続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

認知症への移行。

2012-12-09 07:25:10 | 日常
 人間は何時までも元気旺盛ハッピーというわけにはいかない。

 必ずある一点に向かって進んでいくというのは不変の真理であって誰もそれを曲げることは出来ない。



 壊れながら、苦しみながら無念の思いでこの世に別れを告げるのは辛いけれど、確率は高く、楽観は許されない。大きな課題「死」への展望は誰もが秘かに抱いている不安であれば、少しでも遠回りや回避の道を模索するのは当然の事。

 現代ではしきりに《予防》が叫ばれている。昨夜も認知症予防対策を放送していたけれど決定的な○○は無く、「日常の食事や運動で気をつけましょう」というコメント。

(こういう人は危ない)という危険因子・・・考えれば誰にでも思い当たる節はある。昨日の食事なんか覚えているようで思い出せないし、日本人気質としては褒められるより、けなされて自覚することの方が多い。


 とりわけわたしなんか、危険がいっぱいの日常。探し物は見つからないし、陰気にこもりがちだし・・・しいて言えば、食事だけは遅ればせながら多少気をつけている。(といっても魚中心、野菜を多くという程度のこと)


(あーぁ、認知症にだけはなりたくないな)といったって、なる時はなる。心配ばかりして、わたしの小さな脳が更に萎縮しないように気楽に行くしかない。

『城』1119。

2012-12-09 06:43:24 | カフカ覚書
 Kは、よく見えるように、台所に足を一歩ふみ入れたが、写真になにが写っているかを見分けるのは、容易ではなかった。というのは、古びて色があせ、方々やぶれているうえに、くしゃくしゃになって、汚点までついていたからである。

 よく(もっと)/besser→bessern/訂正させる、向上する。
 見える/sehn→seher/予言者。
 ふみ入れる/Schritt→Schrift/活字、書いたもの。
 しみだらけ/Fleckig→Frech/不敵。

☆予言者に訂正させるようとしたが、教会で先祖の書いた物の形象を見極めるのは容易でなかった。というのは、古びて色が褪せ、方々やぶれているうえに、圧迫し、不敵だったからである。