神奈川県立近代美術館・葉山で開催されている「桑山忠明展HAYAMA」
静謐・・・(作品を見る)という感覚ではない。《作品の提示する空間の中に、わたし(鑑賞者)が居る》という奇妙な体感は鑑賞者を異空間へと放り投げる。
大きな衝撃・・・日常性の排除は有機物質である肉体の貪欲を忘れさせる。
無というのではない・・・明かに啓かれた世界がある。知覚を有した人間が究極、何を見るかという命題のようでもある。熟知し見慣れている直線、正方形、長方形、切断された円錐柱などは・・・実はどれも自然界には存在しない。智の産物である。
美・・・意味を有した美ではないが、大いなる意味を有した美である。
太陽と地球の関係、宇宙の中で規則性を持って存在している地球。そこに住む英知を付与された生物としての人間。歴史の変遷には山あり谷ありの存亡があるけれど、エベレストや深海があっても地球は丸いとしか見えないように、歴史もまた淡々と繰り返される平坦な時間であるかもしれない。
遠く、はるかに遠く人類を眺めたならば、地球の人類における感想はこんなものではないか・・・。無限に見えるが有限であり見る角度によっては色調は捉えどころのないほど変化して断言が不可能である。形さえも正方形や長方形などの形を実は変形していることに気づく。
動かず、変化しないと思われる作品は鑑賞者の立ち位置によって微妙に変化している。近づいたり遠のいたり見下ろしたり見上げたり・・・ヒューマンスケールでの作品の位置設定は万華鏡のような不可思議な流動感がある。鑑賞者はその空気感に酔うほどである。
二つ・・・どれも正確に二つに分かれている。中心があると換言してもいいかもしれない。見えつ隠れつするその微かな揺れのような存在は奇妙に鑑賞者を惹きつける。認識するには余りにも儚く、無視するには余りにも心に痛いような線の不思議。
精神の具現化・・・揺れる現象。亀裂の中に押し込められた主張(叫び)、しかし一歩足を遠ざければ無に帰してしまうその線状の悲しさ。
桑山忠明という作家の無常観・・・心に期するものがある。深く響いて鳴り止まない何か・・・。
(引きずりつつ、汎雑な日常に帰って行った昨夕のわたし)
丁寧な館長さんのお話、ありがとうございました。若い人たちが多く関心を持って聞いていられるのが印象的でした。