どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

<おれ>という獣への鎮魂歌 (9)

2006-03-03 18:48:40 | 連載小説

 駅の改札口から、会社帰りの男女がひっきりなしに吐き出されてくる。この界隈から帰っていく人びともいるわけだが、おれの目はこの駅に降り立つ者だけに向いている。
 女性の姿に意識が向かうのも、同じ理由だ。ミナコさんの面影に似た横顔を見つけてハッとし、いや、そんなに早く来られるはずがないと、はやる気持ちをたしなめる。
 その間にも人の流れはやまず、おれの注意力はつかの間散漫になる。ただぼんやりと駅頭の風景を眺めているのと、大差なかったに違いない。
 どれほど経ったときだろう、おれはコートに突っ込んだ左腕に何かが絡み付くのを感じた。肘よりやや上のあたり、腕と同時に脇腹をこすって差し込まれた柔らかい感触に、えもいわれぬ懐かしさを覚えて首を回した。
「お待ちどうさま。寒かったでしょう?」
 ミナコさんが微笑んでいた。
 おれは、背後からの奇襲を受けて驚きを隠せなっかった。
「えっ、どうして・・」
「タクシーで来たのよ。早くしないと、あなた、また消えるかも知れないでしょう」
 冗談めかした言い回しの中に、おれの脆弱さを言い当てる真理が見え隠れしていた。
「はあ、すみません」
 おれは、やっと状況を理解した。
 ミナコさんに正対しようと体を回しかけると、おれの動きに呼応するようにミナコさんも体を開いた。組んだ腕を軸に、ふたりが回転した。
「さ、行きましょう」
 動きのままに、通りへ向かって一歩を踏み出していた。おれの腋の下に差し込まれたミナコさんの肩が、おれを押すようにしてタクシーのたむろする一角に導いた。
「おなかが空いたわ。あなたも、まだでしょう・・」
「はい」
 待ち構えていたようにドアが開き、おれたちはぶつかりながら座席の奥へ身を投げ入れた。
 どちらまでと行き先を問う運転手に、「曙橋までお願いします」とミナコさんが答えた。おれは、馴染みのない地名をむしろ心地好く聞いた。
「わたしと同じ郷里の人が、お店開いているの。別に親しくしているわけじゃないけど、たまに一人で山形料理を食べに行くのよ」
 ミナコさんはおれの腕に顔をよせて、言い訳するように囁いた。
 どこをどう走ったのか、目的地に近付いて何度かやりとりがあったのち、タクシーは坂を下りきった右手の路地に頭を突っ込んで停車した。ミナコさんに続いて車を降りたおれは、通りを隔てた街並みに目をやった。
 谷底にへばりついた家並みを斜めに切って、別の道が入り込んでいく。どう繋がっているのか、かなりの高さを横に渡る橋が見え、ああ、これが地名の由来なのかと得心した。地形のもたらす情報が、ひとすじの迷いもなくおれの中に降りそそいできた。
「ほら、ここよ」
 見当違いの方向を眺めるおれを、ミナコさんが促す。
 バックして新宿方面へ戻るタクシーの去ったあとに、幾つもの提灯で軒を飾った小料理店があらわれた。紅灯に地酒の名が黒々と浮き出ていた。ミナコさんに続いて暖簾をくぐると、竹細工らしい笠からもれる照明のもと、カウンターには何組かの先客が背をまるめて坐っていた。
 店内には、音量を絞った民謡が流れている。
 カウンターとは通路を隔てて、椅子席が三つ並んでいる。ミナコさんは一番奥に席を定め、おれは向かいに坐った。すぐに藍染の仕事着に身を包んだ女が現れ、割り箸となめこ和えの小鉢を置いていった。
 ミナコさんがメニューを見ている間、おれは壁に掛けられた木札を眺めていた。凍み大根の煮物、菊の花の酢の物、玉こんにゃく、鯉の甘煮など郷愁を誘う品書きが一列に並んでいる。そうした季節感の色濃い品々がこの店のウリになっているのだろう、客は静かに酒を酌み交わしながら手元の鉢をつついている。
「あなた、なにがいい?」
「どれも旨そうですね。東京では一度も口にしたことがないものばっかりで、なんだか胸が熱くなります」
 ふふっとミナコさんが笑った。「あなた、ことばがいいのよねえ。よ~し、今夜はいっぱいご馳走しちゃおう」
 ミナコさんは、まず銘酒の欄から『月の静』を指差し、つまみを四品ほど注文しておれの顔を見た。
「このお酒、初めてだけど、どんな味がするのかしら・・」
「山形のお酒って、おもわず飲みたくなる好い名前のものが多いですね」
 おれもミナコさんと同じ気持ちだったことが分かって、心が浮き立った。
 冬は煮物や鍋がいいとミナコさんが言った。寒鱈はこの季節だけにもたらされる東北の恵みだという。
 春になれば、こごみや山独活、たらの芽など、数え切れない種類の山菜が直送されてくる。そうなれば、天ぷらだ。さらに季節が進めば、みずの酢の物が食べられる。
 冷凍ものに頼らず、旬のものだけを提供するこの店の方針が多くの客に支持されて、なかなかの繁盛を続けているらしかった。
 ある程度は想像のつくメニューのなかで、おかひじきの辛子和えはおれを驚かせた。珍しさだけでなく、シャリシャリとした歯ごたえがおれの脳天を刺激した。
「いやあ、これは絶品です」
 おれが感嘆の声を漏らすと、ミナコさんはまたも笑った。
「米沢牛は、もっとおいしいかもよ。サイコロステーキにしてくれるから、頼もうか」
 ついでに『上喜元』という酒を注文して「きょうは上機嫌、上機嫌」と信じられないようなはしゃぎぶりを見せた。
 二種の酒は、わずかに辛口だったと思う。日頃はビールがせいぜいのおれだが、この夜はミナコさんにつられて杯を重ねた。常温の酒が一つ一つの料理に緊張をもたらし、舌の上で甘みや苦味を引き出した。
 一時間ほどかけて食事を済ませ、おれたちは店を出た。
 酔った頬に、夜気が快かった。
 おれの左腕には、ミナコさんの手が掛かっている。腕を組むことに、もう面映さはない。おれは道路側を歩きながら、ミナコさんをエスコートする自分を案外冷静に眺めていた。

   (続く)

 

 


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