数年前に関西大学の学生だった友人達と一緒に、まち興しの音楽祭「千里山グルービー・ブルーム」を企画・運営してくれたA君から久しぶりにメールが来ました。僕からの年賀状が実家に届いていたのですが、引っ越しなどで確認が遅れてしまったということでした。
A君は昨年の春にマスコミの仕事をしたいという二年越しの念願を叶え、故郷の佐賀新聞の記者として旅立っていきましたが、一年でだいぶ仕事にも慣れてきたと書かれていました。これからの予想されている過酷な世界恐慌の時代に、生活に密着した地方紙の果たすべき役割と仕事の意味はとても大きいものがあると思います。多くの生の情報に触れられる立ち位置で、A君らしい正義感やアイデアを発揮し記者生活を“グルーブ”してくれることを願っています。
音楽祭「千里山グルービー・ブルーム」のその後のことも気にしてくれていました。多くの知り合いの住民からもその復活を待っている言葉をよく聞きます。A君達が始めてくれたこのまち興しの催しを、何かの形で受け継げればと今でも思っています。大阪に出てこられた時には社会人となったA君とまたいろんな話をしたいものです。
A君は昨年の春にマスコミの仕事をしたいという二年越しの念願を叶え、故郷の佐賀新聞の記者として旅立っていきましたが、一年でだいぶ仕事にも慣れてきたと書かれていました。これからの予想されている過酷な世界恐慌の時代に、生活に密着した地方紙の果たすべき役割と仕事の意味はとても大きいものがあると思います。多くの生の情報に触れられる立ち位置で、A君らしい正義感やアイデアを発揮し記者生活を“グルーブ”してくれることを願っています。
音楽祭「千里山グルービー・ブルーム」のその後のことも気にしてくれていました。多くの知り合いの住民からもその復活を待っている言葉をよく聞きます。A君達が始めてくれたこのまち興しの催しを、何かの形で受け継げればと今でも思っています。大阪に出てこられた時には社会人となったA君とまたいろんな話をしたいものです。