さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

ティリンスの古代遺跡 ~シュリーマンの修業時代

2016年10月21日 | ギリシャ



ここはティリンスの古代遺跡の入り口付近。紀元前16世紀から紀元前12世紀頃という
大変な古さのミケーネ文明の遺跡であり、シュリーマンが発掘したものなのです。

滞在しているナフプリオンからバスに乗ってやってきました。一本道の街道で降りた
のは他に誰もいませんでした。「どこ?!」と思ったら、バスの運ちゃんがそちらの
方向を指さしてくれて、なんとかたどりついたのです。

ここティリンスは、ギリシャ神話の英雄、怪力ヘラクレスの誕生の地です。
ヘラクレスは最高神ゼウスの子供。しかし奥さんであるヘラの子供ではなく、
アルクメネという女の子供です。ゼウスはこのアルクメネに横恋慕。婚約中の彼女は
ゼウスを拒絶しましたが、ゼウスは戦争に出ている婚約者に化けて、「戻ったよ♪」と
アルクメネをモノにしてしまいます。それでアルクメネはゼウスの子供を産むことに
なってしまったというわけ。ひどすぎないか?

ゼウスはヘラクレスに不死の力を与えようとして、妻ヘラが寝ている間にその
おっぱいを吸わせます。その力が強烈なものだから、ヘラは目が覚めて「痛いっ!」
と赤ん坊を突き放しますが、そのときお乳が飛び散ってミルキーウェイ、すなわち
「天の川」が出来たとさ(^益^)w

怒ったヘラはヘラクレスの揺りかごに2匹の蛇を放ちます。しかし赤ちゃんでも
ヘラクレスは素手で蛇を絞め殺したそうです。。。



約3500年前に積み上げられた石が、地中に埋もれて残っていたのです。はるか昔の
物語を読んで、「きっとそれが今でもあるはずだ!」と探し当てたシュリーマンの
夢がかない、考古学と歴史学の世界に驚きをもたらした大事件の場所なのです。



そういう背景に思いを馳せないと、ただの石ころが散らばってるだけだよなあ^^;



「人類史上の歴史的大発見」の場所ですが、誰もいなかった。しかしこれで英国の
ストーンヘンジみたいに観光客がゾロゾロいたら気分でないよなあ(^益^)w



アテネの遺跡と違って、背景がとっても美しい。


シュリーマンの修業時代

シュリーマンを乗せた、南米に向かう船は出航して何日もしないうちに難破。乗組員は小さなボートで荒れ狂う海に9時間も流され、幸運なことに見知らぬ土地にたどりついたのでした。そこはオランダで、シュリーマンは領事に救われ、ハンブルクに送り返してやろうという申し出は断り、首都アムステルダムに行って兵士になろうと考えます。無一文は船に乗るか兵士になるかです。

しかし簡単には雇ってもらえず、全くの無一文になったところで仮病を使い病院に入りました。そこから死んだ母の幼友達に手紙を出し、援助を頼むのでした。その手紙はちょうどその人が祝宴の最中に届き、シュリーマンの窮状は列席していた人たちの心を動かし、カンパが集まったのでした。

その義援金は領事を通じて送られ、その領事はシュリーマンに事務所の仕事を紹介してくれたのでした。彼はその仕事をしながら、英語とフランス語を学び、なんと翌年にはオランダ語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語を習得してしまいます。屋根裏部屋で冬は凍え、夏は暑さに苦しみ、極貧の生活のなかでいっときも無駄にせず勉強に専念したのです。学べば貧乏から脱出できるのだと夢を見ながら。

その後事務所を移り、商売に使えるロシア語もあっという間に独学で習得。それまで学んだ外国語の文学作品を楽しむようになる。シュリーマンは24歳になっていたが、勤務する商会からロシアに派遣され、彼の仕事は大成功をおさめることになる。オランダとロシアに関わる貿易商の仕事は順調に進むかたわら、27歳になる年にカリフォルニアに渡り、手広く商売を展開させた。その頃にスウェーデン語とポーランド語を習得する。

彼のグローバルな商売は幾多の困難も乗り越えて成功を続け、その合間に現代ギリシャ語、古代ギリシャ語、ラテン語、アラビア語、ヘブライ語なども自分のものにしている。それもカタコトではなく、ビジネス上でのシビアな交渉や古典文学を楽しむほどにである。そして41歳で十分な財産を手にしたと考えたとき、すべての商売を清算して、子供の頃からの夢、古代文明トロイの発掘に乗り出すことに決めたのである。


ナフプリオンの朝 ~少年シュリーマンの夢

2016年10月19日 | ギリシャ



朝のまだきに生まれて指が薔薇色の曙の女神が姿を現しました。平たく言えば、
日が昇ったぞ、と(^益^)b 今日も天気がいい。ちなみにギリシャの夏は、乾期で
ほとんど雨が降りません。なので傘を持ってきませんでした。それがまた・・・
というのはあとでお話しします^^;



さすがリゾートホテル。朝から豪華。ちなみにコーヒーを持ってきてくれた
お嬢さん、小さい顔のギリシャ美人なのですが、スタイルがほれぼれするほど
どかーん!と古代の彫刻たちもそろって敗北宣言を出しそうな見事さ。一瞬
カメラにおさめたい、と邪念にとらわれましたが、さすがになあ(*´д`*)ノシ



オリーブや生ハム、サラミが美味しかったので、ワインを飲みたかった…w



デザート系統の焼き菓子もたくさん。でも朝からあまり食べられないので、残念
ながら一度も手を出さなかったなぁ。



私が毎日食べたのは果物。イチジクも葡萄も旨かったよー。ちなみに、多くの
西洋人たちは皮ごと食べるし、種も食べちゃいます。俺はヤなので出します。
なーんかお行儀が悪くて、食べたあとも見苦しい感じになっちゃいますwww



さあて出動!砦から街に降りて行きます。



部屋のベランダから見えていた海上の要塞。



後ろを見ると、陸の要塞。右端が滞在しているホテルなのです。



南国ですよねえ(^益^)w


さてこの日は、はるばるナフプリオンにやってきた目的であるティリンスの遺跡を
見に行きます。そこはシュリーマンという、古代の伝説に魅せられて、本当にその
遺跡を掘り出してしまったという、夢に生きた男の物語があるのです。これから
少しずつ、そのシュリーマンという人を紹介してゆきましょう。


ハインリッヒ・シュリーマン(1822-90)


プロイセン王国(ドイツ騎士団国にはじまる、現在の北部ドイツあたりにあった国)生まれのシュリーマンは、牧師の子供で9人兄弟の6番目の子でした。幼いころから神秘的なもの、不思議なものへ関心を示し、亡霊が出るという話や廃墟に隠されている財宝といった話に夢中になる子供でした。「盗賊の墓から足がはえてくる」といった地元の伝説を聞いたときには、「自分で墓を掘らせてほしい」と真剣に父親に頼むようなこともありました。

シュリーマンは8歳のときに、「子供のための世界歴史」という本をもらい、そこにはトロイの街が燃え上がる挿絵があったのです。ホメロスという紀元前8世紀の詩人が書いた、アカイア(ギリシャ)とトロイ(トルコ北西部)の戦争の様子で、少年はそのリアルさに胸を躍らせます。お父さんは「ただの作り物の絵なんだよ」と言うのですが、少年は実際に戦争があったというのなら、それはどこかに実在しているはずで、発掘すればその遺跡が出てくるはずだ、と確信したのです。それが彼の夢となり、のちのライフワークとなるのでした。

シュリーマンは11歳でギムナジウム(大学へ進む準備をする学校)に入学しますが、家計が苦しくて大学への進学はあきらめ、職業訓練学校に入り直し、卒業して食品小売店の小僧になりました。朝の5時から夜の11時まで忙しく働く生活が5年も続きました。気の毒に勉強をしたくても、全くそんな時間はありませんでした。

あるとき重い樽を持ち上げたときに胸を痛め、吐血して仕事ができなくなりました。職を失い絶望的な気持ちになり、大きな町であるハンブルクまで歩いていき、仕事を探しました。しかし胸の痛みと吐血のために雇ってもらえず、無一文のため、とにかくどんな仕事でもしようと船の給仕になるのです。それは南米のベネズエラ行きで、少年は19歳でした。


ナフプリオンのホテルとレストラン

2016年10月17日 | ギリシャ



さてホテルにチェックイン。予約したホテルは、港の横にある山の上の要塞に
建てられたものです。景色は素晴らしいらしいが、山の上…w

下から見えているので、タクシーに乗るほどではない。山の麓まで行くと、ご覧の
ようなトンネルが。気仙沼やザルツブルクであったぞ。エレベーターがあるんだ^^



灼熱の太陽が降りそそぐ外と違って、ひんやりした空気が気持ちよいトンネルを
進むと、ほーら、火葬場みたいなドアがあります~(^益^;
3基ありますが、ボタンはそれぞれ独立しております。なので、一番左のボタンを
押したら、「2」にあったのが降りてくる。右に「1」と表示されているのになぜ開かぬ?
そっちのボタンを押さないと、そっちは開かないんだよー。



長いエレベーターを降りると山の上。あ~らくちん^^



おお、リゾートホテルだけに部屋はとても広い。



港を見渡せる素晴らしい景色。



島が要塞になっています。あそこも見物できるそうで、滞在中に、ボートで
渡っている人を見ましたよ。



さてしばらくホテルで休み、夕方になって街へ下りてゆきました。下りは散歩しながら
のんびりと階段を使います。ネコがたくさんいました。こちらのネコちゃんたちは
みんなやせています。日本のが太り過ぎなのでしょう。



正面は教会の鐘。なんと連日ケコーン式を見てしまいました。たまたまか?



街の中心にある広場にいくつかレストランがあったので、そのひとつに座りました。



これね、「ナポリタン」です。ナポリには「ナポリタン」なるスパゲティの料理はなく、
あれは日本のオリジナルという話は有名ですが、ギリシャでは「ナポリタン」が
どこにでもあるようです。「おおっ!」と思ったので注文してみました。

ボロネーゼみたいな挽肉を使ったソースで、チーズがたくさんかかっております。
麺が英国風というか米国風というか、茹で置きの田舎の立ち食いうどんというか…
とにかくプルンプルンに柔らかい。残さないように食べるのが苦しかった_| ̄|〇



ドルマデスという、米、挽肉、野菜のみじん切りを葡萄の葉に包んで煮たものです。
ギリシャ料理の定番のひとつです。味はまあまあなのですが、やはり西洋料理は
チーズを使っていたりしてコッテリ。だんだん「日本酒でしめさば」が恋しくなって
くる。やはりギリシャ料理よりはイタリアやスペインのほうが好みかなー。



ゆっくりと食べている間に、すっかり夜になりました。こちらは夜の9時や10時に
なった頃からみなさん元気になってくるようです。まあ歌舞伎町やセンター街も
そうだからなあ。。。ちょっと違うか?


アテネからナフプリオンへ

2016年10月15日 | ギリシャ



この日はナフプリオンへの移動日。バスターミナルは不便でわかりにくいところにある
ので、ホテルにタクシーを呼んでもらいました。それが前日に「8:30に」と予約
したのに、10分過ぎても部屋に連絡がないので、フロントまで降りてゆきました。

15分過ぎても来ないから、フロントのおねいさんに確認してもらいました。すると電話が
出ない。(若干不安になる) 9:30の長距離バスに乗るために余裕を持っていたの
ですが、30分経っても来ないので、さすがに心配すると、おねいさんはまた電話。
すると「いますぐ近くまで来ているけれど、工事現場があってひっかかっている」
とのこと。お蕎麦屋さんみたいだな、と思いつつも、すぐそこというならもう来るだろう。

しかしそれからなかなか来ない。「すぐそこ」なんて嘘くせ!さすがにおねいさんは
責任を感じてか、通りに出て心配そうにタクシーを待っています。(上の画像)

 結局40分遅れでやってきました。運転手は能天気にニコニコ。9:30のバスを逃すと、
次は午後の便なんだけどー。しかあし、タクシーはズカズカ進んでゆきます。
運ちゃんは「チケット買ってあるのか?」と聞くので、「まだだよ!」というと、
さらにスピードアップ!なんと10分あまりでバスターミナルに到着。すぐにチケットを
買い、 乗れちゃいましたー。ここは日本ではない。「南」はこんなものです。
「テキトーで、なんとかなるさー」です。



というわけで、バスは定刻に出発し、ハラハラどきどきもおさまって、なんとか
気分を取り戻す。



アテネからナフプリオンまで、4時間以上かかりました。



地中海の港町です。南国のリゾート地でもあります。



中心地は観光地気分でいっぱい。俺は遺跡を見に来たのだが、新婚旅行なんかにも
よさそうだぞ?



時間は午後1時を過ぎていたが、昼飯にはまだ早い感じのようでした。夕食なんか、
夜の8時半を過ぎてからぼちぼちという感じですから、だいぶ日本とずれてます。
まあそれでも「いいですか」と聞くと気持ちよく一番客として迎えてくれました。
頭上には花が咲き、いい感じでしょ?でもけっこうハエがいるんだなw



長い間バスに揺られたので、ビールははずせねえ。さらに赤ワイン。



右はナスのディップ。左はグリークサラダ。どちらも定番です。しかしこのギリシャの
サラダ、なかなか「ごっつい」。だってトマトとキュウリはまだいいけれど、ビーマンや
玉ねぎが大ぶりでなかなかきつい。シャキシャキかじると口の中が匂いでいっぱいに
なるので、ワインで流すしかねえ。さらにヤギのチーズも重いのです。これだけで
けっこう腹にくる。



サラダは添え物レベルの量でいいのになー、と思いつつ、メインに鶏肉のトマト煮。
肉でも魚でも、とにかくトマト煮なので、早くも少々飽きてくる。連日ではなあ。。。
米がついていて少し嬉しかった。トマト味の連続に贅沢を言っておりますが、
日本に来る外国人も、「また米かー」とか思っているのかもしれません。



とにかく好物のスイカがふんだんにあるので嬉しかった。いいぞ、ギリシャ!



満たされた気分で一服。外のテーブルだと、遠慮なく煙草が吸えます^^
ギリシャではあちこちプカプカやっているので、気遣いがいらないところもイイ(^益^)b 


アテネのシーフード

2016年10月13日 | ギリシャ



アテネに帰ってきて夕食です。この日はシーフードで評判の店に行く。人気店だけに、
さすがに早い時間から席が埋まっておりました。

それにしても、ギリシャのレストランではみなさん外で食べます。室内に席があっても、
誰も座っていなかったりします。外のテーブルから埋まるのです。

しかし外だけに、ハエや蚊がいるわけです。蚊が多いのにはまいったなー。



さて何度か食べていて段々気づいてきたのですが、どこもハウスワインばかり。
つまり常に「赤」「白」「ロゼ」という地酒の選択肢しかないのです。決して味も
悪くはないのですが、アテネというギリシャの首都だというのに、立派な
レストランに入っても、高級なやつがない。ちと寂しい感じもするのでした。



「ザジキ」というギリシャの名物料理。ヨーグルトに胡瓜です。オリーブオイルと
ニンニクが入っています。これが意外とおいしい。気に入ったので、帰国して
作ってみました。ヨーグルトの水分をとるのがポイントですね。



これまたギリシャ料理定番の「サガナキ」という料理。チーズとトマトを使った
鉄板焼きです。このときはエビ。この味、一度目はおいしい。二度目はめずらしさが
なくなってきて、三度目には飽きてくる。しかしギリシャでは、どこにいっても
このチーズとトマトの鉄板焼きが出てくるのだ。シーフードといっても、どこも
イカ、タコ、エビばかりなので、これも少々飽きてくるのでした。。。



ムール貝のリゾット。これも美味しかったです。ムール貝といえば、大船渡の
仮設復興バーを思い出すなあ。新聞で見たけれど、その後ムール貝を養殖して、
各地に広めて売り込もうと頑張っているらしいです。