるところまで追ってみようと思う。
主計町に潜入して、あの老人と村上紀久子の関係を洗い出してもらうのだ。
二人のそもそもの出会いと、艶子の父親の運命に二人がどう関わったのかも知りたい。
その上で、艶子の母親にも会って、別れた亭主がどのように人生を送ったかを教えてやりたい。
艶子の変死体が発見されて以来、正孝はほとんど薫風社に出社していない。
ありきたりの記事と、蒸し返しのレポートでごまかしてきたが、案の定、顧客や読者からの苦情が増えているとのことだ。
艶子が生きていれば、機転を利かして対応してくれただろうが、そうした展開は望むべくもない。
正孝は、あらためて自分が陥っている窮地を正視した。
(そうか、まんまと手足をもがれたのだ)
前から気づいていたようにも思うし、正面から意識したのが初めてのような気もする。
「もしもし、もしもし・・・・」
正孝は、滝口の電話にかけているつもりで、応答のない艶子のケータイ番号に呼びかけていた。
(まだ事件は終わっていない。・・・・滝口さん、ここにはもう誰もいないんだよ)
縋るような気持ちで、神のいなくなった東京の空虚を凝視した。
(つづく)
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