続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

今後の課題。

2012-12-19 07:06:52 | 日常
 公民館でのサークル活動(七宝焼き)を終え会食、午後三時半のYRP野比行きを待つ人をそれとなく見れば、知人もチラホラ数人。それぞれ目が合えば軽く会釈を交わし、なかでも近所の人を見れば降車後は同行。

 Aさんは最近ではかなりの歩行困難、それでも体力維持のため週三回はプールに通い、短歌、油絵、コーラスの教室を続けている。
 ゆっくり歩きながら、紫の実をつけたムベを見つけたわたし、「いいわね、でも鳥があんなにキレイにそっくり中身を啄ばんで空っぽね」と言ったら、Aさん、
「お隣のムベを見て『むべ山風を嵐というらむ』って言ったらそっぽ向かれたわ」と笑った。
 教養をひけらかすというのでなく、ごく自然にでた言葉・・・元教師も若く現役であった頃なら「ああ、なるほど(恐れ入りました)」くらいのリアクションがあったかもしれないけれど、今ではどうかすれば「大丈夫ですか」と危惧される状況。

(年はとりたくないものね)彼女はつぶやいた。

 加齢とともに尊厳も失われていくのだろうか・・・。
 
 そうは思いたくない!


 地域の中で一緒に年を重ねて行く。年をとり身体の不具合の度合いを増していくことは必至のわたし、これからの日常は大きな課題でもある。
 
 老いて病んで不自由になり、それでも生きていかねばならない時の心構え・・・哀れみや屈辱を受け入れ、静かに笑っていられる人になれるだろうか。

『洞熊学校を卒業した三人」』39。

2012-12-19 06:52:50 | 宮沢賢治
 ある日夫婦の蜘蛛は、葉のかげにかくれてまたお茶をのんでゐますと、一疋の旅の蚊がこっちへ飛んで来て、それから網を見てあわてて戻って行った。くもは三あしばかりそっちへ出て行ってあきれたやうにそっちを見送った。

☆化(形、性質を変えて別のものにする)の二つの譜(物事を系統的に書き記したもの)。
 知(心に感じる)主な要(かなめ)を査(明かにする)。
 溢れる悲喜を慮/あれこれ思いめぐらし、化(教え導く)、陽(太陽)は雷(神なり)という妄(空想)が現れる。
 陽(太陽)は、霊(死者の魂)であるという講(はなし)である。
 散(ばらばらに)推しはかる講(はなし)を兼ねている。
 双(二つ)である。

『城』1129。

2012-12-19 06:05:12 | カフカ覚書
助手たちが中庭にいて、雪のなかで左右交互に片足とびをしていたのだが、Kの姿がふたたび見えたことがうれしくてたまらないといった様子で、嬉々としてたがいにKのほうを指さしながら、ひっきりなしに台所の窓をとんとんたたいているのであった。

 嬉々として/Glock→gleich/同じ、等しい。
 たがいに/einander→Ahn ender/先祖、死。
 台所/Kuchenfenster→Kirche finster/教会、闇。
 とんとんたたく/tippten・・・予想する。

☆存在としての行為を参照せよ、というKをふたたび見て、先祖の死と同じように、Kを指差しながらいつまでも教会の闇を予想していた。