先日の休日朝のバラエティー番組で、最近6代目桂文枝を襲名した桂三枝の足跡を振り返るという内容を面白く視ました。
誕生から桂文枝の襲名まで年表的に辿りながら、幼少の頃に父親を亡くし叔父さんの家に預けられていたことで、遊び友達が夕方になり家に帰らないようにするために、面白い遊びを自ら創作していたことから、高校時代に運動が苦手だったので入った演劇部で、後のレッツゴー3匹のリーダー(正司)や天才漫才師の横山やすしと巡り会い、自分は落語家の道を選択することにした想い出などを語りました。また関西大学時代には落語大学(落研)の創設メンバーとして、現在まで続く「ろまん亭」や「千里家」「関大亭」などの屋号も名付けたことなども知りました。
先代桂文枝に入門して3ヶ月でラジオ出演し、その後の毎日放送の深夜ラジオ「ヤングタウン」で大人気となり、斉藤努アナウンサーとテレビ「ヤングおー!おー!」で決定的となったことなど、僕もリアルタイムでその活躍振りが想い出されます。番組に出演していた月亭八方や桂きん枝も「ザ・パンダ」というグループを結成して人気が出ました。
とにかく大学を卒業して飛び込んだプロの噺家の世界で、普通よりも出発が遅れていたという意識が強く、落語に縁りのお伊勢巡り旅をマスコミに売り込むなど、常に新しい目立つことやアイデアを考え続けたようです。それが流行のギャグであり「パンチDEデート」などの新趣向のバラエティー、そして多くの創作落語に繋がってきたのだと想われます。上方落語協会を率いるようになった今日も「天満天神繁盛亭」の成功やユニークな上方落語協会会館を竣工に導いています。
※ 千里山まちづくり協議会が9月30日に千里寺講堂で開催を予定している、第5回上方落語寄席「ちさと亭」では桂文枝さんの母校である関西大学落研OB「グループいっせき」の皆さんが日頃の研鑽を披露して下さいます。