職場の4階の窓から
首都高のインターチェンジが見える
郊外から吸い寄せられたクルマを
立体交差で振り分けるランプだ
その無機質な建造物を見ながら
ぼくたちの朝礼は白々しく始まる
課長の面白くもない話は
どれも印刷された服務規律の焼き直し
上の空で通過するクルマを追う
視界の下部で伝令の侵入が見える
総務課の職員が急な情報をたずさえ
いま課長に耳打ちしたところだ
首を傾けて聞いていた課長が
一つうなずいて朝礼に戻った
本日無断欠勤していたY君が
奥穂高で滑落死体で発見された
家族からの連絡が昨夜だったので
会社からもこれから身元確認に向かう
M君が山仲間らしいので
急遽松本まで行ってもらうことにした
部下を見回した課長の不機嫌そうな顔
動揺も同情もない目に氷のかけら
仕事の手順を狂わせるものは
不慮の事故さえ容認しがたいのだ
Y君はいつもニコニコしていた
ぼくが昼休みに将棋を指していると
早朝の澄んだ空気をまとったまま
ぼくとM君の横で見おろしていた
きっとM君と山の話がしたいのだ
だけどぼくとの将棋が終わるまで
話しかけることもなく待っている
M君から声がかかると嬉しそうだった
Y君の家は母子家庭だと聞いている
母親は今も働いているらしいが
彼は給料の一部を積み立てて
郊外の家を手に入れる夢を持っていた
早くいっしょに住めればいいね
儀礼的にかけられる言葉にも
Y君はニコニコと笑顔を返した
信州の桃の花のような瞳が印象的だった
ただ一つ悩みを聞いたことがある
昼と夜の変則ローテーション勤務のせいで
うまく休みが取れないと嘆いていた
彼は勤務明けの土曜日に山を目指したらしい
250ccのバイクがY君の味方だ
撫でるように整備する姿を見たことがある
彼は愛車を駆って土曜日の明け方に出発した
釜トンネルに一番近いバス停にバイクはあった
Y君は焦っていたのかもしれない
滑落した痩せ尾根が見える場所に花束を捧げ
松本警察署で遺体と面会してきたM君が言った
彼は百名山の登頂記録にこだわっていたという
Y君は先輩のM君に一座でも近づこうと
限られた日程で毎週のように行動していた
当然だが仕事と移動の疲れもあったに違いない
待ち構える浮石の罠は想像もしなかっただろう
職場の4階の広いフロアからは
幾つもの連続する窓いっぱいに首都高が見える
静脈のように太く絡んだ立体交差の道路が
Y君を運んだ日の無機質さでこちらを見ている
みな憧れが先で、滑落の危険をあまり考えないのでしょうね。
今回、更家さんが本格的に登山をしていたことを知り、道理で街道歩きでも耐久力があるんだと納得しました。
入社2年目の夏休みに、一人で奥穂高に登り奥穂高山荘に1泊しました。
翌朝、ジャンダルムまで行ったものの、悪天候のため奥穂高山荘に引き返しました。
夕方、奥穂高山荘の主人から、ジャンダルムから奥穂高山荘へ向かう途中の若い人が、先ほど、雨で足を滑らせ滑落して死亡した、という話を聞いたのを鮮明に思い出しました。
彼は体力があったことと、百名山の登頂記録にこだわり焦っていたことが、命取りになったのだと思います。
お母様は取り乱していたと聞きましたが、山仲間のM君を中心にフォローを続けたようです。
どのように対応したのか、たぶん大変だったと思いますよ。
Y君はいつもニコニコしていましたが、笑うと瞳が輝き、まるで信州の桃の花のように咲くんです。
分かっていただけて、ほんとに嬉しいです。
同じ山をやる者にとって何とも切ない思いで読ませて頂きました。
残されたお母さまの事を思いますと胸が詰まります。
山の怖さはニュースでしか知りませんが、
後始末も楽ではありません。