その子供預かり施設の名は、保田にあるので「保田学園」と言いました。
団体生活がとことん嫌いな私には牢獄のような気分でしたが、長い時を経て
思い出してみれば、のんびりとしたいい所だったのかもしれません。
この日本寺のすぐ近くにありますので、ここには何度か来た記憶があります。
夏休みと冬休みには家に帰ることが出来ました。そして学期の途中に、親が
会いに来る「面会日」というのがありました。あの単線の内房線で、または
バスに乗って、長い道のりを会いに来てくれました^^;
お母ちゃんは、はりきってお弁当を作ってくれてきたのを思い出します。一日が
終わり、両親が帰るときには悲しくなったのでしょうね。おそらく親のほうが泣けて
きていたかもしれません。
なにせ合宿生活のようなものだから、遊ぶものが限られている。少年たちは
野球(ゴムボールですが)をよくやっていました。また卓球台があったので、
それもよくやった。どちらもだいぶうまくなれましたねェ。
ここには3年生から6年生までの子供たちが来ていました。6年生は数が少なく、
数人しかいなかった。なので威張れるわけです。私はかなりのクソガキでしたので、
いま思い出すと深く反省しなければならないことばかりです。。。
お調子者で自分勝手なクソガキでしたけれど、ここに来た初日からイヤダイヤダで
帰りたかったわけです。先生方も手を焼いたことでしょう。。。
先生方も、ほとんどがここに住んでいました。おそらくは東京に住んでいて、名ばかり
だった校長がめずらしくやってきたとき、私は他の2~3人を巻き込んで「帰してくれ」
と直談判にいったことがあります。
たぶん一泊でのんびり出張だと思っていた天下り(?)定年後再雇用(?)の校長は
小学生が夜に部屋にやってきて驚いたことでしょう^^;
そこらにあった紙に、「自立心」だの「克己心」だの書かれて、それを「教えましたね」
とか言われて帰されたのを覚えています。こっちは「帰してくれという話なのに、
はぐらかされてばかり」とイライラしたのを覚えています。
はいよ、と年度の途中で帰れるわけないのにね(^益^)w
蛇やカエルをつかまえたり、ムカデが出てきてゾッとしたり、夏には海で泳いだり、
確かに自然を満喫してのびのび生活していたのかしら。いろいろと行事があった
のも記憶に残っています。
タイムスリップして戻れたら…? 戻ってみたいですね。
でも酒と煙草がダメだしなあ^^; もちろん旅行もダメかwww