さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

ウィンザー城の庭 2

2011年02月17日 | 英国


ウィンザー城の途方もなく広い庭です。



画像をクリックしてご覧下さい^^

ゴルフ場みたい、と言った人がいます(^益^)



歩いて見て回るのが大変なほど^^;



 1000年ほど前にノルマンディーからやってきたギヨーム、のちのウィリアム一世がなぜ「初代英国王」と呼ばれるようになったかというと、それまでブリテン島を支配していたサクソン貴族や様々な領主を蹴散らしてから全国的に検地を行い、初めて網羅的な土地台帳を作成して税制度を定め、本格的な封建制度を確立したからです。

 それまで農民は、持ち主が明確に登録されていない土地で暮らしておりました。そこに突如役人が現れ、囲い込みが行なわれて追い出されたり、わずかな金額を受け取って権利を放棄させられ、その後は地主に雇われる小作農となったのです。土地の所有が大きな利権となる、資本主義の始まりです。

 財産権の保護は厳しく制定され、鹿の密猟者は両目をえぐり取られました。さらに暖をとるための薪や動物の餌となる木の実に至るまで勝手にとってはいけない、と徹底していました。それまで共有地に暮らしていた人々にとって、その法律はどれだけ過酷なものだったでしょうか。

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 ところで我々はすでにそのような世界に住んでいます。熟れた柿が実っていれば、それは必ず誰かの所有物です。誰のものでもないならば、そもそも柿は熟れるまで木に残っていないでしょう。もし持ち主のいない土地などあろうものなら、一瞬で人々が押し寄せてすべてが食い尽くされ、そこはきっと無法地帯となって、環境破壊になってしまいます。誰のものでもないところならば、みんなゴミを捨てますよねェ…。

 だから土地というものは、誰かが責任をもった所有者でなければならない。それは時代の流れでしかたのないことなのですが、やはり領地を囲い込んで自分のものだと宣言するという行為は、人間のおそろしく自己中心的な行為のようにも思えてなりません。自分だってドアに鍵を閉めて「ここから入るなよ」とやっているんですけどね…。

 約1000年前の話をしましたが、日本でも100年と少し前に、このようなことがありました。時期は江戸末期、幕府が倒れて失業した武士たちが、大挙して蝦夷地の開拓に向ったときのことです。池澤夏樹の小説『静かな大地』は、その時代を舞台にしています。主人公はもと武士階級の若者。幕末となって北海道開拓に乗り出し、アイヌ民族との共存を模索します。馬を育てる牧場を作ろうと計画し、アイヌの若者に豊かな土地を教えてもらいます。しかしそこが日本政府の所有地となると聞かされたとき、アイヌの若者はその不合理さにだまされたような気持ちになります。主人公の若者も、相手を納得させられる説明が出来ず、つらい思いをすることになるのでした。

 歴史に刻まれる大きな政治の流れとは別に、このような「その時代」、「その場面」で生きた各個人の感情のほうに、私は大切さを見い出します。だから政治家にはなれないわけです。いわんや役人は絶対無理。どちらもなろうと思っても難しいものでしょうけれど… (^益^)