俊介が夢遊病者であることは、彼自身承知していた。
七歳の夏、田舎の縁側から庭先に向かって放尿するつもりで、廊下の突き当たりの壁にひっかけていた。
すぐに夢を見ていたことに気づいたのだが、おねしょではなく寝床を抜け出しての行為なので少し不安を覚えた。
それでも、庭に向かって思いっきり放尿したと思い込んでいたときの快感は忘れられない。
それ以来、夢の中の行為が恍惚感をともなって彼を魅了するのだった。
その後も夜中に起き出して襖にぶつかったり、裸足で庭に下りて天を仰いでいたり、何度か親を慌てさせる出来事があったらしい。
いずれの場合も、自分の行動については詳しく説明できる。
襖にぶつかったときは、仲のいい友達の声が聞こえたからだし、裸足で庭に立っていたのは月の光を全身に浴びているつもりだったのである。
高校生になってからは、少し行動範囲が広がっていたらしい。
近くの小学校の校庭にあるブランコで立ち漕ぎをしたり、寂れた神社の鳥居に触ってきたりしたのを覚えている。
ただ、これらのことは証明することができない。
深夜のことで、誰も見ていないからだ。
田舎では草木も眠る時刻に出歩くものなどいなかったとも言える。
高校を卒業すると、俊介は上京して印刷所の植字工になった。
朝から晩まで原稿どおりに活字を拾い、それを木枠の中へ植字していった。
時事ネタの多い週刊新聞のようで、俊介の会社にとってはありがたい得意先であった。
そうして、知らず知らずのうちに世間のことに興味を持つことになった。
ある政党の派閥が力をつけたとか、何月何日に集まりがあったとか、そうしたことを報じる記事に見入っているうちに、家に帰ってからも頭を離れることがなくなった。
ある夜、俊介は食事が済むとラジオを点けたまま眠りに就いた。
残業を二時間やってきたので、すっかり疲れていたし、一人暮らしなので話し相手もいないから寝るのが一番の楽しみだった。
田舎での生活リズムが、そのまま踏襲されていたとも言える。
それはともかく、俊介は深い眠りの中でどこかへ出かけようとしていた。
夢の中で賑やかな酒盛りが行われていて、彼はメガネの似合う女性に手招きされたのだ。
(ん? ぼく?)
女性は目元を和ませながら、「そうよ」というふうに頷く。
彼女が案内しているのは、誰かを祝う集まりのようだ。
椅子に座って背中を見せるたくさんの男や女が、なにかの合図に呼応して拍手をしている。
どうやら、壇上で手足を激しく振りながら誰かが熱弁をふるっているようだ。
大きなマイクに遮られて顔がわからないのだが、ダミ声から判断すると角兵衛先生かも知れない。
東京オリンピックへ向けて、高速道路や新幹線の整備は不可欠だと訴えているのだ。
(人の流れだけでなく、物流も活発になり、今まで忘れ去られていた地方都市や市区町村にも富がもたらされるのですよ、皆さん・・・・)
そういえば、会場の入口に大量の書籍が山積みにされていた。
『列島・・・・』なんとかというタイトルだったから、これは出版記念会に違いない。
俊介は胸が熱くなって、角兵衛さんは偉いなあとつぶやいたぐらいなのだが、なかなか講演が終わらないので焦り始めていた。
(ぼくを呼んだ中年の女性はどこ?)
きっとあの女性は、有名な角兵衛さんの秘書の方だろう。・・・・おお、たぶんそうだ。
俊介は、いつまでもここでこうしてはいられないと焦っていたので、あの女性に挨拶して退散しようと思ったのだが、見つけられないのだ。
(弱ったなあ、招かれて来たには来たが、春の月・・・・)
雲間に隠れ、おろおろするばかり。
俊介は義理を欠いたまま、帰路に着こうとした。
村を通り、心細い思いのまま歩いていると、入口を開け放った飲み屋から男たちの笑い声が漏れてきた。
暖簾が下がっていて中まで見通せなかったが、どうやら7、8人はいるらしい。
「おい、白昼堂々博打でもあるまいから、これからハイキングに行かないか」
道路工事の飯場を束ねる班長のような男が、妙な提案をしてひとりひとりに確かめる。
「へい、ずいぶんご馳走になっちまったから、ちょっくらアルコールを抜きに行きますか」
全員が賛成したらしく、男たちが暖簾をくぐって出てきた。
「どうだ、君も行かないか」
班長のような男が、俊介に声をかけた。
「ちょっと待ってえ、あたしたちも行くわ」
飲み屋の女将と女給が、大慌てで飛び出してきた。
とりとめがないが、悪い雰囲気ではないので、俊介も同行することにした。
ちょうど村の前方に小高い丘があり、10人ほどの一行はがやがやと喋りながらそちらを目指す。
丘のてっぺんに到達したあとは、それぞれ連れ立って散策したり、岩に腰掛けて今登ってきた集落を眺めながら批評をしたりしている。
「やっぱり、うちらの村は取り残されてたよなあ。今度は良い道が出来そうだから、ちっとは発展するだろうよ。みんな頼むよ」
女将が男たちにハッパをかけている。
ふたりの女給は、仲良くどこかへ寄ってから帰るという。
残った男たちは、帰りがけにどこかで食事をする相談をしている。
俊介はよそ者なので、一人で帰ることにしたが、いざ丘を下ったところで帰り道がわからなくなった。
先ほど通った村とは違う方向へ降りたのか、見慣れない団子屋で道を聞くと、大きな地図を持ち出してきて幾通りものルートを示してくれた。
これはありがたいと礼を言って帰ろうとすると、「兄ちゃん、団子を買っていかないのか」と呼び止められる。
俊介はハッとして、「いやあ、ぼくお金を持たずに抜け出してきたんですよ」と言い訳めいたことを言った。
そこで、彼はようやく夢を見ていたことに気づいた。
親元を離れて東京で一人暮らしすることになったとき、夢遊病の発作を起こさないために二つの内鍵をかけた上、押し入れの上段に寝るようにしていたのだ。
眠ったまま、うっかり押し入れの襖を開けようものなら、転げ落ちて怪我をするかも知れない。
それほどの代償を払って、夢遊病を封じ込めようと努力していたのだった。
お陰で部屋の外に出ることはなくなったが、日に日に苦しさを感じるようになっていた。
押入れの中には夢の残骸が散らばり、蓄積された夢の数々が活字のように立ち上がってくるではないか。
俊介は夢の要求に応じて、押入れの棚板いっぱいにそれを並べ始めた。
彼の仕事柄、植字はお手の物で、夢を活字のように植え付けて取り敢えず夜を明かした。
朝、出勤すると、印刷会社の社長がめざとく彼を見つけて、「俊介くん、この頃顔色が悪いようだが心配事でもあるのかね?」と声をかけてきた。
「いえ、別にどうということは・・・・」
意表をつかれて、しどろもどろの返答となってしまった。
「それならいいんだがね、知り合いの編集者から、夜中に公園でブランコにしょんぼり座っている君を見かけたと聞いて、何か悩みがあるのかと心配していたんだ」
「えっ、まさか・・・・。人違いじゃないですか」
俊介には覚えのないことなので、語気を強めて否定した。
「そうか、そりゃそうだろう。彼も出版社の打ち上げで相当酔っ払っていたらしいから、あまり自信はないとは言っていたがね」
「ぼくは、夜出歩くことなど絶対しないようにしていますから」
「いやあ失敬失敬、とんだ取り越し苦労だったようだな」
社長は頭を掻きながら、その場を去っていった。
一方、俊介の方はショックを受けていた。
中学生時代に、人気のない小学校の校庭でブランコに乗ったことはあったが、都会の公園でブランコに座っているところを見られたというのが第一のショックだった。
そして第二のショックは、二重三重に夢遊病を封じ込めていたのに、あえなく突破されたのかという疑いだった。
もしも襖もドアの二重鍵も役に立たなかったのだとすれば、昨夜ぼく俊介は角兵衛さんの出版記念会に参加していた可能性が出てくる。
秘書の女性に手招きされて、のこのこと会場に出かけていったのだろうか。
ダミ声の講演を聞いた記憶は残っているし、会場入口で見かけた山積みの『列島・・・・』なんとかという新刊本もはっきり目に焼き付いている。
「道路が整備されれば、今まで忘れ去られていた地方都市や市区町村にも富がもたらされるのですよ、皆さん・・・・」
俊介自身が感じた田舎人ならではの感動が、角兵衛さんの声を潜めた囁きのような訴えかけとともに思い出される。
(と、なると、ぼくは飲み屋から出てきた道路工事の作業員や、女将と女給らとハイキングに付き合ったのだろうか)
帰り道で道を間違え、見知らぬ団子屋に帰りのルートを探してもらったのだろうか。
あの時、ちょっと兄ちゃん、道を聞いておいて団子の一つも買わないのか、と咎められた嫌な感覚も蘇ってくる。
(なんだよ、ぼくは一生夢遊病から逃れられないのか)
絶望的な気持ちに陥っていた。
それでも、仕事をしなければ給料を貰えないから、俊介はせっせと活字を拾い、それを活字箱に貯めて植字していった。
指示通りに紙面が出来上がると、校正係のチェックを経て刷りに回される。
一日のリズムは、なんとか保たれていた。
いつもどおり二時間の残業をこなし、自宅のアパートへ向かって帰宅しようとしていると、駅前の路地裏に店を出している手相見のお爺さんに呼び止められた。
「そこのお兄さん、料金は取らないから、ちょっと手を見せてごらん」
そう言いながら、俊介の顔色ばかり見ている。「・・・・どうも、このままでは数ヶ月の命だな。賑やかな繁華街を歩きながら、まるで墓場をさまよっているようだ」
俊介が立ちすくむと、「あんた夢遊病を患っているね。しかも、自分で知っていて長年思い悩んでいるだろう?」
あまりにも図星なので、彼は思わず商売用の台に突っ伏して苦しい胸の内を告白した。
「そうか、そうか、よくわかった。だけど、苦しいのはあんただけじゃないよ。わしから言わせれば、みんな夢遊病にかかっているのと一緒さ。しかも昼間っからね」
手相見のお爺さんは、殆どの人間が人を騙したり陥れて得することばかり考えていて、取引だ商売だといいながら夢遊病者のようにさまよっているのだという。
「だから、あなたの方がよほど治る見込みがある。・・・・夢を見るのは止められないから、気兼ねなく見なさい。そして、あなたのいう夢の残骸を活字箱に集めなさい」
一冊にまとまるほど紙面が出来たら、わしが出版社を紹介してあげるから本にすればいいという。
「タイトルは『夢遊病者の治癒歴』がいいだろう。そのころには、病気もきっと治っているよ」
俊介は、その夜から以前にもまして真剣に夢を見た。
そして押し入れの上段いっぱいに、夢の痕跡を積み上げた。
そのせいで、彼の寝る場所は畳の上に移された。
普通に戻ったのだ。
それでも、用心のため鍵は二つともかけた。
点検しても外された形跡はないし、雨降りの翌朝でも運動靴が濡れたり汚れていたりすることはなかった。
(たぶん、もう大丈夫だ)
自分に言い聞かせているが、もう一つ自信が持てないのはブランコの一件があるからだ。
だが、とにかく夢の残骸を集め続けている。
本にできるほど紙面が貯まったら、手相見のお爺さんのところに報告に行こうと考えている。
(おわり)
お楽しみ動画=オペラ「夢遊病の女」(ナタリー・デセイ)より
(https://youtu.be/3sk_2y6B50U)
俺の人生は夢遊病みたいなものだったかな・・・と
なんか実業の世界にはほとんど関わらず
好きなものを描いたり、読んだり、書いたり、ふわふわと
想像の世界に遊んで一生過ごしたような奇妙な気分になります
こんな風に生涯を生きて行けるなんて(まじめに汗して働かなければ無事に生きてはいけないと思っていた)、少年時代は思ってもみなかったけれど
当然、経済的豊かさとはほとんど無縁だったが、何とかなってここまで来てしまったんだナアー
家族にとっては迷惑ね
<実業の世界>という概念が出てくると、コンプレックスを感じている人も少なくはないのかと思います。
例えば山あいの畑で、黙々と野菜を作って一生を過すおじいさんに、「敵わないなあ」とため息を漏らしたりしてしまいます。
また、町工場で働く職人さんなどに対しても、尊敬の念を抱いたりします。
どうやら、自分にはない忍耐とひたむきさに「敵わないなあ」と感じるのでしょう。
でも、昔から吟遊詩人がいたり、浪曲師や旅芸人がいたり、人々を楽しませる職業も有り続けたわけで、これもなくてはならないものだと思います。
歌うたいも物書きもその延長上にあるもので、これらの職業を決して<虚業>とは言わないわけですから、難しい対比だなと思うのでしょう。
どちらにしても、自分の人生を「夢遊病」と感じるのも納得がいきます。
人さまざまの受け止めでしょうから、様々の意味を込めて「なんともいえねえ」。
いつもコメントありがとうございます。