続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

年の瀬の片付け。

2012-12-30 07:16:12 | 日常
 何かいろいろ思い出せないうちに月日だけは否応なく過ぎて行く。

(あれはどこへ行ってしまったのか・・・)
 探しても探しても見つからない。

 この次ね、そのうちきっと・・・早く諦めることがストレスを生じさせないコツとばかり、目的を断念。


 そうして家中が諦めの遺物となっていく中を全く決まりきった行程で一日という時間をつぶして行く。(何をしようとしているのか)わたし自身の何かさえも見つからなくなって呆然と立ちすくむことがある。

 精神的、抽象的な迷いは捨てて、ここは物理的な現実だけを直視すべきと、年末に為すべき片付けを嫌々ながらも始めると、

(あった!! こんなところに・・・)

 しばし、その紙切れを百年目に遭遇した敵のような思いで食い入るように見つめるけれど、あんなに探していたこのものはさほどの重要性もなく、二つ、また二つにと破られてクズ箱へと投入。


 
 わたしの探し物はそんなものなのだろうか。探求、追及と勢い込んで夢中になっているものは、無への誘いなのかもしれない。(すべては無に帰していく)そのために無為徒労の日々を送っているのだろうか。
 《まぁ、そんなに短絡的に考えなくても》と、慰めているもう一人のわたしが笑っている。

 年の瀬の整理整頓はなかなかはかどらない。

『洞熊学校を卒業した三人』49。

2012-12-30 06:56:47 | 宮沢賢治
「かたつむりさん。気分がよくなったら一つひさしぶりで相撲をとりませうか。ハッハハ。久しぶりです。」となめくぢが云ひました。
「おなかがすいて力がありません」とかたつむりが云ひました。
「そんならたべ物をあげませう。さあ、おあがりなさい。」となめくぢはあざみの芽やなんか出しました。
「ありがたうございます。それではいたゞきます。」といひながらかたつむりはそれを喰べました。

☆仮の部(区分け)が逸(隠れている)。
 挿(さしはさむ)僕(わたくし)の救いの運(めぐりあわせ)であり、利器((便利な道具)としての薀(奥義)である。
 仏の駕(のりもの)として推しはかる自記である。

『城』1139。

2012-12-30 06:16:09 | カフカ覚書
その理由はいまだにわかりません。それでも、わたしは、自分の幸福が長くつづかないことを予感したのか、この記念の品をもって帰ってきたのです。

 もって帰る/mitgebrcht→geblut/血筋、血統。
 記念の品/Andenken→enden/死ぬ。

☆なぜか分かりません。それでも、時代が短いことを予感したのは、この死は(同族の)血筋だったからです。