どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

短編小説『水狂い』 Ⅰ

2012-11-23 01:25:24 | 連載小説


 人の嗜好はさまざまですが、俳人木戸野風の水好きは少々度を越していたのではないかと思います。

 私は野風の運転手兼弟子として、彼の吟行にはたびたび同道してきたのですが、しだいに高じる水への執着に主人への懸念が膨らむのを抑えることができませんでした。

 野風がいつ頃から水に憑かれ始めたのか、私もよくは知りません。

 私が雇われた時、彼はすでに水好きであり、庭の井戸から汲みあげた水に何やら黒い鉱石を沈め、お茶も味噌汁もすべてその水を使っておりました。

 そんな状態でしたから、山奥への吟行の途中、湧き水をみつけると野風は必ず足を止めるのでした。

 彼の着物の懐にはいつも薄手の湯呑みが仕舞われており、水を見るとおもむろにそれを取り出し、覆いの布を払ってなみなみと汲みあげるのでした。

 湧き水や清水の滴りなどのある山蔭は、直接の光は少ないものです。

 空のどこからともなく降り注いでくる明かりが、木の枝や岩角に遮られて一段と照度を低くする道端で、野風はじっと湯呑の中を覗き込むのです。

 束の間、そうして水の一点を凝視した後、野風はふっと眼の光を和らげます。

 思い直したように喉を反らし、ほどよい速度で器を傾けるのでした。

「ああ、うめえ」

 手の甲で口を拭い、削げた頬をかすかに弛めます。

 一瞬見せる満足の表情は、どれほど疾く消えても、私の目には瞭かなものでした。

 しかし、そうした歓びの輝きは日増しに遠退いていったように思います。

 水との出合いの中で焦燥の翳が大きくなり、それに伴って私の懸念も増していくようになりました。

 ある日、一杯の水を飲み干しながら足下の湧き水を下目づかいに捉える野風を見た時、なんとも言えない不安を感じたものでした。

 野風への懸念と申しましょうか、いま思えばかなり以前からこうした兆候はあった気がいたします。

 あれは三年ほど前になりましょうか、久慈川に沿ってルノーを走らせていた折、山の畑でてんびん棒を担いだ娘に出逢い、図らずも怪我をさせたという顛末がありました。

 しばらく忘れていたのですが、このところの野風の様子に急に思い出したというわけです。

 行く手にあったのは、たしか矢祭山という奇妙な形の山でした。

 そのあたりは山砂まじりの痩せた土地で、谷あいのわずかな地に拓かれた畑は、おおむね蒟蒻の葉茎に覆われておりました。

 娘の担いでいたてんびん棒には水を張った木桶が二つ、丹精で蔬菜のたぐいでも育てようというのか、ぎしぎしと音を立ててこちらに近づいてきました。

 紺絣の着物にもんぺ姿、手っ甲をつけ、赤い帯をきりりと締め、姉さん被りをした古風な田舎娘でした。

 わずかに沈めた腰でゆさゆさと調子を取り、肩で撓うてんびん棒をバネのように扱います。

 その上下動の両端で、水桶だけが空中に止まるふうに見え、それでいて中で波立つ汲み水が陽光をきらきらと跳ね返しているのでした。

「ちょいと、娘さん。わしにその水を飲ましてくれんかね」

 自動車を降りて散策していた野風が、とつぜん娘にすり寄りました。

 急な成り行きに、娘は怪訝な表情で見返しました。

「すまんが、その水を・・・・」

 野風の皺深い手が、娘の担ぐ水桶に掛けられました。

 その瞬間、娘は怯えた表情でてんびん棒を放り出しました。

 おそらく野風の顔つきに尋常でないものを見てとったのでしょう。

 ひたすら谷の方へと逃げて行きましたが、あわてて足首でも捻ったのか軽く脚を引きずっているのが気になりました。

「逃げんでいいに。怪しい者ではないんじゃが・・・・」

 ぶつぶつと呟きながら、しかし心はもう娘の上にはなく、放り出された桶を傾けて水を飲もうとしているのでした。

「うーむ、うめえ」

 なおも屈んで桶にしがみつく野風を、私は呆れて見下ろしました。

 縁から溢れた水が、野風の胸元を伝って流れ落ちていました。

 一方、私は娘の様子も気遣っておりました。

 谷の方に五、六戸軒を並べる桧皮葺きの集落があり、娘がそちらの方へ去って行ったのを見ておりましたが、追いかけて詫びを言うべきかどうか逡巡するうちに見えなくなってしまいました。

 結局、私は後味の悪い思いをいだいたまま、野風を自動車に押し込みました。

 去り際に振り向くと、畑の中に水桶が二つ、忘れ去られた遺物のように影を濃くしていました。


     (つづく)



 * この作品は『凱』第二次創刊号に発表したものです。
   短編小説ですが一挙掲載が難しいため、一章ずつ五回に分けて転載します。


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4 コメント

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月並みですが走馬灯のようです (窪庭忠男)
2012-11-25 23:11:26
亡きK氏のことも含め、思い出が駆けめぐります。
『水の会』などとどなたが言いだしたのか、要は水にかこつけて酒を飲む小旅行の会が一年に1,2回ずつ続き、ぼくも仲間に入れていただいたわけです。
ほんとうに楽しく、何よりも大切にしたい集まりです。
知恵熱おやじさん、ありがとうございました。

今回あちこちに発表したものをブログにまとめようと思い立ちましたのは、同人雑誌を離れて活動の場をこちらに移してちょうど7年が過ぎようとしていることから、ささやかな歩みを一望できるようにし、これからの励みにしたいと考えたからです。

いつも声援を送ってくれる仲間や、読んでくださる方々に心からの感謝を申し上げます。
今後ともよろしくお願いいたします。
返信する
水を飲む喜びと秘密の・・・ (知恵熱おやじ)
2012-11-25 04:03:29
ついにあの名作『水狂い』の登場・・・うれしいですね。

思えば窪庭さんという詩人・作家の存在を私がはじめて知ったのは伝統ある文学同人誌『凱』の巻頭(だったかと思います)に掲載されていた『水狂い』によってでした。

平成3年に私は主婦と生活社から1冊の単行本を出したのですが、その担当編集者だったK氏から『凱』誌をいただきました。彼自身小説を書いていて三島由紀夫らにその才能を嘱目される存在だったのですが、その一方でK氏は『凱』の編集も手がけていたのでした。

一読で私は『水狂い』という不思議なタイトルの小説世界に呑み込まれてしまいました。
俳句結社の弟子たちと吟行に行く先々でひたすらその土地の水を飲みまくる俳人の話なのですが、その奇妙な人物像に言葉では上手く説明できないけれど「ああ、人がこの地上に生まれてきて、何十年か生きてそして死んでいくというのは、こういうことだったんだ」とワケもなく納得させられてしまったのです。

その後K氏とはたびたび会って酒を飲むようになったのですが、毎回私が『水狂い』の話をするものだからあきれたのでしょう。
ある日作者の窪庭忠雄さんに会わせてくれたのでした。

その日から今日まで21年・・・つかず離れずK氏も含め窪庭さんら5~6人が付き合うことになりました。いつの間にか「水の会」なんていう名前まで誰かがつけて、美味しい水(美味しい酒も含めて)のある土地や温泉などへほとんど無目的に思いつきの短い旅にも行くようになっていきましたっけ。いつも何も決めない行き当たりばったりの旅で、楽しくて・・・

考えてみるとすべては小説『水狂い』から始まっているのですね。
そして、そして・・・いま気がついたのですが、窪庭さんはまさに私たちの「野風」だったのじやありませんか!

野風はなぜあんなに水を呑みたがったのか。
生きることのシンプルな秘密がそこに・・・もうこれ以上余計なことは言いますまい。

ともあれ今また『水狂い』をこのブログ上でたくさんの人たちとともに読むことの出来る幸せに感謝を。
ありがとうございます。
返信する
ありがとうございます (窪庭忠男)
2012-11-25 00:38:52
二、三日に一回のペースですから、二週間程度で終わります。
よろしくお願いいたします。
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楽しみな道中 (丑の戯言)
2012-11-24 15:16:23
ほう、連載小説の始まりですね。
『凱』という同人雑誌に載った短編のようですが、たちまち初回で野風と弟子との人間性に興味を惹かれました。
水が好きでならないという師匠と、それとは反対の弟子との掛け合いが今後どのように展開されていくのでしょうか。

それもさることながら、吟行をする道すがらの叙景も表現力が巧みなので、うっとりとさせられます。
長い道中になるのかどうか分かりませんが、これからどんな展開をするのか楽しみにしております。
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